ワタシが野球に興味を覚えた頃、上田利治監督率いる阪急ブレーブスが全盛期だった。
父が「この基礎を作ったのは近鉄バファローズの西本監督だぞ!」と言われて数年、初優勝をして黄金時代……でもないか……シルバー時代……でもないか!……を作っていく。
2004年11月の球団消滅からちょうど15年。個性あふれる球団「近鉄バファローズ」の真実に迫る。最後の選手会長として球団合併問題やストライキ問題に奔走した礒部公一。彼とともに、梨田昌孝、栗橋茂、金村義明、ラルフ・ブライアント、水口栄二、岩隈久志ら近鉄に在籍した監督・選手に加え、最後の球団代表だった足高圭亮や、いまも近鉄バファローズを愛し続ける熱烈なファンなど、多数の関係者に徹底取材。近鉄バファローズの歴史をトピックごとに伝える9つの「表」章と、今回深く取材した選手ら近鉄関係者、個人の想いに迫った9つの「裏」章が交互に展開していく、まさに野球のような「表・裏」構成のプロ野球ノンフィクション」そのエッセンスを紹介しよう。
・近鉄バファローズのOB会が活動終了。2019年1月13日。スポーツ新聞に小さく載った記事。 近鉄が忘れ去られることは本当に「仕方ない」ことだろうか?消滅から15年「近鉄」を知る人は少なくなった。しかし「近鉄線」はどこかに残っているのだろうか?「近鉄詩最後の選手会長」 である礒部公一をナビゲーターに、3人の監督の教え子たち、「近鉄」という球団で育った選手たち。それを見守ったファンの証言をもとに「近鉄魂とは何か?」を探っていく。
・1973年11月。阪急ブレーブスを指揮した11年間で5度のリーグ優勝を飾った名監督・西本幸雄が同リーグのチームに移ることは、驚きをもって報じられた。「近鉄の投手陣は一流だし、打線さえ強化すればいいチームになる。いまのチームに欠けているのは打線のパンチ力、選手層、勝利への執念の3つだ。そこを直せば、きっと将来、日本一になれるだろう。2年以内に優勝チームに育てたい。たとえ、2分の1でも」
・羽田耕一「バットはかなり振りました。手のひらはボロボロで、もうバットを振りたくない。豆が潰れて、血が流れてくる 。最初は痛いんですけど、振っている間に麻痺する。バットから手を離して、また握るとすごく痛い。朝起きて、バットを振るのが嫌でねえ……すぐに血がにじんでくる。嫌だ嫌だと思いながら、バットを振らなきゃいかん」
「そのころから、試合の途中まで負けていても最後にはひっくり返せるという手応えをつかんでいました。それは西本さんの指導のおかげだと思う 。実際に、9回裏ツーアウトからでも逆転できましたから、試合が終わるまで『あきらめるな』とみんなで言い合っていました。自主トレ、キャンプ、シーズンを通じて培われた精神力ですね。西本さんは原石を見つけて、それを磨いて光らせる人。」
・山田久志「阪急のほうが技術的には上だったと思うけど、気持ちの面では押されていた。近鉄はムキになって攻めてくる。彼らの勝ちたい気持ちは強かった 。近鉄には、土のにおいのするやつばかり。球場自体も泥臭かったし、近鉄ファンよりも西本ファンのほうが多かったんじゃないかな。西本さんはよく『スター選手はいらない』と言っていたけど、みんなでまとまって戦う集団のほうがいいと考えていたと思う」
・2004年をきっかけに、プロ野球は変わった。近鉄が「人柱」になったおかげで、いまのプロ野球があると言っても過言ではない 。札幌、仙台、関東、名古屋、関西、広島、福岡。地域に根差し、愛される球団が増えている。
・鍛治舎巧(現・岐阜県立岐阜商業高等学校野球部監督)
「野球のフェアグラウンドは90度。この中できみたちは100%努力していて、満点をやれる。でも人間というのはそれだけじゃない。360度すべてに心配りができないと、野球に集中できないし、日本一にはなれないんだと。 その90度の3倍分の270度に何があるか。学校、家庭、地域。3つの理解と支援を得られなかったから、日本一にはなれない。地域の人に挨拶する。学校でもきちんとした生活をする。保護者にも協力してもらえないといけない。すべてが相まって、日本一があるんだ。グラウンドの90度は全体の4分の1でしかない」
・私はこの言葉を、プロ野球に置き換えて考えたい。90度の中で全力プレイをするのはプロ野球選手。それ以外の270度には、実にさまざまな人がいる。チケットを買って観戦・応援するファン、試合運営をするスタッフ、弁当やビール、グッズを売る人、試合の模様を伝えるメディア……。360度の中にいる人すべてが、いまの繁栄にあぐらをかくことなく、15年後のプロ野球、さらにその先の100年後のプロ野球を考えるべき だろう。
プロ野球ファンは必読だね。忘れられない球団だね。オススメです!(・∀・)