一日一冊一感動!小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

タイトルは、『一日一冊一感動!小野塚テルの感動の仕入れ!』日記。 毎日の読書、映画、グルメ、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。(ときどき「酒場のギター弾き」「B級グルメ」も紹介します)

「柳井正の希望を持とう」(柳井正)

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柳井正の希望を持とう (朝日新書)

柳井正の希望を持とう (朝日新書)

  • 作者:柳井 正
  • 発売日: 2011/06/13
  • メディア: 新書
 

 ♪〜毎日、毎日、僕らは鉄板の〜♪ じゃなくて、♪〜毎日、毎日「新型コロナウィルス」の報道ばかり〜♪!?(笑)

 

こんな危機的な状況のときに企業のトップはどう考えて、どう対策を打つのか!?ユニクロの柳井さんだったら、どうするのだろうか?その答えがこの本にあるっ!!!

 

ユニクロのカリスマ経営者が、元気のない日本のビジネスマンに向けて語る仕事論。人生は自分が主役だという信念を持ち、自分に期待すれば、どんなときでも希望を持つことはできる。自分に期待して、自分が人より少しでも得意な部分を探し、一生懸命に磨くことで必ず活路は開ける。業種、業界を問わず、すべてのビジネスマンに役立つ仕事に取り組む姿勢、ヒントが満載!」そのエッセンスを紹介しよう。

 
私たちは歴史的な転換点にいる。いい方向に行くか、それともダメージを受けたまま意気消沈するか。方向を決めるのは私たち自身だ。若い人たちにどうしても伝えたいことがある。それは、人生は希望を持たなければ生きていけない、とうことだ。理想や人のため社会のためという崇高な思いだ。どんなに苦しい状況下でも、希望を抱くことはできる。「頑張らない生き方」をすすめる本が巷にあふれている。だが、頑張らない人生には価値がない。私は「生きる」ことは、すなわち「頑張る」ことだと信じている。そうでなければならないとも思っている。
 
・2011年は「CHANGE OR DIE」(変革しろ、さもなくば、死だ)あえてこの歌劇な言葉を今年の方針にします。
 
不安、悩み、問題を解決するために、実行してきたことがある。若い頃は毎晩やるようにしていた。夜、寝る前に机の前に座り、頭のなかを整理する。現状の問題点をすべて書き出す。解決できることに関しては、解決までの工程表を作り、スケジュールを守って、作業に着手する。一方で、解決できないことは、考えても意味はない。考えないで放っておくしかない。そのうえで、視野を広げてみるといい。悩みや不安を持っていない人は地球上に一人もいない。権力者も金持ちにも悩みはある。人生は一度きり。解決できないことを悩んでいる時間はもったいない。それよりも、精一杯生きることを頭のなかに描いて日々を過ごす。ビジネスマンが悩むのだったら、もっと儲かること、もっと成長することを考える。まずは将来の理想を頭に描いてみよう。
 
・若い頃の私、ユニクロという言葉はまだ影も形もなく、毎日、店に立ち、洋服を売り、お客様に頭を下げ、自分で包装した商品を手渡し、もう一度、頭を下げた。ユニクロ第一号店を出すまでの11年間は、毎日がそういう日々だった。洋服について真剣に考えるようになった。あの頃、日本の何万軒かの紳士服店洋服店のなかの誰よりも、私は真剣に商売に取り組んだと思っている。成功している人には必ず、そうした「修行」の時代がある。
 
・従業員が辞め、2店舗を二人の社員で切り回さなければならない。商品の仕入れから経理、販売、人の採用まですべて一人でやることとなった。まずやったことは、習慣のようになっていた日々の仕事を自分なりに分析して「文章化」したことだ。仕入れとはこういうことだ。販売とはこうだ、という具合に…。そうやって整理して、自分の頭で理解し、少ない人数でもできるよう新しいルールを作っていった仕事を「目に見える形」にしたのだ。
 
宇部で仕事をしていた時代はとにかく本を濫読していた。ビジネス書を中心に文化や歴史の本も買いあさって読んでいた。洋服は大きく考えれば文化だ。音楽、映画、美術、文学の延長線上にあるもので教養を深めるためにもそうした種類の本を読まなくてはならないと感じていたのである。本を読むことは活字を追いながら経営を考えることだ。「本を読む」とは書いた人と対話すること書いた人の基本的な考え方は何なのか、書いた人はこのように言っているけど、自分だったらどうするか、どう判断するか、どう経営していくかをじっと考えながら本を読んでいった。読みながら線を引いていく、頭の中をまとめるために線を引きながら読む本からエッセンスを抜き出し、自分の考えを補強していくことにした。
 
マクドナルドが日本にくる前、日本にあった飲食店とは食堂、料理屋、レストランがほとんどだった。いずれも「食事」を出す店である。つまり昼食、夕食という、ふたつの時間帯だけがピークで、それ以外の時間はほぼ客が入らなかった。ところが、ハンバーガーショップには開店から閉店まで絶え間なく人がやってくる。しかも老若男女「いつでも」「誰でも」食べられるのはファーストフードなのだ藤田田さんは新しいマーケットを創造したのだ。私がやろうとしていたベーシックカジュアルは洋服の業界におけるファーストフードに例えられる商品だと思ったのだ。ハンバーガーが1000億だったら、服ならばもっと売れる。1兆円だって夢じゃない」「ファーストリテイリング」は「ファーストフード」から名付けたものだ。ユニクロの服は「世界のどこでも、いつでも、誰でも着られる服」にしようと決めた。
 
「毎年、確実に売れて、しかも、量が売れる服とはどういうものか」答えを文章にしたものが今でも当社では事務所や店舗に掲げてある。
 
ユニクロの服の定義」

 

ユニクロの服とは、服装における完成された部品である。

ユニクロの服とは、人それぞれにとってのライフスタイルをつくるための道具である。

ユニクロの服とは、つくり手ではなく着る人の価値観からつくられた服である。

ユニクロの服とは、服そのものに進化をもたらす未来の服である。

ユニクロの服とは、美意識のある超・合理性でできた服である。

ユニクロの服とは、世界中のあらゆる人のための服、という意味で究極の服である。

 

ユニクロはずっと品番を絞っている。なぜなら品質に責任を持たなくてはならなかいからだ。私たちは品質を抑え、1000万点以上のベーシックな商品を確実に売り切る会社なのです。そしてそのためには世界中のあらゆる人が欲しい商品でなくてはならない

 

「これを買ってください。これは絶対にいいものです」そう断言できる商品は売れる。逆に「これはどうかな」と少しでもためらいを感じて開発した商品の売れ行きは鈍い。お客様は売り手よりも賢い。売り手の逡巡などたちまち見抜いてしまう。ですから、絶対にだますことはできない

 

現場の人間が「困っている」と言ってきた場合は素早く解決へ導く。現場の人間がそう言ってくるのはよほどの時だ。切羽詰まった状態にあるのだから、店に飛んで行って解決することだ。そうして現場で問題点を分析して考える。そしてできる限りそこにいて、店長や現場の人間と一緒に解決する。

 

・「ユニクロ店長十戒

1.店長はお客様の満足実現の為、的確な商品と隙のない売場づくりに命を懸けろ

2.店長はサービス精神を発揮し、目の前のお客様のために全力を尽くせ

3.店長は誰よりも高い基準と目標を持ち、正しい方向で質の高い仕事をしろ

4.店長は鬼となり、仏となり、部下の成長と将来に責任を持て

5.店長は自分の仕事に、誰にも負けない自信と異常なまでの熱意を持て

6.店長は社員の模範になり、部下と本部に対してリーダーシップを取れ

7.店長は販売計画を考え抜き、差別化と付加価値を売場で生み出せ

8.店長は経営理念とFRWAYに賛同し、全員経営を実践しろ

9.店長は本当に良い服を良い店で販売し、高い収益をあげ社会に貢献しろ

10.店長は謙虚な心で、自分に期待し、どこでも通用する世界の第一人者になれ

 

・私は宇部という地方都市の商店街に紳士服の店を2軒、持っていただけだった。しかも、社員に逃げられてたった二人になった。あの頃、僕よりも頭が良くて、行動力があって、金もブレーンも持っていた経営者はたくさんいたと思う。私が持っていたものと言えば、誇大妄想とも言える夢、目標だけだ。そして、他人にはしゃべらなかったけれど、世界を相手に商売しようとずっと考えていた今の日本には、誇大妄想とも言えるくらいスケールの大きな夢が必要だ。自分にはできるんじゃないかと思いこむところから夢は始まる。

 

・蓄積した疲労を取るために、私は毎年、8月は第一週だけ働いて、あとは休むことにしている。ふだんも朝7時には会社に生き、午後4時から5時ごろには自宅に戻っている。どこへも寄らず財界人と会食することもない。土日も基本的には出社しない。社員にも早く来て早くよう言っている。心も体もある程度限度を超えると、無理した分が後で返ってくる。無理をするのはほんとうによくない。悩みすぎず、疲れきることなく、希望を持って日々の仕事に前向きに取り組んでいくことだ。

 

危機に際して、経営者として先頭に立つ。何かが起こったら、率先して情報を収集し、できるだけ早く対応策を決断し、具体的な行動に落とし込む。そしてその決断に沿って、各現場のリーダーが権限を持って、刻々と変化する現実に対応していく態勢を整える。この一連の動きを実行できるのは、組織においてはトップしかいない。また、従業員や社会に向かってはすぐに第一声を準備する。準備ができ次第、なるべく早く発信する。現実を直視することだ。不都合で過酷な現実であっても、それを直視し、受け止める、何をやるかを考えて実行に移す。例えば今回の原発の問題であれば、何よりも大切なのは情報公開だろう。発表するのにためらうような厳しい現実であっても,トップ自ら現実を説明すべきだ。ただしその場合「今は厳しい状況だが。いずれはこうしていく」と付け加える。そうして情報をきちんと公開していれば、従業員や世間一般との間に信頼関係ができる。危機に際して、世の中と信頼関係を築くのもトップの役割だ。危機の時ほど、トップの真の資質が問われる。危機に際してはリーダーが素早く適切な判断を下さないと致命傷になりかねない。

 

深い……何度も何度も読みたい、そして考えたい、そして行動したい。今こそ、この最悪の状況を受け止め希望を持とう!超オススメです!!!(・∀・)!!!

 

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柳井正の希望を持とう (朝日新書)

柳井正の希望を持とう (朝日新書)

  • 作者:柳井 正
  • 発売日: 2011/06/13
  • メディア: 新書
 

 

「ショージ君の「ナンデカ?」の発想」(東海林さだお)

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 小池都知事だけではなく、黒岩祐治神奈川県知事も、埼玉も、千葉も首都圏、関東地方すべての知事が週末の外出自粛をしているよね……前代未聞っ!!!(;・∀・) ということでワタシも週末はヒキコモリをすることにいたしました!(*_*)

晴耕雨読!こんなときはじっくりと読書しましょう!やっぱり自粛疲れでストレスがタマッているよね。そんなときはじっくりと東海林さだおセンセイの本で癒やされましょう!♪

カップラーメンの正しい食べ方を知っていますか?飛行機で「乗り慣れてるもんね」ポーズをとる秘訣は?駅の古新聞は拾うべきか否か?短足はなぜ長い足よりカッコいいのか?人が「お花見」をする訳は?etc.31の珍問に答えて、ショージ君はナント「社会人のための新しい常識&マナー集」をつくりあげてしまうのであります」そのエッセンスを紹介しよう。

デパートの地下食品売り場は、必ず地下一階にある。どのデパートも例外なくそうだ。「いえ当デパートの食品売り場は屋上です」ということはまずないこれはなぜであろうか地下一階でなくてはならぬ理由があるのだろうか。このナゾを解明すべく、ぼくはデパートの地下食品売り場に出かけていった。出かけて行けば解明できるというものではないが、事件の解明はとにもかくにも現場、というのが捜査の基本である。
 
・そもそも冷やし中華というものは、釈然としない食べ物なのである。ハム(あるいは焼豚)キュウリ、薄焼き卵、サヤインゲン、クラゲ、鳥肉、紅ショウガなど。きちんと同じ大きさに切りそろえられて並べられている。これらはいったい何を基準に、どういう考え方で選ばれ定着したのか。無秩序、無思慮、無節操、とにかく、定見というものがどこにも感じられない。一度、全国冷やし中華連合協同組合に(そういうものがあうかどうかしらないが)どういう了見でこういうラインアップがなされたのか聞いていたい気がする。なぜサツマ揚げ、チクワ、油揚が落ちたのか。キュウリが当選して、なぜトマト、ナス、ニンジンが落選したのか
 
鉛筆は偉い。鉛筆は筆記用具のトップに躍り出ようと思ったことなど一度もない公式の書類、手紙、表彰状、いずれにも鉛筆は登場しない。常に筆記具界の裏方に徹しようとしている。その謙虚は姿勢は高く評価されてよい筆も万年筆もボールペンも、インクの力を借りなければその機能を発揮しえない。インクを犠牲にして成り立っている。そこへいくと鉛筆は自らを摩耗させ、自分の生身を紙面にこすりつけ、自らを犠牲にしてその機能を全うするのだ。そして壮絶な最期を遂げるのである。だれにも責任を転嫁せず、だれをも恨まずすり減って死んでいくのだ。そこには潔い亡びの美学さえ感じられる。鉛筆に、勲一等旭日大綬章を授与するゆえんである。
 
「料理番組」「手提げカミブクロ」「敬称」「ソラ豆」「サンダル」「冷蔵庫の中」「即席ラーメン」「昔話」「頬ばる」「校歌」「お飾り」「コタツ」「福袋」など。
 
家にいるときは東海林センセイの本でストレス解消、リラックマしようっ!!!(;・∀・)

 

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「私の夫はマサイ戦士」(永松真紀)

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私の夫はマサイ戦士

私の夫はマサイ戦士

 

いや〜このタイトルがスゴイ!中身がスゴイ!!!これってホント!?こんな日本人女性がいるんだね〜!一気に惹き込まれて読みましたっ!(・∀・)

 

「赤道直下のケニア共和国。首都ナイロビから遠く離れ、野生動物が群れをなすサバンナの真ん中にある小さな村が、永松さんの嫁ぎ先です。夫のジャクソン(推定30歳)は、7頭のライオンと象を仕留めたという勇猛果敢な本物の戦士シャワーもトレイも、電気すらもない。でもどこか温かいマサイ村での、二人の暮らしぶりは......」そのエッセンスを紹介しよう。

 

なぜ日本人でありながらマサイと結婚することになったのかしかも第一夫人ではなく、第二夫人です。しかもなぜ仕事が続けられるのか。何よりも、一度は嫌いになって離れたケニアになぜ舞い戻り、ケニアに一生関わっていく覚悟を決めたのか。そのお話をこれからしていきたいと思います。
 
ケニアの人工は約3240万人。うち、マサイ族は推定30万人。40〜50の民族が存在し、それぞれ違う言葉や習慣で生活をしています。赤く染めた長い髪、赤い布をまとったファッション、黒い肌に映える色とりどりのビーズアクセサリー、驚異のジャンプ力を見せるダンス、ライオンを倒す野性の魅力ー日本人にとってマサイ族は、典型的なアフリカをイメージする民族であることは間違いありません。ケニア人にとってもマサイ族は特殊であり、彼らを “ 遅れている民族 ”と馬鹿にする向きもありますが、彼らは決して文明社会から “ 遅れてしまった ”わけではなく、自分たちの生き方に誇りを持ち、便利な文明社会で生活するよりも、伝統的な生活を望んでいるのです。
 
・マサイの男性には大きく分けて少年期、下級青年期、上級青年期、長老期、最長老期といった5つの世代があります。下級と上級青年期のふたつの時期は戦士時代と呼ばれます。いずれの世代もそれぞれの儀式があり、それらすべての儀式を通過してから、ようやく次の世代に移ることができるのです。最初に通過する儀式は「割礼」です。
 
男と女が別々に生活しているのもマサイの特徴的な習慣です。たとえ夫婦でも食事は別、寝るのも別、水浴びにも一緒に出かけることはまずありません彼は私に一度も「好きだ」とか「愛している」といった愛の言葉を囁いたことがありません。おそらくマサイにはスキンシップの習慣がないのでしょう。抱き合うことも、キスをすることもないのです。彼らにとって「愛する」ということは「信頼する」ということなのです。男と女が一緒に並んで歩くことすらないのです。あえてマサイの愛情表現に形を見出すとすれば、それは家畜の数かもしれません。女たちが求める男からの愛情表現は家畜をもらうことなのです。
 

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マサイにとって最も重要なことは年長者を敬うこと。モラルを持つこと、マサイの伝統文化を尊重すること、すべてのマサイの文化を実践することができなくても敬意をもつこと。
 
マサイの嫁として私が必ずやらなければならないことーそれは財産でもある家畜を持つことと、家を建てることでした。
 
・「マサイにとって死とは何ですか」「終わり。何もない」
「不安はないですか」
 
→「不安は雨のことだけ。雨さえ降れば牛も元気だし、人間も病気をしない。元気でいられる」
 
「人生の迷いはないですか。迷った時はどうするんですか」
 
→「人生に迷いはない。もし分からないことがあれば、長老に相談すればいい。長老は正しいことを知っている。だから何も迷わないし、不安もない。悪い結果は考えない。もし問題に直面したら、そのときに考えればいい。日本人は悪い結果のことしか考えないから前に進めないのでは?」
 
「何か一つ、日本から持って帰れるものがあるとしたら、何を持って帰りたいですか」
 
→「いつも枯れることなく流れている、日本の川を持って帰りたいです」
 
 
「偶然聴いた『風に立つライオン』」「私を虜にした「マタトゥ」」「見えてきた本当のケニア」「『沈まぬ太陽の恩地元のモデル・小倉寛太郎さん」「マサイ最大の儀式「エウノト」」「ジャクソンとの出会い」「血と神が決めた」「結納金は牛四頭」「悩みが尽きない性生活」など。
 
こんなことって成り立つんだね〜!「性格の不一致」なんてもんじゃないよね〜!もし離婚を考えている人は必読っ!「マサイ族」のように、異文化は違う考え方を尊重することが学べる。超オススメです。(・∀・)

 

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私の夫はマサイ戦士

私の夫はマサイ戦士

 

 

「絶対音感」(最相葉月)

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絶対音感 (新潮文庫)

絶対音感 (新潮文庫)

 

 「流し」「酒場のギター弾き」であるワタシは、リクエストをいただいてその場で伴奏ができる絶対音感」はないのだが相対音感」があるので「耳コピー」ができるのだ。メロディーを聞くとコードが浮かんでくるのだ!(・∀・) ♪

 

SAトレーナーの目のつけドコロ!:小野塚:耳コピー!?

blog.livedoor.jp

なんで出来るの!?と言われても困る。ギターを初めて一、二年で突然身についた能力なのて後天的なのだ。

 

絶対音感」とは音楽家に必須の能力なのか?それは音楽に何をもたらすのか――一流音楽家、科学者ら200人以上に証言を求め、驚くべき事実を明らかにする。音楽の本質を探る、ベストセラーノンフィクションの文庫決定版」そのエッセンスを紹介しよう。

 

絶対音感は家族や他人によって発見される。そして、その瞬間の記述は劇的である。音を自在に操る魔法の杖か、楽家への道を約束する手形か。一般人には手の届かない特別な才能、驚異の耳の持ち主というイメージは増幅し、やがて異能の人とされる。
 
絶対音感があると、鳴っている音が全部すぐにわかります。たとえば、今この店に流れているBGMも全部わかります。楽譜も書けます。ない人に比べるとその作業が非常に速い。でも何かをやりながら音楽を聴くことができないんですね。本や漫画ですら進まない。頭に入ってこない。音楽にどうしても意識がいき、すごく聴き入ってしまうのです。
 
オンド・マルトノ奏者の原田節(たかし)私にはそれぞれの調が、固有の色彩とともにイメージされるんです。ちょうど水墨画の濃淡ぐらいのイメージでしょうか。ハ長調ニュートラルで、シャープやフラットがないほうが透明感があるように感じます。フラットが5つぐらいつくと、グレーがだんだん濃くなるというイメージがあるんです」
 
物心がついたときから絶対音感を手にしていた彼らにとって、それがない世界とは昔の記憶を記憶を消し去ることに等しいからだ。そして、絶対音感が音楽をやっていく上での才能なのかどうかも、失ったことがないから答えられない。「親からもらった財産です」と明言するピアニストもいる。
 
絶対音感を天性のものとする考え方もありますが、音楽関係者の間では、以前から日本人には絶対音感を持つ人が多いといわれています。このため何か社会的な要因があるのではないかと考えて、早期教育の現状を探ろうとしたのです。
 
「人間は本来、すべての人が絶対音感を持っており、成長にしたがって失っていく」私は、こんな言葉がまことしやかに囁かれているのを取材過程で何度か耳にした。つまり絶対音感教育とは、放っておけば自然に失ってしまう絶対音感を記憶に固定させる訓練というのだ。この表現が正しいかどうかはわからないが、逆に、絶対音感は決して特殊な能力ではなく、徹底して訓練すれば、誰でもかなりの人が持つことができるのではないかとも想像される
 
音を聴くと色が見える。たとえば、トランペットの音を聴くと必ず赤色が見えたり、ある特定の旋律を聴くと金色が見えるという人々がいる。これは色聴といって、視覚と聴覚が連携することから共感覚というが、生理的メカニズムは科学的にはまだ解明されていない。
 
絶対音感モーツァルトメンデルスゾーンといった有名な作曲家たちは持っていたといいますが、シューマンなどはなかったといわれています。私の印象では、絶対音感と音楽的な才能や創造性はほとんど関係性がないように思われます。持っていれば便利で、どっちつかず音が狂って聞こえるなど、時には非常にやっかいであったりもするそうです」(脳神経外科オリバー・サックス
 
1939年の国際規約において、気温摂氏20度でA音=440ヘルツと制定されたにもかかわらず、オーケストラの基準音は上昇し続けている日本の場合は主要オーケストラ、音楽大学ヤマハなどは442ヘルツ。ベルリン・フィルやウィーン・フィルは445〜446ヘルツ、イギリスは440ヘルツ、アメリカは440〜442ヘルツとまちまちなのである。周波数が高くなることで音に張りが出る、華やかになる、つやが出るなどの効果があり、NKK交響楽団のようにホールの音響との関係から442ヘルツを採用したというケースもあった。このような事態になれ、440ヘルツで絶対音感のがついた人は、それ以外の基準音で演奏される音楽を享受できないのではないかいう問題が生じるわけである。
 
音符を見た瞬間頭の中で鳴り響く音と、実際に指が叩いてる鍵盤から聴こえてくる音の高さが異なることによる聴覚と視覚の不一致による混乱は、移調だけではなく、古楽器や周波数を代えるつまみのついて電子ピアノなどを弾いた場合にも起こるのは、絶対音感の欠点である。
 
絶対音感は物心がつく前に親や環境から与えられた、他者の意志の刻印である。音楽を職業とするには、それだけではまったく不十分なのである。
 
バーンスタイン音楽を理解するのに、シャープやフラットや和音なんで専門的な知識なんか必要ない音楽が僕らに何かを語りかけてくる。物語や絵ではなくて、感情を運んでくる。音楽を聴いて、心のなかに変化が起き、そして音楽が僕らにくれるたくさんの素敵な感情に身をまかせることができたとき、そのとき僕らは音楽を理解しているってことになるんだ。音楽とは、まさにそれに尽きる」
 
「音楽は本当のところ,決まりなど何もないのです」
 
「音楽は人類究極の謎であり、音楽の謎が解き明かされれば人類進化の謎の多くも解かれる」文化人類学クロード・レヴィ=ストロース
 
・「プロになるということは、川の向こう岸に立つということです。好きでないとできないけれど、好きだけでは絶対できない。誰にも頼ることはできない。ソロの演奏家なら、一人で多くの人の前に裸で立つ勇気を持っていない限りやっていけない。音を紡ぎ、自分を表現できる音楽家って幸せですねといわれますが、紡ぐ音なんて見えない、どこにもない。その音を探すことから始めるわけだから途方に暮れるのです。少しでも幸せではないです。だけど、最終的には何かの幸せが祈られていて、そのために生きていくのでしょうね」
 
「ピアニスト園田高弘の父・清秀の絶対音感教育」「笈田光吉は音感教育を3冊の『絶対音感及和音感教育法(上・中・下巻)』と息子の笈田敏夫」「デジタル時計とROLEX」のエピソードと例え話はわかりやすい。

 

そおかあ!絶対音感を身につけたかったけど、デメリットもあるのかあ……実に深イイ。音楽って不思議だね。音楽好きの方、必読!超オススメです。(・∀・)

 

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絶対音感 (新潮文庫)

絶対音感 (新潮文庫)

 

 

「お金の思い出」(石坂啓)

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お金の思い出 (新潮文庫)

お金の思い出 (新潮文庫)

 

学生の頃、もうマンガを読まなくなったころ、唯一読んでいたのがヤングジャンプ石坂啓「安穏族」。さすが手塚治虫センセイのアシスタント経験者。実に考えさせられる作品だった。実家にまだ単行本あるはずだなー!再読したいなあー!

 

「父親の事業の倒産がビンボーのはじまりだった。苦労知らずのお嬢様のキャンパス・ライフは、アルバイト暮らしの日々へ急転回。ウェイトレスに訪問販売、塾の講師…艱難辛苦を乗り越えて手塚治虫のアシスタントとなり、きびしい修行と遊びの毎日から憧れのプロのマンガ家デビューを果たすまでの面白おかしくケッタイな日々を描く、熱血青春奮闘記。まさに、赤貧笑うがごとし」そのエッセンスを紹介しよう。

 
私はかなり早い時期からマンガ家になりたかった。高校を出たらすぐ上京して手塚治虫先生のアシスタントをしたい、それからマンガ家になりたい、いやなるんだ、なれるんだと12、3歳の頃からずーっと思っていた。70年代は芸術家イコール貧乏」みたいな図式がまだ生きていた。お金をケチるのはたいてい食費からだ。外食なんて発想は頭からなく、私はいつも豆腐か卵かモヤシを順番に炒めて食べていた。スーパーで3個100円のインスタントラーメンをまとめ買いし、朝はラーメンの麺だけたべ、夜はその汁でパンかごはんを煮こむなんてこともした。
 
学食で60円のごはんだけ注文して塩をかけてたべていたら、食堂のおばさんが見かねて椀に入った汁をくれた駐車場に芹がはえているのをみつけては大喜びでひっこ抜き、畑に間引きして捨ててあるネギをホクホクもらっては帰り、プランターになったパセリや二十日大根をやたらと食った。ヘルシーな食生活。肉はほとんど食べなかった。買おうとも思わなかった。
 
78年のころ手塚治虫年生は雑誌連載をいくつも抱えておりアシスタント希望者も多かった。採用試験は5人採るところに300通ほど応募があった。よく入れたナーと思うのだが「入りたい!」の一年だけで合格できたようだ。給料は8万5千円、手取り7万8千円。そこそこ悪くない待遇だった。先生のお仕事を手伝えるだけで光栄なのにお金までいただけるなんて……」といった気持ちでいたから、まったく大喜びだった。
 
・FAXがなかった時代。仕事場から写植屋さんに電話でネームを読み上げることもよくあった。ブラック・ジャックピノコちゃんの独特のピノコ語を担当者が電話で送るのをきいていると、もう抱腹絶倒におかしいのだ。何日も泊まり込んでいるいかつい風貌のAさんが、疲れて殺気立った(・∀・)で受話器を取り、ピノコのセリフを読み上げる。「もちもち、110番?」「先生をさがちてゆの。ろうちても連絡といたいのよさ……」「今シキューガイニンチンってシウツしてんの。わかゆ?ニンチンーッ」険しい空気の中でアシスタントたちはみんな下を向いて笑いをこらえてペンを持つ手がフルフルと震えていた。
 
特に、「百円に泣く」は、あるあるネタ。私も学生時代、やったなー!(笑)自分の赤貧時代のことを思い出す。オススメです。(・∀・)

 

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お金の思い出 (新潮文庫)

お金の思い出 (新潮文庫)

 

 

 

「夜中の薔薇」(向田邦子)

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新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)

新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)

  • 作者:向田 邦子
  • 発売日: 2016/02/13
  • メディア: 文庫
 

 遅ればせながらハマっている向田邦子さんの本。今年は全作品読破を目指しています。古いんだけど、それでいて色褪せない文章。思わず引き込まれてしまう。

 

気に入った手袋が見つからなくて、風邪をひくまでやせ我慢を通した22歳の冬以来、“いまだに何かを探している”……(「手袋をさがす」)。凛として自己主張を貫いてきた半生を率直に語り、人々のありふれた人生を優しい眼差しで掬いあげる名エッセイの数々。突然の死の後も読者を魅了してやまない著者最後のエッセイ集」そのエッセンスを紹介しよう。

 

「かあさんが夜なべをして手袋編んでくれた」という歌がある。この歌を長いこと野球の歌だと思っていたかたがおいでになった。「せっせとあんだだよ」というところを、「節制と安打だよ」少年時代にこう歌っていたというのである。
 
・テレビのドラマを下記、片手間に随筆を書いていた50過ぎの女が、これまた片手間で書きはじめた短篇小説で思いがけない賞をいただいたことは、幸運であり幸福であろう。この題をつけたときには思ってもみなかった成り行きである。直木賞という台風は、マンションでぼんやりと暮らしていた日常をなぎ倒して過ぎていっ。賞の重さといただいた嬉しさが身に沁みて判るのは、嵐のあと始末が終わった頃のような気がしている。
 
好きな本は二冊買う。時には三冊四冊と買う面白いと人にすすめ、強引に貸して「読みなさい」とすすめる癖があるからだ。貸した本はまず返ってこない。あとで気がつくと、一番好きな本が手許にないということになる。私は読んでいる途中、あるいは読み終わってから、ぼんやりするのが好きだ砂地に水がしみ通るように体のなかになにかがひろがってゆくようで「幸福」とはこれをいうのかと思うことがある。
 
夕食にビールがないと刑務所に入ったみたいで(入ったことはないのだが)気落ちして、書くものも弾まなくなる。
 
「箸置も置かずに、せかせか食事をするのが嫌になったのよ」彼女の言葉が、胸に突き刺さる。一人暮らしだが、晩ご飯だけは箸置を使っている。だが、夕刊をひろげながら口を動かしたりで、物の匂いや色をゆっくり味わうことはめったにない。これでは何にもならない。ときどき箸を休めながら食事をする。それが人間の暮らしだと言われたのである。
 
これはもう河でない。海だ。アマゾン皮の岸辺に立ってそう思った。天に到る水である。向こう岸はかすんで見えない。アマゾン河は濃いおみおつけ色である仙台味噌の色でる。そこへ、八丁味噌のリオ・ネグロとよばれる黒い川が流れ込む。
 
私は決めたのです。反省するのをやめにしようーと。中途半端な気休めの反省なんかしないぞと居直ることにしようと思ったのです。私は「清貧」という言葉が嫌いです。それと「謙遜」という言葉も好きになれません。清貧はやせがまん、謙遜は、おごりと偽善に見えてならないのです。
 
「夜中の薔薇」「おの字」「桃色」「四角い匂い」「直木台風」「細い糸」「ことばのお洒落」「お釣り」「下駄の上の卵酒(酒中日記)」「小者の証明」「傷」「討ち入りそば」「食わらんか」「海苔と卵と朝めし」「里子」「麻布の卵」「イタリアの鳩」「楽しむ酒」「ベルギーぼんやり旅行(猫祭り)」「アマゾン」「寺内貫太郎の母」「男性鑑賞法」「手袋をさがす」「女を斬るな狐を斬れ」「わが特派員」そして「新装版 解説」爆笑問題太田光の文章は、愛情が伝わる……分かるなあ……。惚れてしまうのも分かる気がする……。ワタシも向田邦子さんに惚れました!超オススメです。(・∀・)

 

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新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)

新装版 夜中の薔薇 (講談社文庫)

  • 作者:向田 邦子
  • 発売日: 2016/02/13
  • メディア: 文庫
 

 

「ある日突然 40億円の借金を背負うーそれでも人生はなんとかなる。」(湯澤剛)

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この本のことを友人のfacebookで知り、驚愕した。「事実は小説より奇なり」というけどこんなことがあるのだろうか!?そして先日、著者の湯澤剛さんにお会いすることができた。湯澤さん、ようやく読むことができました!

 

「人も羨むようなエリートサラリーマンだったにもかかわらず、父の急逝により、家業と莫大な借金を受け継ぐことになる。その額、40億円。継いだ企業は「会社」と呼べないほどの崩壊状態、家にも督促の電話がかかってくる日々。やっと調子が上向いたと思えば、店の火事、ベテラン社員の死、食中毒事件と、驚くべき不運が続く。しかし湯澤氏は、何度倒れても立ち上がるボクサーのようにKO寸前でよみがえり、ついには「80年かかる」といわれた返済を目前に控えるまでにこぎつけた。人生、いつ、何があるかわからない。今どんなに“のっている”人も、今どれほど追い詰められている人も、湯澤さんの数奇な体験に胸が熱くなり、勇気をもらえる。机上の空論や飾り言葉ではない、真の「経営論」「人生論」がここにある」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
連帯保証人でもないのに会社を引き継いで、背負った借金が40億円。父の葬儀の直後、私が初めて本社事務所を訪ねたときから、株式会社「湯佐和」は資金ショートの連続だった。ショートなどという生易しいものではなかった。金庫がすっからかんのところへ「7日以内に1200万円を用意できなければおしまいですよ」と畳み掛けられ仕方なく10日ほど勤め先を休んで社員の相談に乗っているうちに、気づけば私は「社長」と呼ばれるようになっていた。どれだけ必死に対応しても、ありとあらゆるトラブルが毎日のようにこれでもか、これでもかと襲ってきた
 
・地下鉄飛び込み未遂事件や、立て直しの兆しが見えてきたところへの狂牛病問題、食中毒での新聞沙汰、失火による店舗の全焼、信頼する社員の死、ベテラン社員の退職、まさに悪夢のような日々だった。16年間、泥の中を這いずり回り、何度も川に突き落とされるような人生を送ってきたが、時は経ち、2015年5月、私は借金をほぼ返済した。36歳だった私は、52歳になっていた。
 
・私はお伝えしたいのは、仕事や人生において、死んでしまいたくなるような苦境に陥ったときに脱出するための方法と考え方の一例である。
 
「朝の来ない夜はない」「Never Never Never Give Up」私はこの言葉に命を救われた。
 
地獄に暮らす際に私が正気を保つためにやってきたこと
 
1 自分の心の状態を常に把握する努力
2 言葉遣い 何でもいいからプラスの言葉だけを口にしていた
3 自分が見るもの、聞くものに気を配ること たとえば本や映画に救いを求めること
4 原因を自分に探すこと 「自分が源」という認識
5 宇宙に思いを馳せること
 
 
「グループ33店舗にたった2人の店長」「天気予報に怯える日々」「崩壊していた店舗」「疑心暗鬼、被害者意識の塊となる」「自分を支えていたのは、恐怖」「5年だけの勝負」「絞る、決める、ブレない」「正気を保つ方法」「不安と恐怖からくるわくわく感へ」など。
 

究極のリスクマネジメントを学べます。スゴイです。壮絶です。超オススメです。(・∀・)

 

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