酒場のギター弾き 小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

GOURMET〜玉ねぎ天を探して8…「信濃路」(平和島)

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玉ねぎ天そば  350円
信濃 
大田区大森北6-27-5(平和島駅前) 
5:30~24:00 日休
 
立ち食いそばが好き。中でも天ぷらは「玉ねぎ天」が好き。ところが案外、ないのよ!
まあかき揚げ」はフツーでしょ!でもエビもニンジンもいらない。純粋に「玉ねぎオンリー」が好きなのよ!でも置いてあるお店が案外ないのだっ!なので「玉ねぎ天を探して」の旅に出ているのだっ!!!
 
さあ、このお店。以前から食べているんだけど京急で素通りしていましたー!平和島駅改札のど真ん前っ!信濃路」といえば、大森、鶯谷とかにある、朝から飲めるディープなお店。大好きっ!
 

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左奥のカウンターでは、朝から飲んでいる人が多数。いいなあ、仲間に加わりたいなー!という気持ちを抑えて、カツカレーセット630円に後ろ髪惹かれながら。

 

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玉ねぎ天そばをオーダー。350円だよー。安いなあー!!!

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暑い日にピッタリの黒い、ちょっぱい味。玉ねぎ天は揚げたてじゃなけどふわっふわっ!多めのネギがウレシイんだよね〜!

 

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朝、6時から飲めるってスゴイ。お店もお客も!(笑)ここは使い勝手、いいなー!度々利用することにしよう。オススメですっ!「玉ねぎ天探しの旅」は続く……。

 

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「天才 勝新太郎」(春日太一)

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勝新太郎といえば、座頭市座頭市といえば勝新太郎だけどテレビも映画も一度も観たことがない。ピークを過ぎていたんだろうなあ。あの大麻パンツ事件」と撮影現場での「真剣死亡事故」が30年以上前だから遠い昔になったね。

 

さて、この本、そうかあ!勝新太郎は天才だったんだー!♪

座頭市」と豪快な勝新伝説で知られる勝新太郎。本書は映画製作者としての勝とその凄まじい現場をスタッフの証言を元に再現し、繊細すぎる実像を浮き彫りにする。純粋さが加速させる狂気のノンフィクション」そのエッセンスを紹介しよう。

 

・この時期の勝の現場に台本はない大まかな筋立てだけを用意して、あとは現場での即興の演出によって芝居は組み立てられていく。偶然生まれるものが完全なものだ」それが勝の思想だった。勝にとってはフィルムが原稿用紙なのだ。そのため、撮影後に物語の破綻がないように、スクリプター(記録係)が勝の演出を録音して物語の展開を記録していった。それを基にテレビ局に納入する「完成台本」が作られる。
 
自らのアイディアが跡形も残らないほど現場で変えられる勝との脚本作り。普通の脚本家なそれを怒りそうなものだが、中村努はそうした創作スタイルを歓迎していた。なにもないところから現場がスタートしますから、こちらも不安でしたよ。でも、勝の思いつきで、ピッタリと設定が決まることがあるんです。あの頃はまさに奇跡としか言いようがありませんでした」当時、勝は真田にこう言ったという。「神が天井から降りてくるんだよ」勝新太郎はまさにこの時、「神」に愛されていた。だが、それでも勝は満足しなかった。
 
「採算を考えるなら会社をやる意味がないんだよ!」それが社長・勝新太郎の口癖だった。もう妥協はしたくないスターとして金はいくらでも稼ぐことができる。ここは、金儲けの場ではない。自分の理想を実現するための場だ。そのためなら金は惜しくない。だが、どうすれば自分の理想とする映画作りができるのか、自分の納得する映画ができるのか。勝はその方法を何ら見いだせていなかった。
 
「千里の道を行き、万感の書を読む」ー我が意、得たり!勝は興奮する。「心ある。本当の道をめざす人間は、自分だけの道を歩かなければならない。あえて、今まで、誰もが歩かなかった道を歩かなければならない。千里の道をあるいていくなかで、心に芽生えた疑問、芽生えた愛、芽生えた醜さ、芽生えた尊さ、いとおしさ、いつくしみ、すべてを、自分だけにしか表現できないやり方で、表現しなくてはならない。それらを、心ゆくまで発酵させ、人々が長いこと見なれてきたものが、いかに退屈だったかを悟らせなければならない」
 
・テレビに移ってからの勝は座頭市物語の現場で、一切の妥協を許さずに理想を追い求めてきた。そのため、人の書いた脚本、人の演出に満足がいかなくなっていった。結局、自らが脚本を書き、演出をすることになった。むしろその方が、理想の純度を高めることができ、満足いく作品を作ることができた。それを繰り返すうちに、勝はすべてを自分でやらないと落ち着かなくなる。座頭市のことはオレにしかわからない。
 
「視聴者に言っておけ!オレの作品が始まったらテレビの前に正座して1カットもも逃さないようにとな!」
 
「オレには神が付いている。その神が降りてくれば、いつでも撮れるんだよ」
 
・勝は、自らの築き上げた「勝新太郎という理想像にがんじがらめになって、身動きがとれなくなっていた。勝新太郎は次も何かやる」「勝新太郎は必ず凄いことをやってのける」高すぎる理想へのプレッシャーを抱え、前に進むことをためらった。映画を作ることも、出ることも、勝は怖くなっていた。そして、勝は段々と映画の話をしなくなっていった。
 
「それならCMをカットしろ」「錚々たる役者たちが出演を希望」「目をつぶしてくれ!」「緒方が好きだから斬れない」など。 

 

じっくりと勝新太郎の演技を見たくなりました。オススメです。(・∀・)

 

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「愛唱歌ものがたり」(読売新聞文化部)

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いや〜!この本いいわー!じっくりと読みました〜!かつて読売新聞日曜版に連載されていた「名曲を訪ねて」の連載を書籍化。これ、ワタシの愛唱歌版をつくってみたいわー!♪ (・∀・)

 

「かごめかごめ」「影を慕いて」「鉄腕アトム」「翼をください」「大きな古時計…。世代をこえ歌い継がれてきた愛唱歌は、どのように生まれ、人々のこころの中で育まれたのか。唱歌・童謡をはじめ、流行歌、民謡など幅広いジャンルの66曲を採りあげ、秘められた逸話を探る。好評『唱歌・童謡ものがたり』の続編」そのエッセンスを紹介しよう。

 

どんな歌にも「作者」と「愛好者」がいる。僕らはその両方の立場から、資料を調べ、関係者を捜し彼らの思いや体験を集めて、各々の歌の「時代」を浮き彫りにするー。それは記者冥利に尽きる作業だった。問題は、明治・大正の「唱歌・童謡」には「作者」の顔が見えない歌が多いことだ。作者不詳。何とか特定できたとしても、はるか昔に没しており、遺族をたどることも難しい。『愛唱歌ものがたり』は、そんな記者たちの不安を払拭する、切り札として登場したのである。


「オウマ」(作詞 林柳波 作曲 松島つね)

 

四方を山に囲まれた群馬県沼田市林柳波(本名・照寿)(1892−1974)の母校。市立沼田小学校はその市街地にある。校庭には柳波自筆の『オウマ』の詩碑が建ち、死はh正規にわたって後輩たちを見守り続けている。

『オウマ』『ウミ』とともに、1941(昭和16)年に出た国定教科書『ウタノホン上』に採用された。その原型になった詩が、31年に発表した詩集『水甕(みずがめ)』に収められたいると二女の小枝子(78)が明かす。

柳波は娘たちを連れてタクシーでドライブに出かけるのが好きだったという。まだ小枝子が幼かったこと、いまは新東京国際空港となった千葉県成田市三里塚御料牧場を訪れたことがあった。母馬が何度も後ろを振り返りながら、なかよく子馬と歩いているのがほほええましくて、姉たちといつまでもその様子を見ていた。そんあ娘たちの姿を、柳波は優しく見守っていたという。

 

「三匹お馬は親子です/牧場に棲んでる親子です/いつでもならんで歩きます」

 

大正のころまで同市では、どこの農家でも馬を飼っていた。荷物を積んだ親馬が、後から付いてくる子馬を心配そうに見ながら歩いてゆく景色が、生活の一部としてと溶け込んでいたという。

そんな『オウマ』は、95年度を最後に教科書から姿を消した。馬が身近にいなくなり歌詞が共感を得にくくなたことなどが理由だという。詩碑がある沼田小でさえ、歌詞は知っていても歌えない子が増えているのが現状だ。


「雀の学校」(作詞 清水かつら 作曲 弘田龍太郎)

 

歌詞中の「鞭」は、タクト代わりに「先生」が降る教鞭を指している。大正期の典型的な光景を雀に置き換えたかわいらしい歌なのだ。「チイチイは鳴き声、パッパは羽ばたきの音。群雀のかわいらしい生態を素直に描いているから幼稚と思われがちですけど、実は身近な風景を歌にするほど難しいことはないんです」


「背くらべ」(作詞 海野厚 作曲 中山晋平

 

厚は19歳で故郷・静岡市を離れて上京しているが、詞が「をととし」なのは、作詞当時、実際に二年間帰郷できなかった事実があったからである。末弟の春樹は小学生三年生でちょうど羽織の紐が気になる年ごろだった。17歳歳下の春樹は特別な弟だった。共に暮らす期間が短く、弟の成長は時折の帰郷で確認していた。それだけに二年も帰れなかったことが「弟も淋しがっているだろう」という気持ちをつのらせ「背くらべ」創作へとつなながった。

 

その他、「おもちゃのマーチ」「かごめかごめ」「あめふり くまのこ」「お猿のかごや」「とんぼのめがね」「どんぐりころころ」「七つの子」「かもめの水兵さん」「船頭さん」「洒落男(二村定一)」「箱根八里」「汽車(大和田愛羅)」「はしれちょうとっきゅう」「琵琶湖周航の歌」「ウミ」「テネシー・ワルツ」「時には母のない子のように」「男はつらいよ」「おてもやん」「お正月」「きよしこの夜」「中国地方の子守唄」「大きな古時計」「長崎の鐘」「軍艦行進曲」「月光仮面は誰でしょう」「モスラの歌」「元寇」「黒田節」「すべての人の心に花を」「翼をください」「空よ(あなたのメロディー)」など。

 

歌の背景にある心や想いを知ることができ、歌ごとの味わいがあるわーー!瀧廉太郎、いいなあー!これ、こんどの高齢者向けの「流し」で歌うリストができた。オススメです!(・∀・)

 

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「名セリフどろぼう」(竹内政明)

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読売新聞の名物コラム 編集手帳の執筆者の竹内政明氏。いいよね〜!この文章を読むために新聞を買ってもいいくらい。氏の著作を何冊か紹介してきたけど、この本もよかったよね。

 

lp6ac4.hatenablog.com

 

さあ、その続編ともいうべき本がコレ。「倉本聰向田邦子山田太一……テレビの黄金期を彩るドラマのセリフを引用しながら超一流の読み物に仕上げる名人技の感動、再び」そのエッセンスを紹介しよう。


都はるみさんの歌ったアンコ椿は恋の花(詞・星野哲郎曲・市川昭介)に「アンコ便りは ああ 片便り……」とある。こちらが便りをしたためたのに、あちらからは返事が来ないのを「片便り」という。こういう言葉をつくらねばならないほどに、返信の有る無しは昔からの悶着の種になっていたようである。

 
・落語『化物使い』(目も鼻も口もないノッペラボウの女を見て)「気にするこたァないよ。ンなもん、なくたっていいんだよ。サバサバしていいじゃねェか。ねぇ⁉なまじ目鼻がついてんで苦労してる女ァ、いくらもある」(京須偕充編『志ん朝の落語4』)
 
・いままでに、私をフッてくれた人たち、ありがとう。おかげでこの息子(こ)に会えました。(木次洋子 愛知県・33歳・主婦)
 
【小さな靴 高田敏子】
 
小さな靴が玄関においてある
満二歳になる英子の靴だ
忘れて行ったまま二ヶ月のどが過ぎていて
英子の足にはもう合わない
子供はそうじて次々に
新しい靴にはきかえてゆく
おとなの 疲れた靴ばかりのならぶ玄関に
小さな靴は おいてある
花を飾るより ずっと明るい
 
恋が着せ、愛が脱がせる (眞木準の伊勢丹のポスター)
 
 
新之助「母親が、母親の立場を忘れて女にもどることもあり得るンでしょうか」
渋沢「さよう。女性の体の中にはは、一つのスイッチがありましてな」
新之助「スイッチ」
渋沢「ハイ。母としての立場と女としての立場、その双方への切替装置のな」
新之助「ー」
渋沢「ふつうはそれがサアモスタットになっとって、まァおおむね母側にセットされとるです。……ところが時々オーバーヒートしますとな、カチャリと女側へ切り替わる。中には自動的に切り替わる前に、自分でスイッチをひねるものもおるです
 
・雲「ももひざ3年尻8年って言葉知ってますか?」
沖田「ハ?」
雲「女に触るにも年季がいりやしてね。まァいやがられずに触るには、ももやひざなら3年、尻には8年のキャリアがいる
 
向田邦子『家族熱』
 
朋子「返事に困ると、たばこ、すうのね」
杉男「『ノオ』の時は、尚更ね」
朋子「便利なものね、たばこって」
杉男「そうでなきゃ、こんなに売れないよ」
 
「B29?えっ、そんな柔らかい鉛筆があるの?」
 
・「母から生まれ、妻をめとり、娘3人、女子校勤続25年。それでもわかりません」(伊賀洋昭)
 
黒柳徹子さんの若い頃。先輩の披露宴で、新郎とは偶然にも教会の日曜学校で昔からの顔見知りだと知る。新婦側を代表して祝辞を述べるとき、是非ともその奇縁に触れたい。「昔からの知り合い」では少し幼稚過ぎる。もっと端的に大人っぽく言うには、どういう表現が良いだろう?「実は、私と新郎とは、内縁関係でございます」会場は一瞬、水を打ったように静まり返ったという。
 
立川談志のジョーク集『家元を笑わせろ』より
 
「店に泥棒が入って、品物を盗(も)ってかれて……」「損害は?」「助かったよ。泥棒が入った日、50%オフのセール中だったんでね」
 
・〈正しい変換〉うちの子は耳下腺炎でした
 〈変換のミス〉うちの子は時価千円でした
 
NHKが昔、ある俳優の密着番組で『✕✕✕の世界』というコーナーで✕✕✕氏は三回「作者のイズはどこにあるのか分からないのですが……」と言った。有識者の用語審議会で議題にのぼり、視聴者が「意図」は「イズ」と読むものだと勘違いすれば、由々しきことである。ある委員は「再放送ではテロップで『イズはイトのことです』と流すべきだ」と主張した。テロップを流せば、俳優の国語力を世間に知らしめることになる。ある委員は「それでは✕✕✕がかわいそうだ」と反対した。意見が分かれて会議が紛糾したとき、国文学者の池田彌三郎委員長が言った。「まあ、皆さん、いいじゃないですか、イト・イズ・ミステークということで……」
 
井上靖の死の間際、夫人と子供たちに「臨終とはこういうことなんだ。しっかり見ておきなさい」
 
定「どうしようもねえよ。近頃の若えのは、度胸はねえのに要領ばっかよくってよ。こないだも指ツメロっていったらおめえー医者行って麻酔してつめてきやがった

 

いいなあ〜いいネタが集まったなあ。今度セミナーで使おう!オススメです。(・∀・)

 

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「陽水の快楽 井上陽水論」(竹田青嗣)

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70年台前半の音楽界は、吉田拓郎井上陽水の二大アーチストのものだった。 そしてワタシもかなりの影響を受けた。アルバムではじめて聴いたのは、拓郎が「伽草子」、陽水が「GOOD PAGES」。中一の数学の先生からテープにダビングしてもらった。もう本当に擦り切れるように聴いた、聴いた、覚えた。

 

さてこの本。「実存的世界の中で「本当の世界」への希求はどのように変質していくのか。井上陽水の世界に超越論的欲望の変容とその行方を探り、夢よりも深い覚醒”の彼方に、新しい批評のスタイルを切り拓いた。注目の長篇評論」そのエッセンスを紹介しよう。

 
「傘がない」「夢の中へ」などは、わたしにとってはべつに特筆されるほどの意味は持たない。断絶』のオープニングは「あこがれ」だが、この曲こそ陽水の登場にじつにふさわしい響きを持っている。
 
♫ さみしい時は男がわかる
笑顔で隠す男の涙
男は一人旅するもの
荒野をめざし旅するものだ
ラララ……
これが男の姿なら 私もつい あこがれてしまう
 
女は清く優しく生きて
電車にのれば座席をゆずり
悲しい歌が聞こえてきたら
ほろりと涙流してしまう
ラララ……
これが女の姿がら 私もつい あこがれてしまう

 

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「あこがれ」が、いかにも陽水の響きを刻印されてきたものであるのは、ここではロマンの喪失なる定型が「私もついあこがれてしまう」という最後の一句によって、極めて絶妙な形で成就されるという点に、よく示されている。

 
「あこがれてしまう」というフレーズは、こういったイメージが一般に若い男女にとってあこがれの対象であることを、歌い手はすでに知っているということを含意しているのである。私はそういう男にあこがれてしまう」は、つまりこの「男性」像がひとつの幻想にほかならぬことの対象化である。そしてそれが対象化(=距離をとって見ること)であるからこそあこがれ」は、自分はもはやその幻想の内側で生きていることはできない、というディストリビューションの定型をあやうく結んでいるわけだ
 
・陽水がサングラスをかける理由。「たとえば、いかがわしい場所で人間の道を極めるため」
 
・「ぼくはたくさん売りたいとは思うけれども、売れないものが良くないのかというと、そうでもない。だけど、売れるということ以外に音楽を計るものさしを見つけられない

 

ワタシも「あこがれ」からスタートする『断絶』の世界がサイコーに大好き。陽水ファン、必読っ!オススメです。(・∀・)

 

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「大衆食堂に行こう」(東海林さだお)

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全作品読破を達成した東海林さだおさん。食べもののことを書かせたら天下一品!天才である。(・∀・) 『ひとり酒の時間イイネ!』『ゴハンですよ』との3部作、ここに完結とのこと。音楽でいうとベストアルバムだね。今回のテーマは、大衆食堂。そのエッセンスを紹介しよう。

・大衆食堂の最大の特徴は、店頭の看板に、大きく、堂々と、悪びれず「大衆食堂」と大書していあることである。食べ物屋とうものは、とかくちょっと気取って「ウチの店はほかのと違ってちょっとひとクラス上なんだかんな」という態度を取りたがる風潮のなかにあって、常に毅然としている大衆食堂のおやじさんたちはいつ見ても立派だ。
大衆食堂によく似た商売として「定食食堂」「駅前食堂」がある。よく似ているが、はっきり違うところも厳然としてある。定食食堂はとにもかくにも定食が主体である。定食には「ところどころ凹んだアルミのお盆」これが必須。定食はこれに載っていなければならない。これなくては定食屋は成立しない。駅前食堂は大衆食堂に似ているところはあるが、こっちはとにもかくにも「駅が前」にないことには話が始まらない。駅から歩いて30分の場所では「駅前食堂」を開店することはできない。

 

昼めしを食いに出かけるサラリーマンの歩き方は、ビジネスのときの歩き方と明らかに違う。例えば、朝、駅から勤め先に向かう歩き方と違う。営業に向かう歩き方とも違う。ビジネス用の歩き方と、メシ食い用の歩き方とを区別しているのである。

 

・京都駅を出てタクシー乗り場に向かう。すると、なんと、客待ちのタクシーの先頭はベンツだった。ベンツのタクシーには一度も乗ったことがないので、よし、この際乗ってみっか、と、乗り込もうとしてハタと気がついた。“ベンツに乗って定食屋”は、“自転車のに乗って料亭へ”と同じぐらいつじつまが合わない。普通の車に乗り換えて定食屋へ。

 

「下宿」という言葉から、人はまず何を連想するだろうか。そう!「貧乏」である。下宿から「富裕」を連想する人はまずいないにちがいない。ぼくの下宿生活も、全篇隈なく貧乏に彩られていた。その昔、総天然色映画、という言葉があったが、まさに総天然貧乏生活そのものだった。


その他、「午後の定食屋」「正午の月給取」「ホッと一息昼休み」「午後一時五分前のエレベーター」「セットメニューの騒ぎ」「懐かしやスパゲティ・ナポリタン」「ヨシギュウ一年ぶり」「カツカレーの誘惑」「幸せの黄色い親子丼」「レストランのイモコロッケ」「「カツ牛カレー丼」はあるか」「うどん屋の地獄」「いまが旬、冷やし中華など。

 

いいなあ!今日の昼めしは大衆食堂で決まり!だね。オススメです。(・∀・)

 

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「マシュマロ・テスト 成功する子・しない子」(ウォルター・ミシェル)

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いや〜この本もオモシロイわー!せっかちで、待てなくて、我慢強くないワタシにとっては、耳が痛いテーマです。 (笑)(・.・;)

 

「マシュマロをすぐ1個もらう? それともがまんして、あとで2個もらう?」これは、行動科学で最も有名なテストのひとつ、マシュマロ・テストである。このテストの考案者である本書の著者ウォルター・ミシェルは、マシュマロを食べるのをがまんできた子・できなかった子のその後を半世紀にわたって追跡調査し、自制心と「成功」との関連を調べた。人生で成功する子は、初めから決まっているのか? それとも、そうではないのか? 長年の追跡調査でわかってきた、人間の振る舞いの不思議を、マシュマロ・テストの生みの親自身が綴る待望の一冊」そのエッセンスを紹介しよう。


・なぜ本書を書く気になったかといえば、基本的には、将来のためなら今すぐ欲求を満たすのを我慢するというのは、あとから身につけられる認知的スキルであると信じているからであり、それを裏づける成果が得られたからだ。このスキルは幼いことから明らかで測定することができ、一生にわたった人の権利や心身の健康に、重大で長期的な影響を及ぼす。何よりも重要で、教育や子育てでの効果を考えると胸が躍るのは、このスキルには伸びしろがあり、今やわかっている特定の認知的戦略で高められるかだ。
 
マシュマロ・テストの結果は、本当はいったい何を示しているのか?欲求の充足を先延ばしにする能力は、あらかじめ組み込まれているのか?どうすれば先延ばしにすることを教えられるのか?この能力のマイナス点は何か?
 
誘惑に抗って欲求不満を先延ばしにする能力の獲得は、文明が始まって以来の根本的な難題だ。それは、エデンの園でアダムとイヴが誘惑されるという「創世記」の物語の核心にある。
 
・カナダの認知心理学ダニエルバー・ラインは、あらゆる刺激が持っている、相反する二つの面を指摘した。まず、魅力的で欲求をそそる刺激には、人を夢中にさせ、興奮させ、動機づける特質がある。だからあなたはマシュマロが食べたくなり、食べれば快感がえられる。一方、刺激からは認知的に捉えられる、非情動的な特徴を与える、叙述的な手掛かりも得られるーマシュマロは白くて丸く、ずんぐりしていて柔らかく。食べられるというような。だから刺激が私たちに与える影響は、その刺激を私たちが頭の中でどのように表象する(思い描く)か次第で違ってくる。人を興奮ささえるような表象は、動機づけを与えるホットな刺激の特性に焦点を当てる。マシュマロの、もっちりした食感や甘さといいう特性や、喫煙中読者にとっては、吸い込んだタバコの煙の味わいといった特性だ。
 
・このホットなフォーカスは、マシュマロを食べる、タバコを吸うといった、衝動的な反応を自動的に引き起こす。それとは対照的に、クールな表象は、刺激のもっと抽象的で、認知にかかわる、情報提供元としての側面に焦点を当て(マシュマロは白くて丸く、小さくて柔らかい)私的の魅力を強めたりすることなく、それがどのようなものがを教えてくれる。あなたはそのおかげで、その刺激に飛びつく代わりに「クールに考える」ことができる。
 
ホットシステムクールシステムは、互いを補うかたちで絶え間なく相互作用し、一方が活発になるともう一方が活動を弱める。現代社会の果てしないストレスとは日常的に直面しており、そこではホットシステムがしばしば優位に立ち、クールシステムが最も必要なときに、それが使えない状態になっている。
 
 
 へー!!!オモシロイっ!!!これ、日本でも当てはまるんだろうねえ。忍耐って大事なんだね〜!オススメです。(・∀・)
 

 

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