酒場のギター弾き 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ものは言いよう」(ヨシタケシンスケ)

ワタシが天才と評価している絵本作家のひとり、ヨシタケシンスケさん。その発想と表現力とイラスト、笑えるよね〜!♪ この本は、まさにメイキング・オブ・ヨシタケシンスケともいえる本!♪


「2019年ニューヨーク・タイムズ最優秀絵本賞、アメリカの老舗書評誌Kirkus Reviewsの「The Best Books of 2019」など、数々の絵本賞を受賞している大人気絵本作家、ヨシタケシンスケ。その絵本創作の秘密がすべて詰まったインタビュー&イラスト集。

ヨシタケシンスケのしくみ」「ヨシタケシンスケができるまで」「ヨシタケシンスケの1日」などのユニークなイラスト解説や、絵本のネタ帳、アトリエ、本棚、お気に入りの本などの写真も満載。月刊MOEの特集記事に大幅加筆修正をして単行本化。初めての“絵本作家ヨシタケシンスケ完全読本"」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
僕は、絵本作家になろうと思ったことがなかったんです。できると思ってなかったので。イラストレーターの仕事をしていて、編集者の方から絵本のオファーをいただいたのが、最初のきっかけですね。自分で絵本をつくって売り込んだりはしていないんです。
 
・1冊目の絵本でいろいろ教えてもらって、自分なりの方法があるんだなとわかったのと、いざ1冊できてみると、やっていて楽しかった。絵本で自分なりのアプローチみたいなものができるんじゃないかな、というやんわりした手ごたえがあったので「次も出していいよ」というい話につながり、絵本作家という肩書きもつけさせてもらえましたけど、結果的に絵本作家にならせてもらったような感じですね。
 
『絵本とは』『子どもとは』という難しいことを考えずに済んだのは大きいですね。僕の場合は、まずはお題が必要だったお題の形で投げてくれたことが、自分が絵本作家になれた一番の理由ですね。
 
自分の持っている棒で「何かを打ち返すことができる」と気づくまでにずいぶん時間がかかりましたし、「ボール以外のものを打ってもかまわない」と気づくのには、さらに時間がかかりました。
 
『りんごかもしれない』で一番うれしかったのは、友人に『描いていて楽しかったでしょう』と言ってもらえたことです。すごく伝わった感があったというか。「そんなんだよ、これ、楽しかったんだよ」と、つくるときに自分が面白がっているかどうかがクオリティに直結す、それが経験できたのはすごく大きい気がしますね。こういうのがうけるんでしょう、売れてるんでしょう」でつくるのではなくて、自分が子どもの頃好きだった本の要素を全部入れて、嫌いだった本の要素をとにかく入れない。僕のそんな探り探りのつくり方が、ある程度間違っていなかったということがわかったので、同じような感覚でつくってもいいんだよと言ってもらえた気がしましたね。
 
五味太郎」「長新太」「ヨシタケシンスケって棚に並ぶんですよ。それってすごいと思って。絵本という薄い硬い板の形になった瞬間に、なにも知らない人にとってはまったく同じ土俵に上がる、その平等さ加減、同じものになる感覚がすごく新鮮でうれしくて、誇らしかったのを覚えています。

 

いいなあ!ワタシも子どもの頃の「マンガ家になる」夢から、ひょっとしたら絵本作家への道を歩いていくかもしれない!?(笑)オススメです。(・∀・)

 

 

「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(伊藤亜紗)

いや〜この本は、スゴいわー!♪ 興奮したわー!!!今年読んだ本のベスト10入りは間違いないね〜!ワタシもこれと同じ疑問を持っていたわー!♪(・∀・)

<見えない>ことは欠落ではなく、脳の内部に新しい扉が開かれること。視覚障害者との対話を通して、「見る」ことそのものを問い直す、新しい身体論。そのエッセンスを紹介しよう。


障害者とは、健常者が使っているものを使わず、健常者が使っていないものを使っている人です。障害者の体を知ることで、これまでの身体論よりもむしろ広い、体の潜在的な可能性までとらえることができるのではないかと考えています。
 
・誤解を恐れずにいえば、私にとっては一つの生物学なのです。障害者は身近にいる「自分とは異なる体を持った存在」です数字ではなく言葉によって、想像力を働かせ、想像の中だけでかもしれないけれど、視覚を使わない体に変身して生きてみることこれが本書の目的です。
 
見えないことと目をつぶることは全く違うのです。見える人が目をつぶるのは、単なる視覚情報の遮断です。つまり引き算。そこで感じられるのは欠如です。いわば、四本脚の椅子と三本足の椅子の違いのようなものです。脚の配置を変えれば、三本でも立てるのです。見えない人は、耳の働かせ方、足腰の能力、はたまた言葉の定義などが、見える人とはちょっとずつ違います。ちょっとずつ使い方を変えることで、視覚なしでも立てるバランスを見つけているのです。
 
「大岡山は、やっぱり『山』なんですね」
 
・人は自分の行動を100%自発的に、自分の意志で行っているわけではありません。知らず知らずのうちにまわりの環境に影響されながら行動していることが案外多いものです。「寄りかかって休む」という行為ひとつとっても、そこに壁があるから4日糧しまう。ボタンがあるまら押したくなるし、台があるからよじ登ってしまう。いわば、人は多かれ少なかれ環境に振り付けられながら行動していると言えるのではないでしょうか。
 
・「見えない世界というのは情報量がすごく少ないんですコンビニに入っても、見えたころはいろいろな美味しそうなものが目に止まったり、キャンペーン情報が入ってきた。でも見えないと、欲しいものを最初に決めてそれが欲しいと店員さんに言って、買って帰るというふうになるわけですね」つまり、見えなくなったことで、そうした目に飛び込んでくるものに惑わされなくなった。コンビニに踊らされなくなったわけです。
 
・「そういった情報がなくてもいいいやと思えるようになるには、ニ、三年かかりました。これくらいの情報量でも何とか過ごせるな、と。自分がたどり着ける世界の先にあるもの、意識の地平線より向こう側にあるものにはこだわる必要がないと考えるようになりました。情報が途絶えたとき、飢餓感もあったけど、落ち着いていました」
 
見えない人は、見える人よりも、物が実際にそうであるように理解しているということになります。模型を使って理解していることも大きいでしょう。その理解は概念的、と言ってもいいかもしれません。接触ることのできないものについては、辞書に描いてある記述を覚えるように、対象を理解している。
 
・見えている人にとって、空間や面には価値のヒエラルキーがあります。まさに「正面」という言い方に価値の序列がダイレクトにあらわれています。その反対は機会的に「裏面」とされます。正当ではない、ときには反社会的ですらあるいかがわしさを醸し出す面です。裏の顔」「裏口入学」「裏社会」などニュアンスもそうです。先天的に見えない人の場合、こうした表/裏にヒエラルキーをつける感覚がありません。すべての目を対等に「見て」いるので、表は裏だし裏は表なのです。決定的なのは「視点がないこと」です。視点に縛られないからこそ自分の立っている位置を離れて土地を俯瞰することができます。
 
・見えない人の足は「歩く」と同時に「さぐる」仕事も行っている。
 
・障害と無関係な人はいません。誰しも必ず年をとります。年をとれば。視力が落ちる、耳が遠くなる、膝が痛む……等々、多かれ少なかれ障害を抱えた身体になるからです。高齢化社会は、障害者が増えるということさまざまな障害を持った人が、さまざまな体を駆使してひとつの社会をつくりあげていく時代。つまり高齢化社会になるとは、身体多様化の時代を迎えるということでもあります。
 
・見える人同士だったら、「この青、なんかグッとくるよね」で許されたとしても、それでは見えない人には通じません。多少がんばって、自分なりの解釈を、言語化してみる。なんとなく分かった気になる」ことが許されないのです。黙って見る美術館」を言葉にしてみると自分の見方を明確にできますし、他人の見方で見る面白さも開けてくる。無言の鑑賞とは異なる、より創造的な鑑賞体験の可能性があらわれます。
 
「ぼくたちにとって表現のツールは限られている。だから言葉で相手の心をつかめるように努力している」
 
その他、「見える人が見えない人に対してとる態度」「中途失明の木下さんが語った「ある経験」」「メモが取れないということ」「空間とはなにか」「三次元を二次元化」「声によって女友達がお化粧をしているかどうかが分かる」「ベン・アンダーウッドの舌打ち反響音による空間把握能力」「点字識字率はわずか1割」「点字=触覚という誤解」「見えなくなってからかえって転ばなくなった」「見えない人のシュートを止めるのは難しい」「ぼくたち盲人もロダンをみる権利がある」「ソーシャル・ビューという新しい絵画鑑賞」「私たちは「推理」しながら見る」ことに慣れていない」「見えない人の頭の中のイメージは「やわらかい?」」「パスタソースで運試し」「回転寿司はロシアンルーレット」「「障がい者」よりも「障害者」」『最後に見たもの』
 
いや〜!まさに目からウロコっ!ボロボロと何枚も落ちたよー!(笑)Eテレで、こんな番組をやっているのも知らなかったわー。いい時代に突入したね。超オススメです。(・∀・)♪
 

 

 

 

「紙屋ふじさき記念館 春霞の小箱」(ほしおさなえ)

ほぼ、全作品を読破している、ほしおさなえさん。まだかな、まだかな〜!とこのシリーズの最新巻を待ち望んでましたー!!!あまりに表現がリアルすぎて自分のカラダが川越と小川町に飛んでいったようだ!(・∀・)
 

「紙の持つ手触りにほっとする。活版印刷日月堂の著者による絆の物語。紙屋ふじさき記念館の閉館まであと半年と少し。「紙」がつなぐ優しい絆の物語、急展開の第5巻」そのエッセンスを紹介しよう。


・「考えたら、紙自体も植物でできてるんだよなあ。染料もむかしは植物から採っていたみたいだし、わたしたちはこうやって、生き物の身体を使うことで生活を豊かにしてきたんだ。食べるだけじゃない、布だって植物や蚕の出す糸で作った。いまは自分の手をよごさないだけ。紙だって木の皮を剥いで作っているんだから。いまは化学繊維もあるけど、食べ物はなんだってもともとは生きものだし、わたしたちは、ほかの生きものの命を食べ、命をまとって生きているんだなと思う」
 
紙はむかしから強い力を宿すものだった。父の小説の一節を思い出す。紙の力。人々は紙にこめたもの。絢爛豪華に飾られた紙に歌を書く。幾人もの人の手を使い、何年もかけて、世界を、時間を、心を紙に封じ込めようとする強い思い。なにを求めて、ここまでうつくしいものを作ったのだろう。あらためて、その力の強さをおそろしいと感じた。
 
・「紙自体は真っ白で、ただの平面でしょう?染めたり装飾したりすれば別だけど、素の状態では質感しかない。でもそれがいいんだ、って。文字を書く紙、ものを包む紙、障子や建具に使う紙。液体を濾すための紙なんていうのもあって、使ったら捨てられてしまうものだけど、それでも美しいんだ、って言ってた」質感しかない。でもそれがいい。なぜかよくわかる気がした。「ものづくりをしている人の姿。ものに宿った手の跡に心惹かれる。人が生きた跡というのが、もうそれだけで胸が苦しくなるほど愛おしく思える。そんなことも言ってたなあ」
 
・「うん。建物だけじゃなくて、このにぎわい方がね。生きてる町って感じがする。やっぱり、町っていうのは建物だけじゃダメで、生きた人がいないと
 
・八百屋に肉屋、魚屋。あちらこちらからものを売る声がして、食べ物の匂いが漂ってくる。夕餉の買い物も、わたしたちはみな生き物で、生きているものを食べないと生きていけないのだと思い出させてくれる。そんな罪深い生き物でも、だれかと囲む食卓はやさしく、あたたかい。それをよすがに生きていくしかない。自分たちがそういう生き物であることが、斜めからの日差しで浮き上がってくる。だから、夕暮れの商店街はさびしい。いきるために必要な、さびしい光が満ちている
 
父は亡くなったけれど、父の言葉はまだ生きている弓子さんの話を思い出しながらそう感じた。藤崎さん、薫子さん、綿貫さん、浜本さん。いま生きている人たちが、父の言葉を大事にしてくれている。もう一度人に届けようとしてくれている。そしてわたしも、そのおかげでいろいろな人とつながっていっている。ありがたいことだ。ほんとうに稀有な幸運だ。
 
・そもそも手が機械と異る点は、それがいつも直接に心とつながれていることであります。機械には心がありません。これが手仕事に不思議な働きを起させる所以だと思います。手はただ動くだけではなく、いつも奥に心が控えていて、これがものを創らせたり、働きに悦びを与えたり、また道徳を守らせたりするのであります。
 
・「むしろ人の手じゃないとできないのよ。洋紙の繊維にくらべて、楮の繊維はすごく長いの。だから機械では詰まってしまうし、機械だと決まった方向に揺らすことしかできないから、和紙のような繊維の絡みを作ることができない」和紙は繊細な人の手が生み出してきたものなんですね」弓子さんがつうやく。人の手が生み出したもの……。こうやって楮を蒸して、こうやって人の手で剥いて……。
 
・「歌うって、素敵ですよね。わたし自身は、もう何年も歌っていない気がしますけど、子どものころ、歌っていると心が遠くに広がっていくような気がしていました」弓子さんが言った。「そうなの。心……なのかなあ?それがどんどん広がって、世界と混ざりあってくみたいな……。自分を囲んでる膜がなくなって、世界になる感じ?自分っていうものはなくなっていくような……」わからないわけじゃない。自分がなくなっていく感じ。世界に溶け込んでいく感じ。さっき楮の皮を剥がしていたとき、似たようなことを感じた気がする。
 
・「歌ってるときって、なんだろう、意識が自分の外に流れていって、いろんなことを感じるのよね。その歌が作られたときのこと、歌い継がれてきたあいだのこと。歌は、それまでその歌を歌ってきたすべての人の心をのせてる。だから豊かで、聞く人の心を揺さぶるんだと思う。日本の童謡を歌ったとき、その感覚が自分の子ども時代の思い出に結びついて、自分のすぐ近くまで迫ってきたのよね。身近で、なつかしくて……若いころはそういう心地よさに取り込まれてしまうのがいやで、遠くに行こう、ってあらがってたんだけど。いまはその気持の正体とちゃんと向き合わないといけない、って思ってる。なつかしいものは心地よい。でも、怖い気もする。自分が溶けて消えてしまうような気がするから。なんだろう、長いこと生きてきて、ようやく『自分』ってものにこだわらなくてもいい、と思えるようになったのかな。自分は自分だけでできてるんじゃない自分を形作っているものがなんなのか、見極めてみたい気がしてきたのかも」
 
・「歌っているとき、自分がいまここに立ってる、ってことを自覚するようになった気がする。自分が歌うことでその歌を未来につなげているんだ、って」歌う身体、作る身体。身体を使うとき、心は自分を超えてはるか遠いところまで広がっていく。それはきっと、わたしたちの身体のなかに、自分では把握しきれないほどのたくさんのものが詰まっているから。さっきわたしたちが干した楮の皮を見ながら、いつかあれが紙になって、遠いところに行くんだ、と思った。
 
 
「ぴっかり千両」「西本願寺本三十六人家集」「墨流し」「柳宗悦民藝運動」「染色家芹沢 銈介」「かわごえのパルテノン神殿」「風船爆弾」など。

 

最新刊だけあって、新型コロナのことが登場するなんて実にタイムリー。次の展開はどうなるんだろう!?このシリーズ、ハマります。超オススメです。(・∀・)♪

 

 

「正しいブスのほめ方」(トキオ・ナレッジ)

このタイトルと表紙のイラストに思わず惹かれて手に取りました。そおかあ……ほめ方にも、正しい・正しくない、があるのかあ……!?(・∀・)
 
「実力はあるはずなのに仕事が取れない、なぜか上司に嫌われて困っている、人づきあいが苦手…そんなビジネスマンに朗報です。ブス/デブ/チビ/元ヤン/バカ/ダサい/存在感ゼロ/フラれたて/料理下手/超体育会系/健康バカ/超親バカ/不幸自慢/かまってちゃん/キャリアウーマン/オシャレすぎる――「どんなに褒めるところのない人」でもイチコロのほめフレーズ+イラスト集。社交辞令は現代社会に生きる大人のマナーです」そのエッセンスを紹介しよう。
 
・正しいブスのほめ方 → アジアン・ビューティーだね」
 
・正しいデブのほめ方 → 「キミがいるといないじゃ、全然違う!「いないとかなり寂しいよね」「メンバーを思い出すと、最初に出てくる率高いよ」
 
・正しいハゲのほめ方 → ブルース・ウィリスみたいで、かっこいいですよ!
 
・正しいチビのほめ方 → 「顔が小さくて羨ましい!」
 
・正しい人見知りのほめ方 → 「人見知りの人って、優しい人が多いよね!」
 
・ダサい人の正しいほめ方 → 「原石だよね」「服とかファッションで化けるタイプっぽい」
 
・正しい健康オタクのほめ方 → 「話を聞いているだけで健康になりそう!」
 
・正しい忙しぶる人のほめ方 → 「いったい、いつ寝てるん(休んでるん)ですか?」
 
・正しい不幸自慢のほめ方 → 「それ、映画にできますよ!」
 
・ジコチュウの正しいほめ方 → 「舞台が整えばリーダーに向いてると思う!」
 
・バカの正しいほめ方 → 「ホントにハートが強いよね」「めちゃめちゃ勇気あるよね」
 
・ダメ人間の正しいほめ方 → 「素材がいいのに宝の持ち腐れだよ」「もったいなあ」
 
・方向音痴の正しいほめ方 → 「一緒に散歩したら楽しそう!」「それって毎回、冒険じゃん!」
 
・毒舌家の正しいほめ方 → 「お前の毒舌って愛があるんだよね」
 
・美人の正しいほめ方 → 「性格の良さが顔に出てるね」
 
・料理上手の正しいほめ方 → 「ここ住んでいいですか?」
 
・下ネタ大王の正しいほめ方 → 「△✕さんの下ネタって、実はいろいろ勉強になるんですよね!」
 
・若づくりの正しいほめ方 → 「◯◯さんは、僕の理想の歳のとり方です!」
 
・童貞の正しいほめ方 → 「楽しみはあとにとっておいたほうがいいんだよ」
 
・ネガティブさんの正しいほめ方 → 「◯◯は頭がよすぎるんだよ」
 
・説教好きの正しいほめ方 → 「嫌われ役を自分から買ってでるって、スゴいですよね!」

 

た、確かに、この社交辞令は必要かも!?(笑)オススメです。(・∀・)

 

 

GOURMET〜『オモウマイ店』に登場!…「やすらぎの居食亭 遊膳や」(小山市)

 
ミニ天丼&うどん・そば 950円
やすらぎの居食亭 遊膳や
栃木県小山市神山2丁目8−15
0285-31-3557 11:30~14:00.7:00~23:00 木休
 
最近、ご縁がある栃木県小山市。今はなくなってしまった小山ゆうえんち」。懐かしいなあ。久喜に住んでいたときに、車で行ったなあ。40分くらいだったからね。
 
今日、訪問するお店の近くに、人気テレビ『オモウマイ店』に登場したお店があることを知り、さっそく行ってまいりました。(・∀・)
 

 

個人店かと思ったら、ファミレスくらいの大型店『やすらぎの昼食亭 遊膳や』さん。満車だよ〜!人気っ!

 

 

お店の前は「密」「密」「密」!!!これで「三密」!!!

 

 

なぜかカメちゃんが二匹、います。癒やされる〜!

 

 

オススメランチ。なんて達筆!リーズナブル!コーヒー付きはウレシイっ!

 

 

並んでいる間にメニューを決めます。あまり量、食べられないんだけどせっかくなので

「ミニ天丼&うどん・そば」にしよう!

 

 

さあ、テレビでもやっていた「ミニ」とは思えない「ミニ天丼」!!!いいなあ〜このボリューム!しかも美味しいので食べられちゃうよね〜!

 

 

どーですー?分厚いかき揚げが3枚・断面図もスゴいっ!!!

 


大満足の食事。マスターも活気があっていいお店。再訪決定です。超オススメです。(・∀・)



「指を置く」(佐藤雅彦 齋藤達也)

指を置く
平日、毎朝観ている、EテレNHK教育テレビ『0655』の監修をしている佐藤雅彦氏。いろいろと著作を読んでいるんだけど、その発想が実にオモシロイんだよねー!♪
 
とくにこの本の奇想天外さにはビックリしたなあ!(・∀・)
 

lp6ac4.hatenablog.com


さてこの本。「平面グラフィックの上に指が関与すると、どういうことが起きるか。佐藤雅彦齋藤達也が、「指(身体)とグラフィックデザインの新しい関係」を探求する中で生まれた表現。本書は、読んで眺めるだけのものではありません。本を開き、さまざまなグラフィックの上に実際に指を置いてみてください。自らの指が関与することで、グラフィックとの関係が変わり、新奇な表層や感覚が立ち上がる……。人間の基本的な所作をきっかけにした、新しい体験が広がります。(2014年2月にギンザ・グラフィック・ギャラリーにて行われた「指を置く」展の公式書籍)




「私たちにとっての指の存在」
 
「指」の存在が人間の活動、特に認知活動にどういう影響を与えているのか、そもそも、人間にとって「手」の出現がどういう意味であったのか。
そして、私たちを取り巻くメディアというものは、私たちとどう関係しているのか。
そのメディアの中に、自分の「指」が登場すると、どういうことが起きるのか。
 
ということを、たくさんのグラフィック(図板)を使い、解明していきます。
 

通常の絵画や彫刻などの美術の鑑賞では、作品の前面に向かうのは、あなたの眼です。手や指は関与してきません。映画館でも上映時は真っ暗にして、あなたの存在さえもキャンセル(ないもの)としてスクリーンだけの向かわせます。読書のときも自分の手をないものとして読んでいます。しかし、本書では、自分の存在を敢えて、コンテンツに参加させます。そのとき、果たして自分の存在は、メディアへの没入感にどのような干渉を及ぼすのでしょうか。それとも、表現の新しい鉱脈となるのでしょうか。
 
認知科学が発展し、身体とメディアとの関係がより明らかになってりいる今だからこそ、また脳機能測定により内観が客観視できる今だからこそ、この紙と指という、人間にとって一番基本的なメディアと身体の関係を探る意識と意義が生まれたのです。
 
私たちにとって、そもそも「指」というものはどういう存在なのだろう。指を差す、指で触る、指を絡める、指で掴む、指でサインを送る、指折り数える……。
 

 
【指】とは【及び】という言葉が変化した言葉だと言われている。指を差せば、そこに範囲が及び、指で触れば、その表面の状態に意識が及ぶ。指でサインを送れば、相手にに情報が及ぶ。このように指とは自分の意識、自分の感覚、自分の意思がそこに及ぶという存在である。だとしてら、まったく自分の意識や感覚が及んでいないところに指を置いたとすると、どんなことが起こるのだろう。「図版に指を置く」という行為は、「その図版を自分の及ぶ範囲に入れる」つまり、「その図版を自分の事として扱う」ことに他ならないのである。
 
指を置く = 自分事として扱う
 
だから、指を置いた途端、込み入った空間の遮蔽関係に対して読み解こうという意識が俄(にわか)に起こる。

 

いいねえ。オモシロイねえ。人間の新しい可能性を感じるねえ。オススメです。(・∀・)

 

指を置く

 

GOURMET〜浅草橋立ち食いそば 食べ歩き…「そば千」VS「ひさご」(浅草橋)

 

かき揚げそば 410円
そば千
千代田区東神田1丁目17−4
3:00~19:00 日祝休

浅草橋界隈って雰囲気いいよね〜!そして立ち食いそばがたくさんある街なんだよね〜!いいねえ〜!♪ 二軒ハシゴしちゃいました。まずはこのお店「そば千」!ナント!朝3時から営業ってすごくない!?大通り沿いにあるからクルマ、停められるもんね。

 

濃いめのおダシに、粗目のとうがらし。これ、好きっ!!!自販機じゃなくて、手渡しの現金のやりとりがいいよね。お札置きがあるし。

 

 

おダシが美味しくて感触、完飲っ!洗えど洗えど落ちない器のこの濃さがいいよね。( ・∀・)イイ!!

 


メニューのイチバン上にある「おきあみ天」が気になる。次回はコレだね。
 
 
さあ、もう一軒っ!ガード下の「ひさご」ここは4回目くらいの訪問だね。
 
 


天ぷらそば 360円
ひさご

台東区浅草橋1-17-2 JR浅草橋駅ガード下

www.favy.jp

 

この入口のゴチャゴチャ感が好き。きっと片付けは苦手なんだろうなあ。(笑)

 

 

さり気ないメッセージが心を打つ。この店に似合う。

 

 

値上げの予告をしていならが、ギリギリまで保っている姿勢がいい。( ・∀・)イイ!!

 

 

林家正蔵師匠がいるわ。ドラちゃんの貯金箱もある。カオスな空間。

 

 

この黒いおダシが、美味いんだわ。好きだわ。これよ、コレ、コレっ!!!これが江戸っ子のそばよ〜。関西だしとは違うのよ。

 

 

いいなあ〜手軽に食べられてこの味、美味しいなあ。立ち食いそばめぐりは続くっ!!!(・∀・)