ノムさんが亡くなったのはいつだっけ?昨年かあ!84歳かあ。そういえば、あのボヤキが聞けなくなってしばらく経つんだねえ。野球関連の本を年30冊くら読むけど、ノムさんの膨大な著作の半分は読んでいるんじゃないかな。
「捕手として3017試合、監督として3204試合。日本プロ野球の黎明とともに生を受けた「球史の生き証人」が選ぶ10人の名将たち。歴史をつくったリーダーに見る、部下育成、人心掌握、組織再生の真髄」そのエッセンスを紹介しよう。
「監督の5タイプ」
あれほど選手から慕われ、 周囲から信望の暑かった監督はいないのではないか。「 プロ野球史上最高の監督だ」 私以上に辛辣で辛口で鳴るあの広岡達朗さんが賛辞を惜しまない。 「戦略は三原脩さん、情熱は西本幸雄さん。 2人を足したような監督になりたい」 仰木さんが近鉄監督就任時に語っていたのが印象的だった。 監督生活20年で8度リーグ優勝(大毎1、阪急5、近鉄2) しかし、悲願の「日本一チャンピオンフラッグ」は、 西本さんの頭上に遂に、一度も翻らず「悲運の闘将」 の異名をとった。81年勇退を決めた西本さんは、 81年近鉄ー阪急最終戦(日生球場) 教え子である両チームナインから惜別の胴上げをされた。 あんな光景、初めて見た。 西本監督がいかに選手たちに慕われていたか。
西本監督が多くの選手を育て上げた要因は、愛情だった。 データ重視の私が言うのもなんだが、 愛情が野球選手の技術向上させたのだ。2011年、 自宅で91歳で他界した。 愛弟子の福本豊があふれる涙をぬぐったのは「ハンカチ」 ではなく「アンダーシャツ」の袖だった。 奔放過ぎる野球解説で有名な福本が、阪急のユニフォームを着て、 涙をボロボロこぼしながら通夜と告別式に参列した。「 曲がりなりにも自分がいまあるのは西本監督のおかげです」 天国に旅立つ西本さんに、そう語りかけた。「悲運の闘将」 どころか、教え子みんなに慕われる「幸せな名将」だった。
この頃の昭和の頃の野球が懐かしいなあ〜。西本さん、よかったなあ。あの胴上げ見てた。野球ファン、オススメです。(・∀・)