久しぶりに読んだ、上原隆さんの本。以前詠んだ本の改題みたいだけど、あらためて気づくことと感動するところが違う。読書ってそのときのコンディションと気分によって違うんだね。(・∀・)
「初めてできた彼女に男性書店員がどうしてもできなかったこと「未練」。ギャンブルですべてを失い“看板”として道端に立つ男がついた小さな嘘「街のサンドイッチマン」。妻が産んだのは他人の子ども。それでも父親になりたかった夫の告白「ああ、なんてみじめな」。留学の二日前に愛娘を殺害された両親が語る在りし日の姿「娘は二十一のまま」。後悔を胸に秘め、それでも人は今を生きている。市井の人々の声に耳を傾け、リアルな姿を書き続けた著者の傑作ノンフィクション・コラム。(『こころ傷んでたえがたき日に』を改題して文庫化)
【アイメイト】
・吉田さんは、盲導犬を手に入れた。四週間、合宿形式で盲導犬と歩く訓練を受けた。そして家に犬を連れて帰ってきた。「うれしくってね」彼女の声が弾む。「その日のうちにスーパーに行きましたよ。スーパーに行ったって、ひとりじゃ買えないから、お店の人にこういう物下さいって探してもらうんですけど、でも、ひとりで行って、ひとりで帰れるって、すごいことなんです。ひとつひとつできることが増えていきました。息子の幼稚園の送り迎えもできる。ひとりで友だちに会いにも行ける。だんだんだんだん、私の思っていたことが叶いはじめるんです」
・アイメイトがいると、ひとりでどこにでも行ける。吉田さんの行動範囲は広がった。好奇心の強い彼女は、様々なことに挑戦した。スキューバダイビングをしたし、スキーもした。マラソンも、ブラインドテニスも、さらに障害者乗馬クラブに入り、馬にも乗った。「ひとつやると、ひとつ自信がつくんです。同時に友だちも増えていった。塩屋先生が、『アイメイトは危険物を避けて誘導するっていわれてますけど、視力を失った人の人生を変える力を持っているんです』っていってた。本当にそうだなって思います」
「病気にならずに、ずーっと目が見えていたら良かったのになって思うことはありますか」私がきく。「ぜんぜん」吉田さんは即座に否定する。「目が見えない、こういう生き方もあるんだっていうことを受け入れれば、見えないなんて気にならなくなるんです」
・上原さんは、一言一句、手書きで文字起こししているという。そのようにして用意した膨大な素材を何日もかけて読み込み、相手のことをずっと考え、自分の心にも潜りながらグッとくるポイントを探り、そこを中心に構成を組み立てていく。形にならなかった取材も少なくないはずだ。上原さんのコラムがしばしば「珠玉の」と形容されるのは、それが繊細な手仕事によるものだからではないか。
・上原さんの書くノンフィクション・コラムはどれも小さな物語だ。そこに描かれている人がいて、発せられた言葉があって、それ以上でもそれ以下でもない、様々な人生の断片。なんらかの主張やメッセージを伝えるために書かれたものではないし、時代や社会を映す鏡として存在しているわけでもない。余計な深読みや意味づけなどせず、その一篇一篇を味わうように読んでいくのがいいと思う。それでも私は無意識に結びつけてしまう。出てくる人たちと自分自身のことを。描かれる物語と私たちが生きるこの社会のことを。
「僕のお守り」「娘は二十一のまま」「新聞配達六〇年」「未練」「街のサンドイッチマン」「ああ、なんてみじめな」「あなた何様」「定時制グラフィティ」「恋し川さんの川柳」「炊き出し」「彼と彼女と私(絵本とおはなしの店 おばあさんの知恵袋」「父親と息子たち」「安心電話」「風光書房」など。
いいなあ。また上原さんの本、読み直そう。オススメです。(・∀・)♪