「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「こんな日もあるさ 23のコラム・ノンフィクション」(上原隆)

 

書籍が文庫化されるときにタイトルが変わったりするよね。この本を読んだとき、あれっ!?以前、読んだなあ!と思って調べたら、改題したのがコレだった!

 

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でも、以前読んだときと印象が違う話があるなあ!(・∀・)

 

“日本のボブ・グリーン”とも評された著者・上原隆さんは、無名の人たちにそっと寄り添い、話を聞きます。さりげない筆致ながら、胸には静かな余韻が残ります。原稿を読んだある方は、「まるでアキ・カウリスマキの映画のようだ」と漏らしました。押しつけではない感動と、人生への再発見に満ちた傑作コラム・ノンフィクション集」その中でも「子供の科学」のことが載っているではないか!!!ワタシの子供の頃愛読雑誌だったんだよね〜。そのエッセンスを紹介しよう。

 

【 雑誌「子供の科学」】
 
・当時、子供の科学には、毎号模型の作り方が載っていた。水中翼船とかポケットラジオとか望遠鏡とかだ。小学生の男の子にとって、それらはどれも作ってみたいなという思いをかきたてられるものだった。あの小学生の頃憧れた雑誌を、いま誰がどんな思いで作っているのだろう。誠文堂新光社子供の科学編集部を訪ねた。
 
・編集部の砦には、捕虫網があり、顕微鏡があり「実験道具」と書かれたダンボール箱がある。編集長を含めた社員三人と契約社員一人がいる。書類の山のなかのパソコンに向かって黙々と作業をしている。宇宙、生物、科学、昆虫、実験、模型、紙飛行機の型紙、クイズ…など、扱う対象は多岐にわたり、写真や絵を使って子供が興味を持つように表現している。「それをたった四人で?」「いやー、外部に何十人もスタッフがいるんです」
 
創刊は、1924(大正13)年、関東大震災の翌年だ。ちなみに「文藝春秋」の創刊が1923年と一年早いだけだ。おそらく、いまも刊行している子供向け雑誌としては、一番古いのではないだろうか。
 
子供の科学といえば工作だ。科学・技術をもの作りの中で楽しみながら身につけていく。「顕微鏡を作ろうと思い立ったのは『未知の世界を覗いてみたい』という欲求ももちろんだが『こうすれば作れる』と、仕組みの想像がついたからでもあったと思う。一生忘れない感動を覚えたような原体験を、いつの時代でも子供たちに提供し続けていきたいという思いは、歴代の編集長に受け継がれているはずだ。(元編集長・加藤美明
 
・「子供の頃に苦労して覚えた自転車には、体が動く限り一生乗れるでしょう。体で覚えた知識は一生ものなんですよ」
 
・「国立天文台の特別公開の日に行ったりすると、子供たちがいる。望遠鏡を覗いたり、天体写真を見たりしている子供たちの目がキラキラ輝いている。宇宙が好き、昆虫が好き、恐竜が好き、工作が好きという子供たちは昔もいたし、いまもいる。子供たちの心は変わっていない、と私は思っています」
 
・柏木の前の編集長のときに、「ミューニュートリノとタウニュートリノは何がどう違うんですか?」という質問が小学生からきた。編集長はその子に連絡をした。話をきき、自分では詳しく答えられないとわかり、いっしょにつくば市にある高エネルギー加速器研究機構に行き、専門家に説明してもらったという。「たったひとりの子のためにですか?」「そう、たったひとりの子のために。そういうとんがった質問をしてくる子には積極的に答えようっていう姿勢が編集部にはあるんです」
 
この話をきいて私の胸が熱くなった。ひとりの子供に芽生えた興味にとことんつき合おうとする編集長の態度が、生活費のための労働という範囲を逸脱して、使命感で仕事をしているように思えたからだ。
 
・柏木「私の場合、子供の頃の自分に対して雑誌を作っているような感覚があるんです」

 

いいなあ……上原隆さん。乾いた心に染み入るようだ。「六十歳のセックスフレンド」もいいなあ。オススメです。(・∀・)