「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「名将前夜 生涯一監督・野村克也の原点」(長谷川晶一)

 
・偉大なる野球人・野村克也をしのぶ会には、彼にまつわるさまざまなチームのユニフォームが飾られていた。しかし、この中年男性たちが所属した青いユニフォームは会場には飾られていなかった。27年にわたる現役生活を終え、野球評論家として在野にあった昭和末期、当時50代だった野村が率いたアマチュアしかも中学生のチームである。今ではすでに存在しない港東ムース」のことを知る者は当然、少ないだろう。
 
・ヤクルトに黄金時代をもたらし「名将の名をほしいままにした野村克也にとって、ムース時代はまさに名将前夜」と呼ぶにふさわしい時代である。野村は中学球児に何を教えたのか?どのように野球の奥深さを説いたのか?その教えは彼らの中にどのように息づいているのか?
 
・彼が決定的に野村に対する信頼感を強めたのは、多摩川グラウンドで野村の神がかり的なバッティングを見たときだった。チームができてすぐ、野村は選手たちに言った。「いいか、バッティングの見本を見せてやる」バッティングピッチャーがストレートを投じると、白球はあっという間にはるか彼方へと小さくなっていく。「おぉ……」と感嘆の声が漏れる。続いて投げられたボールも、野村はいとも簡単に打ち返した。その次の珠も、そしてその次の球も……、百発百中だった。すべてのボールを野村はホームランにしたのだ。このとき、野村は52歳、45歳で現役を引退してから7年が経過していたが、その打棒は健在だった。この瞬間から、少年たちは一気に野村に心酔していく。(この監督がいれば、僕たちも全国優勝できるのではないか……)
 
・人間は「無視、称賛、非難」の順で試される。このとき野村は中学生相手に「称賛」を選択した、また、こんな言葉も口にしている。褒められているうちは半人前と自覚せよ」
 
中学生には中学生なりの指導術があるはずだー。自分の野球観をどのように中学球児に伝えればいいのか?野村もまた「中学生への指導」を模索しながらの監督就任だったのである。
 
・この頃、少年たちに伝える野村の打撃指導はシンプルなものだった。ー小さく、鋭く。バットを振らないとスイングが速くならんないぞ」「スイングが速くなれば、どんな速球にも対応できるんだだぞ」
 
「怒る」は感情、「叱る」は理論。
 
・「試合に勝つことはもちろん大切なんだけど、僕はそれ以上に、“子どもたちが野球を楽しむこと”を大切にしていました。じゃあどうすれば良いのか?例えば、相手が知らないことを知ること。相手がやらないことをやること。相手がやっていない練習をすること……そういうことを子どもたちに体験してもらいながら、勝負の基厳しさ、勝ったときの喜び、負けたときの悔しさを知ってほしかった」
 
3年間無敗ー。誕生からわずか数年にして、港東ムースは圧倒的な強さを誇っていた。

 

「野村監督は、本当のお父さんのような人です」「スワローズ2連覇、ムース4連覇」「港東ムース、無念の消滅」「港東ムースが遺したもの」など。

 

ここで団野村が出てくるとは!井端も出てくるとは!♪ やっぱり原点って大事だねー。野球ファン必読。オススメです!(・∀・)