「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「野球殿堂入りに輝いた 知将 上田利治 千勝監督のリーダー学」

    


知将 上田利治


私が子どもの頃は、阪急ブレーブスの全盛期。アンダースロー山田、足立、豪速球の山口高志世界の盗塁王福本。打者では、長池加藤秀司、島谷、マルカーノ、ウィリアムス、森本……名選手ばかりだった。そしてそれを率いていたのが名将、上田利治監督。忘れもしない背番号30。


現役時代、控え捕手が、いかにして千勝監督、そして殿堂入りの栄誉を手にしたのか。その軌跡を辿れば、優れたリーダー学が浮かび上がる。部下の能力を最大限に引き出しながらの勝者の組織作り。記憶力と情報収集力。ビジネスマンにも参考になるエピソードが満載」そのエッセンスを紹介しよう。


関西大学入試採点の試験官は目を白黒させた。「すごい受験生がいる!」満点に近い答案だった。その秀才が野球部志望と分かって二度ビックリ。このニュースはたちまち学内に広がった。『文武両道のキリン児がやってくる』昭和30年、上田は関大法学部の入学試験にトップ合格した。正式の試験を受けてトップ入学したのは、関大野球部員では、上田が最初で最後であろう。まさに快挙だった。「当時、野球が強くて、司法試験の実績のある大学といえば、関東なら中央、関西なら関大だった。それで関大に入ろうと思ったんです。そのころ、自分が野球でめしを食えるとは思っていなかったし、大学で野球をやりながら、司法試験を受ける勉強をすればいいと思っていた」


・入学後総勢150名の部員。その中から1年生でメンバー入りしたのは、村山実と上田の二人だけ。“黄金バッテリー”の誕生へ早くから英才教育を受けた。名門・関大野球部の練習は半端ではない。結局、野球への道への一番勝負にかけたわけだが、「上田くんは、法曹界に進んでいても、実業界入りしていても大成功していたと思う。それだけの素晴らしい人材だった」と太鼓判を押している。政界からの誘いもひんぱんにあった。違う世界でも見る人はちゃんと見ているということか。


・1322。上田がこつこつと積み上げてきた監督としての勝利数である。歴代6位上田より上に名を連ねているのは、鶴岡一人三原脩藤本定義水原茂西本幸雄錚々たる顔ぶれだ。上田のすぐ下に野村克也がいる。史上空前の「V9」の川上哲治は1066勝で9位。長嶋茂雄が10位(1034勝)。監督勝利数10傑を見渡すと、西本幸雄を除いては選手としても大学、プロで華やかな活躍をした人ばかり。上田は現役生活(広島)わずか3年、誇るべき実績は残していない。西本にも劣っている。そんな男が、指導者として大成功を納め殿堂入りまで果たしたサクセス・ストーリーは異彩を放っている。上田は稀有な名将と言えよう。



野村克也「オレの及ばない名将が二人いる」と行って挙げた当時の現役監督が上田利治森祇晶だった。上田と森に共通しているのは昭和50年以降で3年(以上)連続で日本一になった監督だということだ。長い球史の中でも、上田、森のほかに水原、三原、川上の三人しかいない。めったに人をほめない野村のほめ言葉は、何も森、上田が同じキャッチャー出身だからでではない。本物と認めるがゆえのセリフであろう。


・上田の凄いところは「1322」という数字を、まったくカラーの違う3つのチームを率いて積み上げたことだ。初めて監督に就任したときの阪急は、全盛期を迎えつつあるチーム。打撃偏重のチームをいかにしてバランスの取れたチームに変貌させるかだった。第二期阪急〜オリックス時代は転換期のチームに新しい血を注入し再び活力を呼び覚ました時代。第三のチームの日本ハムは、一度すべてを更地にし、一から手作りで作り上げて行った。そして“ビッグバン打線”で優勝争いを演じるまでに昇華させていった。三つのチームは、熟年、青年、少年であり、その成熟度の違いをきっちりと掌握した上でそれぞれにあった処方箋を書き、きっちりと成果を出してみせた。監督歴20年以上で最下位になっていないのは、鶴岡一人水原茂と上田の三人しかいない。この勲章がその証しである。


人は名将と呼ぶ。選手として実績のない男が、わずか24歳で足を踏み入れた「管理者」の道。「ほんとうにオレでやれるのだろうか」幾度となく繰り返した自問自答。むさぼるように読んだリーダー論。管理学の本。管理者セミナーへの参加。アメリカのコーチ修行にはたいたなけなしの金。「鶴岡さんが教えてくれたんですよ。難しく考えるなよ。選手の立場に立って考えるのが一番なんだ、とね。それで吹っ切れましたよ」。走馬灯のように頭の中を巡る若かりし頃の思い出。苦労は買ってでもしろー先人の訓(おし)えが今にしてなんの抵抗もなく見に染みこんでくる。「あとは野球界に恩返しするだけ」


「村山とバッテリー組み日本一」「史上最年少24歳でコーチ」「第11代監督は36歳」「ついにジャイアンツを破った!」「1時間19分の猛抗議」「充電4年、日本ハム監督にー最下位チームを引き受ける」など。


いや〜もう一度復活して欲しいなあ。上田さん、好きだったなあ。野球ファン必読。オススメです。(・∀・)


    


知将 上田利治