「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「大世紀末サーカス」(安岡章太郎)

 

この本は、すごいわー!こんなことがあったのかー!♪ 知らなかったー!♪ 

 

「幕末に米欧を巡業した曲芸一座の痛快行状記。幕末維新の動乱の世、慶応2年10月から明治2年2月まで、高野広八以下18人の曲芸師たちは米欧各地を巡業した。アメリカ大統領の謁見を受け、パリでは万国博の最中に公演し大入り満員。ロンドンでは女王までもが見物に来るし、スペインでは、革命にも遭遇する。芸人らしく行く先々で女郎買いにも走り、風俗も洒脱に記録されている。広八が残した日記をもとに、旅芸人のしたたかさ、動乱期の世相が鮮やかに描かれた、曲芸師一座の痛快行状記である」

 
・慶応2年10月から明治2年2月まで、高野広八以下18人の曲芸師たちは米欧各地を巡業した。アメリカ大統領の謁見を受け、パリで万国博の最中に公演し大入り満員、ロンドンでは女王までが見物。しかし、スペインで革命にぶつかり、パリへ戻って幕府瓦解を知る。広八が残した日記をもとに、旅芸人のしたたかさ、動乱期の世相を鮮やかに描く。幕末維新期に米欧を巡業した曲芸師一座の行状記」そのエッセンスを紹介しよう。
 
安政六(1859)年の開港直前まで相州横浜村は、漁村というのもはばかられるぐらいの、漁師小舎が沼地と海辺にはさまれた細長い土地にちょこちょこと集まりあった。ただの湿地帯にすぎなかった。
 
それが一年たった万延元(1860)年には、商家だけでも二〇〇軒。うち生糸商が八九軒、呉服、茶、織物、漆器具、両替屋などが二〇数軒、合わせて百十余軒は、外国貿易、もしくは何らかの意味で外人と取引のある店舗だろう。残りの、7、80軒は、木材、石炭、薪炭、薬種、米、味噌、酒、鳥、青果、雑貨、サツマ芋問屋など、日用品や食糧を扱う店屋、それに旅館。飛脚といったサーヴィス業者、また海岸通りには海漕問屋も十軒ばかり並んでいた。さらに港の正面、運上所(税関)の附近には、外人向けの遊女屋も出来ていた。その周りには、イギリス系のジャーデン・マジソン商会をはじめ、外人商館や公使館、領事館などが立ち並んでいた。
 

江戸時代に海外に興行していて、帰ってきたら幕府が崩壊して明治時代だったなんて、笑えるよねー!♪(笑)オススメです!♪