1983(昭和58)年4月。明治大学農学部農芸化学科入学。最初の実験は、これから4年間使う自分の実験器具を作るという授業だった。えっ!?自分で作る!?全員、大学生協で買ったピッカピカの白衣姿。テーブルの上にはガラス棒、ガラス管とバーナー。スポイトと毛細管などを自分で作るのだ。ここで間違いなく全員、火傷をする。(笑)ガラス棒は温められても見た目が変わらないので、思わず触ってしまうのだ。これが大学生活のスタートだった。そして強烈に母校を好きになった瞬間であった。明治の校風「権利自由 独立自治、「個」を強くする大学という明治大学の理念の通り、明治OBに個性的な人が多い。ワタシも含めて。(笑)いまでもこの実験、やってるのかな!?
さてこの本。「「名門校」は単なる「進学校」と何が違うのか?男女御三家、地方公立名門校など全30校を丹念に取材。旧制中学、藩校、女学校、大学予科など系譜別に、名門校に棲みつく「家付き酵母」の正体に迫る。それぞれの名門校に受け継がれる文脈の壮大さ奥深さそして人間臭さを知ってしまうと、偏差値や進学実績といった瞬間的かつ一面的な基準で学校を論ずる無意味さや、場当たり的な教育改革議論に対する違和感あるいは嫌悪感から逃れられなくなってしまうだろう」そのエッセンスを紹介しよう。
・いい味噌や醤油をつくる昔ながらの蔵元には「家付き酵母」が棲みついているという。長い年月をかけそこに棲みつき、味噌や醤油には、そこでしか再現できない独特の「風味」を加える。同じ材料、同じ製法で作っても、他の蔵元では同じ味は出せないのだそうだ。
学校にも似たところがある。生徒は毎年入れ替わるし、当然一人一人違うのだが、それでも
同じ学校の生徒には共通する「らしさ」が宿る。
特に個性的な「らしさ」を醸し出す学校を、人々は「名門校」と呼ぶ。個性的な
「らしさ」を身につけた者同士は、お互いに
「におい」でわかる。ちょっと話してみるだけで、同じ学校の出身ではないかと直感的に感じるのだ。ときにその
「におい」は鼻につくほどだ。ただし、その「らしさ」とは何なのか、どうやってその
「らしさ」が身につくのかといわれると「何となく」以外に答えがない。それでも、
名門校のクオリア(≒感覚質)は存在する。
ひとそれぞれに「名門校」を規定する感覚があるのだ。名門校とそうでないものを峻別する能力も備わっているようだ。では、名門校とは何か。それを少しでも浮き彫りにしようとするのが本書の狙いである。
・【日本一どころか世界一を目指せる学校ー灘(兵庫県・私立)】
中学校の教室を除くと無骨な木の机の椅子が並んでいる。だいぶ年季が入っている。灘名物「机椅子」である。机と椅子がセットになって固定されており、座る位置を調整できない。旧制中学時代からの伝統である。始業や終業を知らせるチャイムはけたたましく、初めて聞いたときには警報機が作動したのかとびっくりした。コレも旧制中学時代からの伝統。学級委員のことは未だに「級長」と呼ぶ。これも伝統である。「変えちゃいけないところは変えるけど、変える必要のないところは変えない」が学校のスタンス。というわけで未だに旧制中学のにおいがプンプンする。
「日比谷高校の悲劇」「旧制中学からの系譜」「藩校からの系譜」「女学校からの系譜」「大学予科・師範学校からの系譜」「大正・昭和初期生まれの学校」「戦後生まれの星」「学校改革という決断」「進学校と名門校は何が違うのか?」
いいなあ。名門校、って響き、いいなあ。オススメです。(^^)