一日一冊一感動!小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

タイトルは、『一日一冊一感動!小野塚テルの感動の仕入れ!』日記。 毎日の読書、映画、グルメ、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。(ときどき「酒場のギター弾き」「B級グルメ」も紹介します)

「横浜謎解き散歩」(小市和雄)

 


横浜謎解き散歩 (新人物文庫)


横浜に住んで23年。その前に一度半年くらい住んでいるので、人生の中で新潟よりも、小田原よりも一番過ごした街になってしまった。(・∀・)I LOVE YOKOHAMA!


さてこの本。「幕末期、開港場として世界との窓口となった横浜。異国情緒漂う街には、たくさんの謎や不思議が秘められている日本大通りはなぜつくられた?“関内”という町名はないのに駅とエリアがあるのはなぜ?中華街ははじめグルメの街ではなかった?港の見える丘公園に英仏軍が10年以上も駐屯していた?JR鶴見線の駅名の多くに共通することとは?…などなど、86項目を厳選掲載」そのエッセンスを紹介しよう。


「人気スポット・元町ができた意外な経緯とは?」


じつは元町は、横浜が安政(1859)6年年6月2日に開港する際、横浜村に新たに開港場をつくるため、横浜村から山手の山すそへ強制的に移住させられた人々によって築かれた町である。もともとの住民が住む村という意味を込めて当初「本村」「元村」などと呼ばれていた元町は文久3(1863)年ごろに「元町」と呼ばれるようになり、居留地の外国人の生活のニーズに応える商人や職人の町として発展していった。同時に200年以上も鎖国だった日本にとって目新しく刺激的だった西洋の生活文化を、日本人に伝え広める窓口としての役目も果たしたのである。


「中華街」は戦後、横浜生まれの造語?


「中華街」という呼称は広く浸透しているが、じつは、かつて中国の人たちが大勢集まる町は「中華街」と呼ばれていなかった。南京町」「唐人町」または「唐人城」と呼ばれていた。昭和30年、横浜大空襲で壊滅的な被害を受けた街の復興を願い、街の大通りの「牌楼門」が建てられ、「中華街」という文字が刻まれた看板が門に掲げられたことにある。それ以降、横浜では「中華街」という呼び名が定着するようになった。横浜の有志たちが考えだした、まったく新しい造語だったのである。


「横浜は誕生当初、いまの約80分の1の広さだった?」「日米和親条約の締結時に力士が活躍した?」「住所に地番をつける習慣は、横浜の外国人居留地で始まった?」「伊勢佐木町」の町名は、町を整備した三人の名前と屋号が由来?」「高島町」の由来となった高島嘉右衛門とはどんな人物?」「キャベツなどの西洋野菜が横浜で初めて栽培された?」「横浜が始発駅でなかったことが、崎陽軒のシウマイを生んだ?」「綱島は、戦前まで岡山と並ぶ桃の名産地だった?」「日本初の電報・電話サービスが東京〜横浜で始まったときの騒動とは?」「山手の妙香寺は「君が代」発祥の地?」「谷崎潤一郎も書き記した幻の絶景スポット「元町百段」とは?」「映画の「封切り」という言葉は伊勢佐木町オデヲン座が発祥?」「日本初の公衆トイレは外国人のクレームから設置された?」「日本初の「横浜ホテル」には日本初の施設がいっぱい!」など。


やっぱりYOKOHAMAは、いいねえー!オススメです。(・∀・)


 


横浜謎解き散歩 (新人物文庫)