「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「無意識がわかれば人生が変わる「現実」は4つのメンタルモデルからつくり出される」(前野隆司 由佐美加子)

最近、ハマっている前野隆司さんの本。深い、深いなあー!!!フセンだらけになっちゃったよー!♪φ(..)メモメモ

 

「仕事における困難、将来に対する不安、漠然とした生きづらさ。そんな不本意な現実」はあなたの無意識が生み出している!1000人を超える個人セッションから見出した、人間の内面世界を紐解く技術を体系化した由佐美加子と、慶應義塾大学大学院で無意識や幸福学の研究を重ねる前野隆司教授による、すべての人が持つ4つの「メンタルモデル」についての対話を通して、無意識のメカニズムから解放され、本物の自己肯定感を得るヒントとは?」そのエッセンスを紹介しよう。

 

・ついに出ました。待望の、由佐美加子さんとの対談本。僕は、人の心はどういうもので、どうなるのか、どうなるべきなのか、に興味がある。結論としてわかったことは、心はないということ。そして、心はないということが実感として腑に落ちると、こだわりがなくなり、生きやすくなる、ということ。その究極が悟りの境地や達観の境地である。

 

・正直いうと「どうすれば人が幸せになるか」を追求するという意味での幸福学にはそろそろ飽きてきた(笑)。幸福学の基本はすでに世界中でおこなわれた研究によって明らかになりつつあるからだ。で、今の僕が興味を持っていることの1つは、人間の「究極の成長」や「究極の幸せ」とはどんなもので、どうすれば多くの人がそこに至れるのか、ということ

 

・由佐さんの4分類は、鮮やかな切り口なのである。「価値なし」「愛なし」「ひとりぼっち」「欠陥欠損」のどのタイプの要素を多く持つか、そしてその痛みを無意識の奥底に追いやるために、自分はどんなふうに回避行動や克服行動をしているかを自省してみることができる。その結果、自分自身についての理解が深まり、統合への歯車が回りだす。そんな鮮やかな切り口なのである。

 

・(由佐)人間には、行動を突き動かしている無意識の自動化されたシステムがあって、わたしはそれを「生存適合OS」と呼んでいます。このOSの目的は、自分の痛みを避けて生きること。このシステムに無自覚に規定された行動しかとれなくなるんです。わたしは「人間が支配されている無意識の生存システム」を意識的に顕在化させたいと思っているんです。

 

・メンタルモデルのプロセスは、厳重に守られたガラスケースのなかにある宝石を盗むルパン三世のような感覚です。宝石に手を伸ばす。余計なところに触れたら、相手もこちらもケガをする。

 

・人々の奥底にある痛みからつくり出された信念(=メンタルモデル)が、「価値なしモデル」(わたしには価値がない)「愛なしモデル」(わたしは愛されない)「ひとりぼっちモデル」(わたしは愛されない)「欠陥欠損モデル」(わたしには何かが決定的に欠けている)の4種に集約できることが見えてきたんです。誰もが全部の要素を持っていて、濃淡があるというイメージです。

 

 

・メンタルモデルの基本となる、いちばん大事なのは問いの力だと思っています。相手の潜在意識のなかにある真実を聴くことですね。

 

人間は、小さい頃に体験した痛みを避けるための信念を無自覚に持っています。そして、その深淵から自動的に作り出されている行動の自覚はなく、自分の日々やっていることを「良いことだ」「意味あることだ」と頭で正当化しています。

 

・わたしはよく「本当はどうなの?」と問います。問いかけられると、誰もが無意識のうちに内側の潜在意識にある真実を暴かれまいとします。暴かれたら、そこにある痛みを感じることになるからです。でも枠の外に出て、客観視することができれば「わたしを突き動かしているそのOSは自分ではない」し、「システムにつくり出された回避行動で人生を生きているわたしも本当の意味の自分ではない」と気づく。これこそが、本質的な意味で自分を取り戻し、自分とつながり直すことだと思っているんです。

 

・ほとんどの社会人は、会社で働き、人から求められる価値を出し、承認されている存在を「自分」だと思っています。でも本当はシステムに従って上手く生き残っていくために、人生から不快なことをできるだけ避け、痛みを味わわないように自動的に行動しているだけ。いわば、知らないうちに自作自演の舞台に立っているようなものです。

 

自分がなんのためにこの世界に生まれてきたのか、自分がここでどういう存在なのかがわからないまま生きるのは、本当にしんどい。メンタルモデルは、この社会システムの価値軸という次元ではなく、魂の次元で人間の人生を捉えるための方法なのだと考えています。

 

わたしたち人間が普段の人生でやっていることの大半は痛みを避ける行動ですが、その事実はもちろん自覚されることがありません。これを回避行動と呼んでいて、「克服」「逃避」の2種類があります。今の社会では、克服型ばかりが過剰に評価されています。

 

ひとりぼっちモデルは、話し方に特徴があります。けっこう言い切るんです。断言が多くて、言葉の運び方に曖昧さがない。欠陥欠損モデルは逆で、つかう言葉が曖昧で、どちらもある気がする、といういい方をしますね。

 

・ざっくりいえば、人間社会の調和は欠陥欠損の人たちの担当領域です。人間が全体性の大いなる命の一部としてつながって生かされていく、という感覚を持ちたいのがひとりぼっち。わたしは、これから価値なしモデルの人たちが淘汰されて、欠陥欠損モデルが台頭してくるんじゃないかと思っているんです。そういう兆候が出ていると感じています。欠陥欠損モデルの人は、人の多様性を「美しさ」として見ることができる。どんな凹凸の凹も凸に観ることができる。そういう人がつくる組織でないと、本当のティール型にはならないのではないか、とわたしは考えています。

 

・わたしがメンタルモデルが本当におもしろいと感じ始めたのは「4つの類型の裏側はライフミッションだ」と思えるようになってからなんです。なぜこの4つのモデルが人にとって痛みなのか?それは「この4つの欠乏感の奥には本当の世界があるはずだ、それを作り出したい」という願いがあるからではないか、と思うようになったんです。愛なしモデルは、無条件の愛を分かち合いたい。欠陥欠損モデルは、すべての多様性がそのまま受け入れられる安心・安全な世界をつくりたい。ひとりぼっちモデルは、大いなる生命につながって人間が生きるというワンネスを取り戻したい。価値なしモデルは、行動成果ではなく存在そのものに価値があるというところから生きていたい。これは、わたしたち人間が「この地球にどんな世界を本当は見たいのか」をあらわすメッセージのようなものだ、と思うんです。痛みの裏側に、こんなに美しいものがあるなんて、すごく秀逸でしょう?

 

この世界において本当にやりたいことは、その痛みの裏側にある。そしたら、痛みへの向き合い方も、これからの生き方も変わるんじゃないでしょうか?

 

・(前野)僕たち人間は、もともと完璧な人間のまわりにブロックをつくっているのかもしれない。生き延びるために必要だからと、ブロックを積み上げていく。そして、どこかの段階で、そのブロックを壊すのかなと思ったんです。そう考えると、ずいぶん面倒くさいことをしている。

(由佐)そのままでは生きられないから、一回自分を守るものをつくり込んでいく。それを今度は外していく。それが発達のプロセスなのでしょうね。

 

・わたしは「違和感」って、とても大切だと思っているんです。わたしたち人間は「なんだかおかしいぞ」と理屈じゃない部分で、感じることができる。これは人間が自分たちの命を守るために原始的に持っている感覚ではないでしょうか。説明はできないけれど、みんな身体のどこかで知っていることがある。

 

・わたしは、人間の内面でも外側でも、そこにあるものすべてが必要不可欠だと考えています。ないほうがいいものなんてない。あるものすべてを受け入れ、何があるのか、なぜあるのかを理解するという知性もある。そこに行くための技術だと思っています。

 

・1000人を超える方々一人ひとりの無意識にある内面世界の構造を探求してきて、その体験から明確にいえるのは、「現実に起きる痛みや不快感を伴う事象は、それを体験する人の進化をもたらす気づきのために必然的につくり出されている」ということです。

 

人間に備わっている、何かを得るため、事を成すためにに思考して行動する外側の力と、あるがままを受け入れ、内面を感じ抜いて内なる智慧につながる内側の力は、吸っては吐く呼吸のような陰陽のバランスで人間としての機能の調和が保たれています。このバランスが崩れるとさまざまな問題が起こり、そのバランスが偏っては揺り戻そうとするプロセスを常にくり返しながら、太古の昔から人間はこの地球でずっと進化のスパイラルを歩んでいるのかもしれません。

 

ワタシは、「欠陥欠損モデル」だなあ!欠陥だらけだからなー!(笑)勇気づけられるなー!超オススメです。(・∀・)♪