「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

その2「無意識の整え方 身体も心も運命もなぜかうまく動き出す30の習慣」(前野隆司)

 
昨日に続いて、お約束どおり、第二弾のエッセンスをお届けします。この本は、単なるノウハウ本じゃないね。これからの時代の生き方、というよりも本来の日本人のあり方にも触れる本だね。後半の3名を紹介しましょう。
 
 
【無意識対談②×松本紹圭(光明寺僧侶】
 
・(松本)南無阿弥陀佛は呪文みたいですね。意味性を感じられないことばを、人生の傍らに置いておくのが大切じゃないかと思うんです。ことばを聞いていけば、その背景に物語がある。意味をひも解けば、理解もできる。でも音としては無意味にも聞こえる。その無意味さが重要なんです。たとえば飛行機が墜落するようなとき、座禅をするのは難しいですが、そういう極限状態でも、念仏ならポータブルに持っていける。人生において、極限の極限は臨終でしょう。人間の感覚器官のうち、亡くなる直前まで残るのは聴覚です。そうだとすると、南無阿弥陀仏を聞くという念仏は臨終の際まで持っていくことができるのです。そのときに、意味を考えながら称えるというわけでもないでしょう。
 
【無意識対談③×山田博(株式会社森へ 代表取締役)】
 
多くの方が「自分が本当にしたいこと」と「実際にしていること」が違うことに気づきます。そこから、本当にしたいこと、やりがいを感じていることをさらに掘り下げていくのです。いろいろな葛藤があるんですが、それを乗り越えて、本当の目的を見つける。すると、すごくイキイキして元気になるんです。
 
・森にいると、なんとも懐かしい気持ちになる。「すっぽり感」という言葉が、すごくしっくりきました。この感覚は、たぶんまだうまく言語化されていないし、誰からも教えられたことのないものだと思います。でも不思議なくらい、誰でもすぐ感じることができるんですよね。DNAなのかわかりませんが、人間が持っているセンサーの深いところで感じ取っているもののような気がします。
 
「急がばまわれ」という言葉は、誰も知ってるはずなんですけどね。でも今の世の中は早く結果を出したほうが勝ちというルールです。その社会で20年、30年と生きていれば、それがデフォルトになってしまう。そこから抜け出すのは大変なこと。ある種、怖いというか。
 
森の中にいるときに浮かぶのは、たぶん脈絡のあるアイデアではないですよね。たぶん、その源泉になるような、ひらめきや直感だと思います。そういうものが“降ってくる力”は明らかに高まります。それは感覚が開いているからです。
 
感覚を開くコツは「ゆっくり」です。スピードを落とすこと。普段やっていることのスピードを半分にしてみるんです。毎朝バス停まで歩いているなら、それを半分の速度にするだけで構いません。一ヶ月は続けてみてください。そうすれば、かなり開きます。直感も鋭くなるはずです。日常生活でいちばんやりやすいのは呼吸かもしれませんね。思いついたときに10回ゆっくりした呼吸をする習慣をつける。これなら簡単でしょう。
 
 
【無意識対談④×稲葉俊郎(東京大学医学部附属病院 医師)】
 
 
(稲葉)・ぼくは、人間が想像できるものはすべてこの世界に存在する、もしくは存在していても何も不思議はない、という自由なとらえ方をしています。
 
ギリシャ時代に抽象的な哲学体系があれだけ発達した背景には、奴隷制があったという事実です。当時は労働をレベルの低いものだと考え、肉体労働を奴隷という存在に押しつけて、そのおかげで、働かなくてもいい階層の人々に余暇が生まれ、自由に思索世界へと没頭できた。現代にはロボットが発明された。奴隷制という非人道的なあり方を克服しようとして、人間はロボットや機械をつくってきたんじゃないでしょうか。古代ギリシアのような、みんなが当たり前に哲学していた時代に戻らなきゃいけないんじゃないかと思うんです。
 
自然、暮らし、衣食住、祭り、芸能、精神世界、医療……すべてが自然の中で一体化していた。それをぼくらは忘れかけそうになってるんじゃないかと思います。民俗学者柳田國男折口信夫宮本常一……の感じていた切実さは、そういうものだったと思います。
 
古事記万葉集風姿花伝を読んでいて、突然分かったんです。日本においては、美が医療の役割を果たしていたんだと。古典では、かなしみや死などの受け入れがたいものをなんとか受け入れようとするとき、和歌の交換が行われたり、舞いがはじまります。葛藤がいきなり美や芸術に昇華されてしまうんです。日本の真髄はここにあるんだと思いました。「芸術」とか「道」という美的な世界へと高めていたんじゃないかと思うのです。
 
いじめや対立は世界が狭いから起きると思っています。(さかなクン「いじめられている君へ」)広い海に出れば起きない。医療業界も狭まっていくと、対立が起きて、ある種のヒエラルキー構造ができてしまう。もう狭い枠内で対立したり争ったりする時代は終わると思います。
 
キヤノンというテクノロジー企業の名前にすら、観音への祈りを込める国ですからね(笑)。日本には、テクノロジーにも美的な次元を持ち込む精神性がある。
 
・東大の学生時代に倫理学を学んだ竹内整一先生のテーマが「あわい」でした。「『みずから』と『おのずから』のあわいだよ」の言葉に、ぼくは稲妻に打たれたような衝撃を受けたんです。「みずから」は個人の医師や思考、同時に「おのずから」は運命的な働きですね。同じ字なのに、その両方の意味合いを持つ、あわいの言葉なんです。
 
(前野)・ぼくの受動意識仮説では、自由意志は能動的に「みずから」やっていると思っているけど、本当は無意識の働きに過ぎなくて、意識はそれを受動的にエピソード記憶しているだけだと考えています。
 
(稲葉)・ぼくは、芸術とは子どもに還ることだと思っているんです。原始的な生命である「子ども性」というものをどういうふうに思い出し、表現するかという世界なんです。ですから、優れた芸術や美しいものを見ると、子どもに戻る
 
 
……実に深い……前野隆司さんの他の本も読んでみよ。超オススメです!(・∀・)