タイトルがいいねえ!昔、「愛のナイフ」っていう名曲があったけど、確かに「魂」にメスは要らないよね〜!(・∀・)
さて、この本。「つまずくこともある。病むこともある。自分の内にありながら、どこかとらえどころのない人間の心。“魂の医者”カール・グスタフ・ユングがひもといた人間心理の謎を、日本を代表する“こころの専門家”と“こころの表現者”が、深い独自のまなざしでたどり、見つめなおす。生を掘りさげ、夢を分析し、死を問いなおす2人の言葉のなかに、これまで気づかなかった「自分」が見えてくる、魂の根源に語りかける名講義録」そのエッセンスを紹介しよう。
・ぼくの場合はノイローゼでも何でもないわけで、 治療ということではないです。しかし、極端な見方をすると、 生まれてきたということは病んでいるわけでしょう。
何もこの世に生まれなくてもいいのに生まれてきたということはや っぱり病んでいるわけだから、 そこのところへ焦点を合わせていけば絶対にありますね。
・(そこに来てしゃべるだけで治ってしまう。 そういうのは何の力なんですかね。) やっぱりその人の力でしょう。本当によくなって「 先生のおかげと言いたいんですが。 どう考えてもおかげとは思えません」という人がいましたけど( 笑)。確かに自分で全部考え、自分で全部治したんだから。 叡智というものが働くんですよ。それはすごいですね。 ただそのとき、 ぼくが何もせずに座っている意味は大きいんですが。
・(普通の人間は、その自己治癒力ですが、 それを不断に働かせているわけですね)普通は、 それが適当にうまく働いているわけです。だから、 深く悩むこともなく深く治ることもなく、 みんな生きているわけでしょう。 いわば普通の人間は自分で自分なりの治療行為をしているわけです ね。つまりすってんてんになるまでパチンコをするとか、 途方もない大金を競馬で使ったりするとか、 それなりにみんな治るための儀式をやっているんですね。 日記を書くのも、友達と話をするのもそうでしょう。 それをもうちょっと凝集し、 非常にコントロールされた形でやるのがわれわれの仕事ですね。
・高い山へ登るときに、 ヘリコプターでパッと4000メートルへ連れていかれたら、 みんな高山病になりますね。それと同じで、 やっぱり下から上がっていかなああかん。
・日本人は依存するのはあたりまえでしょう。 それはある程度は許容しなくちゃいけませんし……。 西洋人だったら、 そこまで依存したらもう離れられないんじゃないか、 と思うくらいのところまで依存しても離れるときはみごとに離れま すから、その違いは非常におもしろいですね。
・端的に言いますと、 ごまかしができる人というのはノーマルな人なんですね。つまり、 ごまかす余裕を持っているわけです。 ところがノイローゼの人というのは、 いわば内的に表現せざると得ない切迫したものを持っているわけで すから、どうしてもそれが出てくる。だから、 そういう人のつかった箱庭をほかの人に見せると、 うそみたいに思われたりすんです、 あんまりきれいに出ているから。
・(箱庭療法は) まず砂にさわるということの持つ意味が大きいと思います。 大人の人は砂いじりなんてあんまりやらないから、 砂をいじっているうちに子供に帰ったような、 少しコントロールが弱まった感じになってきて、 何かつくりたくなりますね。しかし、 やってみられたらわかりますが、 自分の思っているとおりにはなかなかいかないものです。
・よく学生たちにも言うんですけれども、 われわれに一番大事なのは感心する才能ですね。「はあー」とか「 うわー」とか、ともなく感心するんです。 そうするとつくる気が出てきますから。それを「これは何ですか」 とか「ここがあいてますね」 なんて言うのは一番下手なやり方です。
・われわれの仕事というのは、結局、 患者に対して何もしないということなんです。相談されて「はあ」 とか「ふーん」とか言うだけで、 その人が自己治癒していくさまを感激して見ているんだから。 このごろは何かしてくれる人が多くなりすぎたもので、 何もしない人のところに、 金を払って時間を決めてわざわざ行くようになったわけです。
・大野晋さんによれば、日本の「時」という言葉は、 もともと明治以降の近代化された時間間隔とはまったく違ったもの だそうです。そして大野さんは非常に大胆に、「時」は「解く」 と同じ語源じゃないかとおっしゃるんです。「ひもがほどける」 とか「氷が解ける」とか、 そういうふうに日本人は時間というものをとらえていたという見方 なんです。もしそうだとすると、 西洋人の時間感覚とはまったく違うという気がしますね。
はやり今は心の時代だね。心の理由=心理を学ばなきゃ、だね。オススメです。(・∀・)