数年経って、2020年のこの「新型コロナウィルス」の騒ぎを振り返ったとき、あのときは大変だったなあ……。苦労したなあ……。あそこから時代が変わったんだなあ……。と笑って振り返れる気がする。(・∀・)
そんな時にこの本に出会った。米長邦雄永世棋聖の本。「不運」と「幸運」は、まさに表裏一体の関係にある。「幸運」だけでは人生は勝てない。そのエッセンスを紹介しよう。
・かねて私は、人間が落ち目になった時、スランプに陥った時、 すなわち「不運」の時にどうするかに、非常に興味を持っていた。 勝負事でも人生でも、ツイてる時に勝つことよりも、 苦しい時にいかに粘るかのほうが大事だと思うからである。
・即効性のあるスランプの特効薬は「笑い」である。 極意ともいえる。好きなことを思い切りやって、腹の底から笑い、 頭の中をからっぽにすると、すっきりとした明るい気分になり、 スランプであること自体を忘れてしまうものである。
・若い頃、 百手以上の詰将棋を一時間二時間かけて解いたことがある。 米長は天才だと言われた。それをコンピュータは一秒で解く。 天才の一時間とコンピュータの一秒が同じなのだ。 詰め将は数学の問題を解くのに似ている。 計算とスピードがものを言う世界である。 それこどコンピュータが最も得意とするところで、 アナログである人間の頭では、 終盤はまったくコンピュータに太刀打ちできないのである。
・しかし将棋は中盤戦が長い。 押したり引いたりの駆け引きはプロの強さでもある。この中盤に、 コンピュータソフトの弱点がある。 それは中盤戦は記憶力や計算だけでは正しい一手が得られない、 あるいは存在しない世界だからである。 何十手にもわたって双方がもごもご出たり入ったりを繰り返す。 この「もごもご」がコンピュータは苦手なのである。 苦手というよりわからない。 過去のデータから導き出せない微妙な手は、 コンピュータはどう対応していいのかわからなくなってしまう。 突然閃くこともある。この直感こそが、 アナログである人間にしか生み出せないものなのだ。 つまり中盤では、人間のほうがはるかに強いのである。
・運のいい時というのは、満開の桜のようなもの。 美しく華やかで人目を惹く。一方、不運に見舞われ、 不遇をかこっている時は、 桜の木が土の中に根付こうとしている時期である。 しっかりと根を張った桜は、やがて芽を出し、 驚くほど豊かな花を咲かせる。不運とは、 幸福の根源にほかならないのである。
なるほど!説得力があるっ!この時期に米長さんの本、読み返したい。オススメです!(・∀・)