以前から不思議に思っていた。落語三遊協会(円楽一門会)がなぜ寄席に出られないのか、出ないのか。それは立川一門も同じだけどね。 「真打昇進問題」をきっかけに勃発する落語界最大の抗争・落語協会分裂騒動のことだ!
「昭和53年に落語協会分裂騒動が起こり、新聞、マスコミは大々的にこの事件を報道し、あれから8年たった。あの当時の事件の当事者達もかなり亡くなり、人々はあの事件をすっかり忘れてしまった…。ぜひ書かねばなるまいと思っていた。いや、あの事実を語らずに貝のように口を閉ざして死にたくないという執念のような気持だ。これは俺から見た協会分裂の百パーセントの真実なのだ」著者は明治大学の大センパイ、三遊亭円丈師匠。そのエッセンスを紹介しよう。
・円生一門での一番弟子円楽のポジションは、 弟子という存在をはるかに超越し、 円生の参謀兼相談役というところだった。俺と円楽とは、水と油、 絶対に相容れなかった。彼は、野心家で激情しやすく信念の人で、 どんな場合も自分が絶対正しいと信じるコトのできる人間だ。 十年間彼を見て来た結果、彼の性格を一口で言えば心理学的には、 新興宗教の教祖にありがちはヒステリー性性格のようだ。 それに彼の意見は二年周期でコロコロ変わる。 芸人円楽を最大限に讃えれば、彼は、素晴らしい名スタンド・ プレイヤーだ。
・円生は、キッチリと筋を通し、 曲がったことの嫌いな人だったが、 それゆえにやや包容力に欠ける面があり、 ある人からは偏屈に思われていた。一方、小さんは、 包容力に満ち溢れた人で、 まるで広大無辺の菩薩のようなやさしさを持っていたが、 それゆえに何かの決断をする時に、このやさしさが足枷( あしかせ)となって決断力を鈍らせ、 人によっては優柔不断に見えたのだ。
・俺の心は、円生を許しはしなかった。今もまだ許してはいない。 ただ、あの心の拷問で、俺の円生を思う心が死んでしまったのだ。 昔のように仲間や知人に我が師、 円生が以下に偉大な芸人であるのか、熱っぽく語る情熱はない。 俺は、円生を憎んではいない。円生を恨みもしない。 ただ円生を許しもしない。
し、知らなかった……。帯に書いてあるけど「これがサラリーマン社会の縮図」なのかもしれないね。これは歴史に埋もれさせてはいけないね。お笑いファン、必読です。オススメです!♪