「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「笑点 円楽のよろずガイダンス 笑っちゃうくらいタメになる」

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子どもの頃からずーっと観ている笑点。あの頃の司会は、三波伸介。好きだったなあ〜!桂歌丸林家こん平三遊亭圓窓三遊亭小圓遊、そして五代目三遊亭圓楽師匠!座布団運びは、松崎真だよね〜!♪

 

この本は、五代目円楽師匠が書いた36年前の笑点のガイダンス本だよ。(・∀・)

 

・落語家を「面白い噺しをして飯をくう人間」と考えた場合、戦国時代、大名に仕えておしゃべりで主人の無聊(ぶりょう)をなぐさめたというお伽衆(とぎしゅう)のことが考えられます。太閤秀吉に仕えた曽呂利新左衛門みたいな人々ですね。
 
江戸時代になって、京都のお坊さんで安楽庵策伝(1554〜1642)という人は面白い噺しが得意でした。京都所司代板倉重宗のところへチョクチョク出かけて小噺しをしゃべり、それを改めて一冊の本「醒睡笑」(せいすいしょう)として献上した。それが出版されて今も伝わり、中には今の落語の原型となったと思われる噺しもずいぶんある。落語家の祖として良いでしょう。
 
 

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・四大将軍家綱のころ、京都に露の五郎兵衛という人があらわれて辻咄しを始めました。続いて大坂で米沢彦八が江戸で鹿野武左衛門が辻咄しを始めましたこの三人が庶民の落語家の元祖です。
 
・幕末には江戸の寄席はなんと四百件を数えるようになりました。
 
「あんな長い噺しをよく憶えられますね」と言われますが、ネタは落語家の財産です。これさえあれば一生食うに困らないわけですから死にもの狂いで憶えます。楽屋にいる時は、先輩師匠の雑用を片付けながら耳は常に高座に向け、寄せの往復時も口のなかでブツブツとネタをくり返し、家へ帰れば寝る時間を惜しんで稽古に励む。この姿勢が大切です。
 
・亭号が初めて使われたのも諸説ありますが、江戸時代の三笑亭可楽であろうというのがほぼ定説になっています「三遊亭」の創始者は、初代円生です。「飲む、打つ、買う」の三道楽をシャレて、三遊亭と号し、「まるく生きる」で円生と変えたのです。この円生の二代目襲名争いに敗れた弟子の一人から派生した名が古今亭」です。「われこそは、古今まれにみる噺し家。われこそ真の生なり」と、初代古今亭志ん生が誕生しました。(真生の説もある)
 
落語史上で最もかわった前歴を持っていたのは明治の初代三遊亭遊です。裁判所の判事(裁判官)でした。ところが在任中、被告の女性に熱をあげて、有利な判決を下し、無罪にしてやったあげく夫婦となったのがバレて、言語道断とクビになり、噺し家に転業しました。落語を地でいくような経歴です。
 
・高座で熱演中に地震が起きた事があります。その時の演者は、あわてずさわがず、こう言ったそうです。この古い建てつけの寄席で、この程度のゆれですから、まったく心配はいりません。私は臆病な人間ですから、もし本当にあぶなければ、まっ先に逃げ出しています」それで場内は爆笑の渦。なんの混乱も起きませんでした。
 
「とんち相撲」
 
郵便局vs小包 送り出しで郵便局の勝ち
税務署vsサラリーマン とったりで税務署の勝ち
熱海の海岸と葉山の海岸 ツキ出して熱海の海岸の勝ち
政治家vs国民 肩すかしで政治家の勝ち
写真家vs口うるさい客 もの言いついてとりなおし
和装の花嫁vs洋装の花嫁 ウチカケで和装の花嫁の勝ち
後楽園vs豊島園 豊島園の不戦勝(後楽園はキュウジョウ)
女性vs痴漢 こまたすくいで痴漢の勝ち
処女vs童貞 一晩中闘ってイタミわけ
台風vs才賀の家 水入り後おしつぶされて才賀の家の負け
 
 
三遊亭円朝ー不世出の名人」は特にスゴイ。聴いたことなかったなあ。年末に向けて読んでおくといいよね。オススメです。(・∀・)

 

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