子どもの頃、お札といえば、聖徳太子、伊藤博文、岩倉具視。その後、夏目漱石、新渡戸稲造、福沢諭吉。そして野口英世、樋口一葉、福沢諭吉だよね。
そして今年!じゃじゃじゃーん!!!北里柴三郎、津田梅子、そして渋沢栄一だよねー!!!ワクワクっ!!!(^^)
「巨人・渋沢は、いかにして生まれたか。1867年1月、渋沢は、将軍・慶喜の弟、徳川昭武を公使とする遣欧使節団に随行を命じられ、欧州巡歴の旅に出発した。かの地で彼は何を見聞きし、何を感じたのか。それは、新生日本の建設に、どう生かされたのか」そのエッセンスを紹介しよう。
・本書の主題は、青年・渋沢がどのような背景を基に、 ヨーロッパへの旅に出かけたか。 そして二年近くにわたる船旅を含めての大旅行の体験によって、 後年、日本近代化の巨人に成長していく基礎を、 いかにして培ったかを辿ることにある。同時に、 その前後の一橋家の士官時代や大蔵省の事績と合わせて、 その実像を明らかにしていきたい。
・思えば、人の一生を樹木の成長に譬えれば、その根や幹は、 三十歳前後までに出来上がってしまうもののようである。 そしてその時における旅や海外体験が、 いかに重要かということだもある。 それは視野を大きく広げるとともに、 自らをそして自国の姿を外から客観的に見る機会を与えてくれるか らである。
・事実、七十歳代も半ばの頃、渋沢はこう語っている。「 自分の一身上、一番効能のあった旅は、 四十四年前の洋行と思います。この時が銀行を起こすこととか、 公債を発行するとか、 外国では役人と商人との懸隔が日本の如くでない。 これはなんとかしなければならぬ言う事に気が付いた、 これはよほど効能のあったことと思います」
・渋沢につけられた代名詞は、枚挙にいとまがない。 日本資本主義の父、日本近代産業の生みの親、五〇〇 にも及ぶ会社を興し、六〇〇になんなんとする社会・教育・ 公共事業を起こした巨人、明治・大正・昭和にわたる九〇 年余の生涯を数々の挫折をも乗り越え生え抜いた類い稀なる「 不倒翁」、自ら財閥を創ろうとはせず、 もっぱら公益を追求した私心なき偉大な経営者、 あくまでも官ではなく民の人、自主独立の人、 民業の地位向上を目指し。、商工業者やビジネスマンのために「 論語と算盤」を後述し、一貫して「経済道徳合一説」 を唱道した事業家、モラルリーダー……。
「将軍の親弟、徳川昭武に従って欧州へ」「なぜ、 農民出身のにわか侍が選ばれたのか」「マルセイユまで、 四八日間の船の旅」「パリ万博博覧会の光と影」「大君の使節、 欧州五カ国巡歴」「「ペルゴレーズ館」での学びの日々」「 幕府崩壊、帰国へ」「隠棲の慶喜のもとで、静岡藩の藩政改革」「 明治新政府での活躍と欧州体験」「いま求められる「 論語資本主義」の精神」など。
渋沢栄一のお札が待ち遠しいなあ!先人に、偉人に、大先輩に感謝。オススメです。(^^)