「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「京急沿線の不思議と謎」(岡田直)

  


京急沿線の不思議と謎 (じっぴコンパクト新書)


京急沿線沿いに住んで20数年。あの真っ赤な色はいいよねー!大好きっ!(・∀・)


この本は、京急沿線にひそむ地理・地名・歴史の意外な真実やおもしろエピソードが満載。読めば、ふだんなにげなく見ている駅や沿線風景が違って見えてくる!京急沿線がもっと好きになる一冊。そのエッセンスを紹介しよう。


・寺社や温泉に向かう乗物としてつくられた国内第一号が、1899(明治32)年に川崎大師の産経電車として開業した大師電気鉄道である。これが京浜急行電鉄京急)のはじまりである。もう一つの前身となったのが、昭和初期に開業した湘南電気鉄道である。横浜から横須賀・浦賀・逗子へ伸びる路線網は、観光地としての三浦半島を生み出した。両者はひとつとなり、戦後、京浜急行電鉄として出発した。1986(昭和43)年には都営地下鉄との直通運転を開始し、私鉄各社が課題とした東京都心への乗り入れを実現し、1998(平成10)年には羽田空港への乗り入れを開始した。


京急の長い歴史には「電車」という乗物が今日の姿になるまでの、日本の私鉄がたどったあゆみが凝縮されている。本書は京急の線路とその沿線について身近な話題を中心にとり上げた父の雑学本である。


京急はなぜ、川崎から離れた六郷橋を起点としたのか?】


1899(明治32)年に開業した大師電気鉄道は、川崎大師の参拝路線として敷設されたにもかかわらず、同線はすでに開業していた官営鉄道の東海道線川崎駅とは連絡せず、川崎駅から500メートルほど離れた六郷橋を起点としていた、なぜか?その答えは、川崎駅から大師まで客を運んでいた人力車組合が反対運動を展開したからだ。川崎における人力車の祖といわれた小川松五郎「だるま組」である。地元の大師河原は、電車を恐れ大反対する。また電車は商売に差し障りがでいると川崎町の商店も反対した。その急先鋒が当時160台を有するまでに成長した「だるま組」であり、電気鉄道計画は人力車夫にとって死活問題だったからだ。起点は途中の六郷橋に変更してようやく合意を得た。大師電気鉄道の開業後は、人力車と電車の連絡切符も販売され、川崎駅までは人力車夫が大師電気鉄道の乗客を引くという不思議な光景も見られた。


その他、神武寺駅には一般の人が使えない謎の改札口がある」「横浜駅戸部駅のあいだにある停車しないホームの正体」「かつて京急の貨物駅がJR川崎駅の前にあった!?」「日の出駅のホームにあるタイルアートに隠された謎」「競輪場で知られた花月園は、東洋一の大遊園地だった!」「久里浜線は、なぜ中途半端なところで途切れているのか」「もともと京急線は、三浦半島を一周するはずだった!?」「杉田八幡神社にはゆるキャラのような狛犬がいる!」「七本の道路が交錯する複雑な交差点〈七辻〉はなぜできた?」「品川から青山まで山手線内への進入を目指していた京急本線」「京急電車が改軌を繰り返したわけとは?」「京急の車両編成にある共通点を発見!」「京急名物、片開きドアとは!?」「ラッキーを呼ぶ!?「幸せの黄色い電車」を走らせた京急の遊び心」「駅名が動物の名前!?戦時中にあった「キリン」駅の由来」「どうして品川駅より南にあるのに「北品川」っていうの?」「立会川とそこに架かる橋にまつわる悲しい由来」「「鮫洲」の由来はホントにサメだった」「どうして「馬場駅」が近くにないのに「新馬場」というのか」「JR東神奈川駅京急仲木戸駅。乗換駅なのになぜ駅名が違う?」
など。


へー!当たり前だと思っていたけど、「片開きドア」って珍しいんだ〜!アイ・ラブ・京急!超オススメです。(・∀・)


  


京急沿線の不思議と謎 (じっぴコンパクト新書)