一日一冊一感動!小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

タイトルは、『一日一冊一感動!小野塚テルの感動の仕入れ!』日記。 毎日の読書、映画、グルメ、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。(ときどき「酒場のギター弾き」「B級グルメ」も紹介します)

「地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み 関東1 東急・小田急」(今尾恵介)


地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み 関東(1)東急・小田急


小学生の頃、新潟から小田原に引越した。最寄り駅は小田急栢山駅。小田原の人じゃないと、「かやま」ってなかなか読めないんだよね。(笑)
大学も小田急線生田だった。まさに学生時代は小田急線とともにあった」のだ。(・∀・)♪


さてこの本は最近ハマっている今尾恵介さんの本。

「本書は、鉄道や軌道の許認可に関する戦前の公文書である鉄道省(鉄道院)文書とさまざまな時代の地図をもとに、東京急行電鉄小田急電鉄の歩みと近現代の日本の足跡を眺めていきます。関東大震災後の郊外志向、農村から工業都市への急激な発展、都心部への乗り入れ、娯楽の変遷、乗客獲得のための大学や工場、軍関連施設の誘致など。私たちの歴史を沿線からいま一度見つめ直す」そのエッセンスを紹介しよう。


東京急行電鉄という名称は昭和17(1942)年以来の比較的新しいもので、それ以前は東京横浜電鉄目黒蒲田電鉄であった関東の大手私鉄の中では意外に新しいと見ることもできるが、最初は上記記載牽引の鉄道としてスタートした東武鉄道西武鉄道(川越鉄道)、相模鉄道(神中鉄道)、路面電車に準ずる形態で始まった京浜急行大師電気鉄道京浜電気鉄道)、京王電鉄京王電気軌道)、京成電鉄(帝釈人車軌道ー京成電気軌道)とは違い。目黒蒲田電鉄は最初から「高速電気鉄道」としてスタートした路線としては最も早い時期にあたる。ちなみに小田急電鉄小田原急行電鉄)は昭和2年(1929)の開業だ。


田園都市」は大正の昔に遡る由緒ある用語であり、その名を冠した田園都市株式会社がその開発を連綿と行ってきた。日本で最も有名な高級住宅地である田園調布も、調布村にできた田園都市


池上電気鉄道が山手線を跨いだ東側の駅ビルには、開通半年後にあたる昭和3年(1928)12月に白木屋が入った。これが関東における最初の「ターミナルデパート」であることはあまり知られていない。現在の「remy五反田」の場所である。


東京急行電鉄50年史』によれば専務の五島慶太は、横浜市電の中吊りや新聞での広告ポスターに「直通電車」「観光電車」「ガラ空キ電車」をアピールするよう指示、東横電車・目蒲電車の名入りポスターには次のような文言が入った。


目黒〜神奈川間直通電車運転
一日の行楽は多摩川原へ
ガラ空き電車を御利用下さい


・現生田駅の場所に生田村の代表者と小田急が交渉していたところ、村の西部にあたる現読売ランド駅前付近の有力者がこれに異議を唱え、村の西部への設置を呼びかけたところ村会でも賛成が多く、一転して西部への駅の設置が決まった。しかし驚いた東部の住民たちは集会を開き、もし西部に駅ができるなら土地は売らないなどと猛烈な反対運動を行ったのである。結局双方の要望を容れて村内に駅を二ヶ所設けることに決定、それぞれ東生田西生田という駅名がつけられた。


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ワタシの青春の街、生田駅にはそんなドラマがあったんだね。オモシロイ!実にオモシロイ!オススメです。(・∀・)♪


現在でこそ神奈川県は900万の人口を誇るが、大正14年(1925)の国勢調査によれば141万人に過ぎず。しかも県の中で横浜、川崎、横須賀という当時県内の三大都市にはカスリもしない閑散たる地域をわざわざ選んで通るような状況であった。小田急利光社長らしく、ずいぶんと遠い将来の発展を見据えた超・先行投資であった



地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み 関東(1)東急・小田急