一日一冊一感動!小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

タイトルは、『一日一冊一感動!小野塚テルの感動の仕入れ!』日記。 毎日の読書、映画、グルメ、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。(ときどき「酒場のギター弾き」「B級グルメ」も紹介します)

「地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み 関東3 京成・京急・相鉄」(今尾恵介)

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このシリーズもようやく最終巻。我が鉄道京急がいよいよ登場!そして小田急厚木駅」がなぜ海老名にあるのに「厚木駅」なのか!?その疑問も解消。そのエッセンスを紹介しよう。


大手の私鉄の起終点の都市から一文字ずつ採った命名が目立つ。京浜急行、京阪、阪神などだが、京成電気軌道(現京成電鉄)の「成田」は、それとは趣を異にしている。都市というよりは成田山新勝寺であり、都市間連絡線ではなく、参詣電車として計画されたのがこの電鉄だ。


・しかし京成が始動する前の明治30(1897)年1月に総武鉄道(現JR総武線)の佐倉から成田へ至る私鉄の成田鉄道(現JR成田線が開通、さらに同34年に我孫子までを延伸した時点で、東京〜成田間を結ぶ鉄道はすでに二通り存在したのである。つまり本所駅(現錦糸町)から総武鉄道で佐倉を出て、そこから成田鉄道で成田に至るルート、もうひとつが上野から日本鉄道海岸線(現JR常磐線我孫子を出て、そこから成田鉄道という経路である。



・明治23(1890)年春、東京の上野公園で「第三回内国勧業博覧会」が開催された。その目玉のひとつが5月4日から実験運転を始めた日本初の「電車」である。博覧会の時に購入された二両のうち一両は、後に京浜急行の前身会社(京浜電気鉄道で使われることとなった。


今では神奈川を名乗るのは浜急行だけとなったが、かつては東海道本線で横浜のひとつ手前の停車場であった。場所は現在の京急神奈川駅とは異なり、国道一号(第二京浜)が東海道本線などを跨ぐ青木橋から170メートルほど横浜駅に寄った地点にあった。


・今はなき、京急の駅。「北馬場」「南馬場」「浜川」「鈴ヶ森」「大森八幡」「学校裏」「大森山谷」「京浜蒲田」「出村」「京浜川崎」「総持寺」「キリンビール前」「京浜神奈川」「平沼」「湘南富岡」「湘南田浦」「軍需部前」「逸見」「横須賀軍港」「横須賀公郷」「横須賀堀内」「湘南大津」など。


・そもそも厚木町の対岸である海老名村に設置した駅がなぜ厚木を名乗っているのだろうか。現在でも所在地が海老名市川原口であって厚木市でないために誤解されることが多い。海老名村長と厚木町の助役が相談し、当時の海老名村は寒村であったため、対岸の厚木の名をもらったのだ。

 

そうだったのか−!浦安に「TDL」があるのと同じか!(笑)鉄道ファン必読!オススメです。(・∀・)

 

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鉄道ファンには全作品、オススメ。(・∀・) ♪

 

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