「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「人間臨終図巻 下」(山田風太郎)


先日紹介した、「天下の奇書」の最終巻。不慮の死、刑死、病死、自殺、大往生―歴史上の著名人のあらゆる死の形を集めた空前の記録、下巻には七十三歳から百代で死んだ人々292名の最期を収録。そのエッセンスを紹介しよう。


・「人間は、他人の死には不感症だ、といいながら、なぜ『人間臨終図巻』など書くのかね」「……いや、私は解剖学者が屍体を見るように、さまざまな人間のさまざまな死を見ているだけだ」(山田風太郎


・自分が消滅したあと、空も地上もまったく同じ世界とは、実に何たる怪事。(山田風太郎


◆七十三歳で死んだ人々 ウィリヘルム・グリム(弟)(1786〜1859)


兄・ヤーコブは、『私の半身が死んだ』といって落涙した。その勤勉で温雅で質実な性格や性格から、日常においては童話的なところは全然ない兄弟であったが、この稀有な兄弟愛こそ童話的であった


◆七十四歳で死んだ人々 南方熊楠(1867)


病状が重くなったので、家人が医者を呼ぼうとすると「医者はいらん」とことわり「天井に美しい楝(おうち)の花が咲いている。医者が来るとその花が消えてしまうから呼ばないでくれ。緑の下に白い小鳥が死んでいるから、朝になったら葬ってやってくれ」と、詩のような不可解なことをつぶやいた。夜になってから「私はこれからぐっすり眠るから、羽織を頭からかけてくれ。ではお前たちも休んでおくれ」といった。そして息をひきとった。楝の花は紀州田辺あたりに見られる藤に似たうす紫の花で、熊楠は甚だこの花を好んでいた。


◆七十五歳で死んだ人々 マーク・トウェイン(1835〜1910)


死ぬ一年前に彼はいった。「私は1835年ハレー彗星とともにこの世に生まれた。来年はまた彗星が近づく。私は彗星とともにこの世を去りたい」翌年「じゃあまあ、いずれあの世で会えるんだから」という言葉を遺した。


◆七十五歳で死んだ人々 鑑真(688〜763)


かねてから「我もしついに亡ぜんときは、願わくは坐して死なん」といっていたとおり天平宝字7年5月6日、唐招提寺の宿坊で、西に向かって結跏趺坐したまま死んだ。死んで三日たっても体温が感じられたので、久しく葬られず、のちに火葬に付したときは香気が山内に満ちた。


◆七十六歳で死んだ人々 勝海舟(1823〜1899)


客が先生の銅像を建てたいと思っている、というと、銅像なんか、時勢の変わりようで、いつ大砲や鉄砲の弾に鋳られるかわかりゃしない。そんなつまらないことをするより、その費用の三割でいいから、いまのうち金でもらいたいよ」と、大笑した。最期の言葉は「コレデオシマイ」


◆七十九歳で死んだ人々 法然(1133〜1212)


法然は病床でたえず念仏を唱えつづけ、眠っていると見えるときも唇や舌が動いていた。そして「私もと極楽浄土にいた人間だから、いまはその故郷へ帰ってゆくだけである」といい、弟子が師の御坊の御遺跡はどこにしたらいいでしょうか、と訊くと、「念仏の声のあるところは、海女、漁師の苫屋まで、みな私の遺跡である」といった。建暦2年1月25日、庭まで雲集した信者たちの念仏の声の中に、正午過ぎに彼は入寂した。


◆八十歳で死んだ人々 釈迦(前463〜前383)


弟子の近づいたことを悟った釈迦は、弟子のアーナンダに、サーラ樹(いわゆる沙羅双樹)の林に縄床を敷くことを命じた。釈迦は、頭を北にし、右脇を下にして横たわり、手で枕し、両足を重ねて臥した。そして弟子たちに、なお心をゆるめることなく修行するように告げて死んだ。2月15日夜半のことであったといわれる。このとき風はやみ、鳥獣は声をとめ、樹木も液汁を流し、木々の花は散ったという伝説がある。


◆八十三歳で死んだ人々 ユゴー(1802〜1885)


5月16日に彼は付添いにいった。「私は死んだ」「何をいうのです。ぴんぴんしていらっしゃるじゃありませんか」「君がそう思うだけさ」彼は何か異常を感じていたのであろう。18日に彼は倒れた。ベッドに寝かされたときにユゴーはいった。
「君、死ぬのはつらいね」「でも、死んだりなさるものですか」「いや死ぬね」しばらくしてスペイン語でいった。「だが、死を大歓迎するよ。ここで夜と昼が戦っている」とつぶやいた。「黒い光が見える」というのが最後の言葉であった。


最後はもちろん、120歳で大往生した泉重千代翁。「長寿の秘訣は、酒と女」「好きな女性のタイプは、年上の女性」と話したという伝説は、いつ聞いてもスゴイなあ。いかに生きるかということは、いかに死ぬかということ。この本は参考になるよ。超オススメです。(・∀・)