「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「人間臨終図巻 上」(山田風太郎)


この本はスゴイ!オンリーワンでナンバーワンの本だろう。(・∀・) 要するに古今東西のさまざまな人々の900以上にも及ぶ「死に際の記録」だけを淡々と羅列したものであり、「天下の奇書」といって過言ではない。タイトルに「図巻」を冠しているだけあって、分量も凄いことになっている。九年がかりでこの偉業を成し遂げたのた。


「この世に生を享けた者、誰もが逃れ得ぬ事象、「死」。若き日からこれに興味を抱き、作品を通して独特の死生観を描いてきた山田風太郎。氏が集めた総勢923名という膨大な死の記録である。歴史に名を残す著名人(英雄、武将、政治家、犯罪者、芸術家、文豪、芸能人など)の臨終の様子が淡々と綴られ、死者の人生までも浮き彫りにしていく。上巻では十代から五十五歳で死んだ人々324名を収録」そのエッセンスを紹介しよう。


・人間は正視することの出来ないものが二つある。太陽と死だ。(ラ・ロシュフーコー


・同じ夜に何千人死のうと、人はただひとりで死んでゆく。(山田風太郎


・死は終りを意味するが、残された者には始まりを意味する。(E・シュナイドマン)


・人は死んで三日たてば、三百年前に死んだのと同然になる。(山田風太郎


・もし自分の死ぬ年齢を知っていたら、大半の人間の生きようは一変するだろう。従って社会の様相も一変するだろう。そして歴史そのものが一変するだろう。(山田風太郎


・最愛の人が死んだ日にも、人間は晩飯を食う。(山田風太郎


◆三十七歳で死んだ人々 宮沢賢治(1896ー1933)


「今夜は電灯が暗いなあ」といった。


◆四十三歳で死んだ人々 植村直己(1941ー1984


死を賭けた冒険を職業とする男は、平生きわめて謙虚で、


「僕は別に大そうなことは何もしていません。普通の社会人としてやっていく自信がないからこんなことをしているんです。本当は、怖くて怖くて、寒くて寒くて……」


「マイナス40度を越す厳寒の中、乱氷を砕きつつ死に物狂いで前進しているとき、疲れ果てて泥のように眠りにおちて見る夢は……雪のない暖かい東京の夢だった」


「将来を思うと、わびしく、さびしい。……十年後には、私は山とも冒険とも関係ない、ごく普通の生活をしているだろう」


史上初の冬のマッキンリー冬季単独登頂に成功した後、連絡が絶えた。ちょうど植村の43歳の誕生日であった。行方不明のニュースに日本中大騒ぎとなった中に、彼の妻は「私はどんな旅にも、全部反対しました。けれど返事は、おれにはこれしかない、でした。反対してもゆく人でした。……でも、家庭での植村は、可愛い、気の弱い人でした。子供がいたら、山はやらせない、ともいっていました」といい、彼の故郷但馬の83歳になる老父は、「倅は、お国にも御近所にも、何の役にも立たんことをして、こんなに心配していただきて申しわけない」と、天を仰いで言った。


植村直己さんは明治大学農学部の大先輩。冒険と死というのは切っても切り離せないものなんだよねえ。これから〈中〉巻〈下〉巻も読みます。オススメです。(・∀・)