「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「談志が死んだ」(立川談四楼)

いや〜これはスゴイ本だ…!?落語界の天才、そして異端児、立川流家元の立川談志師匠の死は、弟子たちにも伏せられていた。享年七十五。この不世出の落語家に入門したのは十八歳の春だった。それから四十年近く惚れ抜いた師匠から突然の破門宣告。「てめえなんざクビだ」。全身が震えた。怒りの理由が分らない。振り回され、腹を立て、やがて気づいた。大変だ。壊れてるんだ、師匠は――。偉大な師匠(おやじ)の光と影を古弟子(せがれ)が虚実皮膜の間に描き尽す傑作長篇小説。そのエッセンスを紹介しよう。


・あの日、直弟子は「美弥」に集合していた。師匠が担がれるように、抱き上げられるように入ってきた。お内儀さん、長女の弓子さん、長男の慎太郎さんが後に続く。オールスターキャストだ。談志は声帯の摘出手術を受け、声が出ない。弟子はいっせいに喋り始めた。失敗話である。儲け損ねた話、女に逃げられた話、酒の失敗談、エトセトラ。談志はニヤニヤしながら聞き、ときどき肩を上下させてウケたという演技をし、ある者の話には、いつまでたっても下手だなあという風情で、両の口角を下げた。30分ほどそうしていただろうか。一同は、画用紙とサインペンを出し「あの、弟子にメッセージを」


ちいさな字だ。震えてもいる。覆いかぶさるように画用紙を覗き込んだ弟子の間から、いっせいにドカンと笑いが上がった。それは原語であった。カタカナであった。関東では四文字、関西圏では三文字のアレであった。スゲエ、師匠はスゲエ、筆談でもウケさせた。誰もがそう言い募った。その三ヶ月後、談志の死が公になった当夜、志の輔がテレビのニュース番組に映った。


「師匠は弟子に素晴らしい言葉を残してくれたんです。差し障りがありますんで概要を申し上げます。お察しください。有名な原語の四文字です。平仮名で大きくその四文字を書いてくれたんです」


ああ、もう小言を言ってくれる人はいないのだ、という思いがあらためて胸に押し寄せた。ところが同時に、“視界良好”という言葉が突如浮かび、薄情にも邪魔者がいなくなった開放感が湧き上がったことも白状しておく。


談志のモットー、座右の銘「拾う 貰う 取る」


特に、立川流誕生の背景と詳細、パキスタン人の偽造テレカの話。ホテルの切手の話のエピソードは、スゴすぎる…。こんな師匠も師匠だが、ついていった弟子も弟子だ。今はもう、談志師匠みたいな破天荒な人いないだろうねえ。超オススメです。(・o・)!