音楽、特にフォークとの出会いは衝撃的だった。特に今は死語となってしまった「叙情派フォーク」は私の人生を変え、ギターを弾きはじめたきっかけとなった。
そして歌謡曲という言葉もジャンルもなくなり、「ニュー・ミュージック」という言葉もオールドになってしまった。今、歌はどこにあるのだろうか!?
さて、この本。「いま、叙情が危ない。われわれのこころの世界が乾き、叙情を受け容れる器が水漏れをおこしているのではないか。叙情とは、万葉以来の生命のリズムのことだ。日常の言葉を詩の形に結晶させる泉のことだ。それが危機に瀕しているのは、歌の調べが固有のリズムを喪失しているからだ。 いまこそ、「歌」の精神を取り戻すときではないか」そのエッセンスを紹介しよう。
・日本の「歌」は今、栄えているのか。それとも衰えているのか。
20年ほど前、日本の子守唄を聞かせられた赤ん坊がむずかりだし、拒否反応を示したといった出来事が社会的に反響を呼んだことがあった。なぜそん反応を示したのか、原因は判然としなかったのだが、民放テレビのコマーシャル・ソングに短調が一つも見いだせなかったということが指摘された。日本列島はいつのまにか短調排除に時代を迎えていたというわけである。それが急激に増大している少年少女たちの犯罪とどこかでつながっているのではないか。現に売りだされている用少年期の子供たち用の音楽教材には、どこをみても悲哀の旋律を帯びた子守唄は収録されなくなっていたのである。
前略
歌が空を飛ばなくなったと申し上げたことがあります。もう十五年も前になりますか。
また、ヘッドホンで聴く歌は聴くにあらず、点滴であると危惧したこともあります。
そして近くには、ミュージックはあるが、ソングはない、です。
ずいぶん、嘆きつづけているものです。
特に。ソングはないということは言葉がないということで、これはいささか、はやりすたれとだけ云っていられない気持ちになります。
・美空ひばりが亡くなったのは平成元年(1989)の6月24日。あれからもう17年も経つ。時代の変調は、すでにそのころから始まっていたのだ。その3年後、ロックンロールの教祖・尾崎豊が26歳の若さで逝った。この3年の歳月の流れの意味は小さくはなかったと思う。時代の断層が大きく口を開けているように私にはみえるからだ。
・美空ひばりの歌には、いつでも独特の悲哀感が漂っていたように思う。だが尾崎豊の歌には、苦しみと怒りの叫びがいつでもこだましていた。「歌」が不思議な変貌をとげつつあったといっていいだろう。われわれはすでにそのころから。悲哀感の喪失という砂漠のように乾いた世界に漂いはじめていたのかもしれないのである。
その他、「短歌的叙情の否定と救済ー小野十三郎と折口信夫」「サラダ記念日の衝撃」「浪花節と演歌」「平家物語の無常観」「挽歌の伝統と「北の螢」」「瞽女唄と盲僧琵琶ー小林ハルと永田法順」「西條八十と北原白秋」など。
音楽が大好きで、音楽を作って歌っていながら、音楽を全く聴かなくなってしまった私…。実に考えさせられました。オススメです。(・o・)