「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち」(切通理作)

日本テレビ史に残るヒーロー、ウルトラマンとウルトラ・シリーズ。だが、その作品を産みだした男たちのことを、私達のほとんどが知らない…。


「差別・犯罪・初恋・妄執…四人の作家が怪獣に託した〈孤独〉を〈痛み〉とともに体験し直す渾身の力作!伝説の名著、ここに完全復活!日本特撮番組の金字塔ウルトラマンシリーズを支えた四人の作家たち」

金城哲夫…〈光の子〉ウルトラマンの作者が体現した悲劇とは?
佐々木守…〈戦後民主主義〉は、らくがきを書く権利を認めている。
上原正三…怒りの無風地帯「差別があるからこそ生きてこられた」。
市川森一ウルトラマン最後の言葉に託した、願いと絶望。
初刊行時より二十余年、怪獣評論のあり方を変えた革命的一冊が四万字を越える増補を得て復活!そのエッセンスを紹介しよう。


怪獣モノだったらなんでもよかったわけではない。当時、怪獣や怪人の登場する特撮番組はたくさんあったが、いつしか飽きてしまった。でも、初期のウルトラ・シリーズに出てくる怪獣たちは違ったレッドキングピグモン、ウー、ジャミラ……。彼らの名前と姿は20数年経った今でも忘れることができない。それは、それぞれがそれぞれの物語を背負っていたからだろう。


開発という名のもとに壊されている山や森、そして、海底の断層から現れてきたウルトラ・シリーズの怪獣たち。彼らは「バケモノ」ではなく、場違いな世界にはぐれ出てしまった迷い子に過ぎなかった。悪の軍団の一員どころか、怪獣たちはいつもひとりぼっちだった。


・やがて社会人になった「怪獣」の本をむさぼるように読んで、僕は、「ウルトラマン」が円谷英二ひとりによって作られているのではなかったことを知った。怪獣たちに、忘れがたい物語を与えてシナリオ作家たちがいた。金城哲夫佐々木守上原正三市川森一。ウルトラ・シリーズには50人近いライターが参加したが。僕にとって特に印象的な物語を書いたのはこの4人だった。


彼らの書いた物語は、けっして勧善懲悪でも明朗快活でもなかった。ウルトラマン」が作られたのは60年代の日本。東京オリンピック、新幹線、首都高速道路開通、所得倍増……敗戦後の暗さ貧しさを吹っ切り、世の中のすべてが明るい未来を夢見ていた高度経済成長の時代だ。そうした風潮と彼らシナリオ作家たちの書いた物語はズレていた。


・この本に登場する4人の作家たちも、「淋しかった」子ども時代の自分から目をそらさなかった。まだ20代だった彼らは、大人のストーリーテラーに徹して「明るく健やかな」子どものための物語を作ることができなかったのだ。

「あの頃は蓄積がなかったから、計算された物語パターンや図式の反復なんかなく、自分の感性で書いてました」(上原正三

「脚本家と作風というのは違ってくるものなんです。けれどもウルトラマンを書いてきた頃は。僕と作風は同じでした」(市川森一

僕が聞きたかったのはこれだけだったようだ。

「あなたは、どんな子どもだったんですか?」

まずはとにかく、初めて「ウルトラマン」の世界に出会った頃に戻ろう。まだ、自分と世の中がそぐわないものだなんて知るよしもなかった、あの頃に。


金城哲夫ー永遠の境界人 佐々木守ー永遠の傍観者 上原正三ー永遠の異邦人 市川森一ー永遠の浮遊者 増補「テレビを消したら、僕が消える?」


ああ〜ウルトラマンが観たい〜!!!今観たらどんな感想を抱くのだろう!?オススメです。(・∀・)!