「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ラーメン大好き!!」(東海林さだお編)


小さい頃からラーメンが好きだ。一日三食ラーメンでもいいくらいだ。そば、うどん、など麺類は皆好きだが得にラーメンは別格である。


日本人が愛してやまない食物、ラーメン。ラーメンの魅力とは何だろう?編者の発したこの命題に、26名のラーメン愛好家たちが取り組んだ。ある者は具について考え、ある者はスープについて、またある者は戦後日本社会との関係を考察する。
さらに人気ラーメン屋の店主6名へのインタヴュー、在野グルメ諸氏による座談会などを加え、多角的にその魅力に迫る、ラーメン探求の書」そのエッセンスを紹介しよう。


【人は何故にラーメンで興奮するのか】


なにかのはずみで、ふと食べたくなると、もう矢も盾もたまらぬ、という食物がある。
雑誌のラーメンのカラーグラビア写真などがあると、ぼくは、「ウム、もうどうにもならぬ、今すぐ待ったなし、この場で、たとえ相手を押し倒しても」と興奮してしまう。


考えてみれば、ラーメンは実に単純な食物である。
容れ物は丼一つ、これだけでこと足りる。
寿司のように、醤油の小皿もつかない。
カツ丼のように、おしんこの皿もつかない。
威風堂々丼一つ、これだけで勝負しているのである。
丼の中には、スープと麺、そして具、これだけである。
具にしても、基本的には。シナチクと焼豚だけである。
たったこれだけの食物に、人々は大騒ぎするのである。
本書のごとく、一冊の本が出来上がるほどに人々は騒ぎに騒ぐのである。
これはなぜであろうか。


同じ麺類であるきつねうどんでは少しも騒がぬ男たちが、ことラーメンとなるとかくも
騒ぎ始めるのはなぜであろうか。
たしかに、きつねうどんで騒いでいる人々を見たことがない
油揚げの厚みがどうのとか。煮具合がどうのとかいう議論を聞いたことがない。
たぬきうどんでも、鴨南蛮でも変わりはなかろう。
日本そば、うどんのたぐいは、むしろ人々をして沈黙せしめるところがあるように思う。
精神の沈静化をうながすところがあるように思う。
一杯のきつねうどんを前にすると、人はなにかこう、しみじみとした気持ちになり、心静まる。すすっているうちに敬虔(けいけん)な気持ちになって念仏の一つもとなえたくなる。
ところがラーメンとなると事態は一変するのである。


ラーメンを食べているときは、精神はラーメンのみに集中していて他のことは一切考えられない。没入、集中、熱中という点からいえば、ラーメンの右に出るものはないのではないか。それほどにラーメンは、人を熱中させるものなのである。忘我の境に陥れるものなのである。これほどまでに、人の精神を没入せしめるラーメンとは一体何か。
その魔力は一体どこにあるのか。
本書が、その開明の一助とならんことを祈るばかりである。


30年前の本だけど、いまでも通じる所がたくさんあるなあ…!(・o・)


「私がラーメンをつくる!人気ラーメン屋はかく語りき」

(恵比寿らーめん、春木屋江ぐち、大八、高揚、桂花)

ラーメン学各論(ラーメン具学、ラーメンスープ学、ラーメン心理学、ラーメン造形学、ラーメン社会学、ラーメン栄養学、ラーメン漂流学、九州ラーメン学、ラーメン文献学)


ああ〜またラーメン食べたくなっちゃったー!オススメです。(・o・)!