最近、共感しているのが一橋大学学長の阿部謹也さんの「世間」についての解釈。頭の良い人は、こういうことを考えているのかー!♪
「自己の完成を願う、教養観を覆す画期的論考。哲学のすべてを修め、最後に靴直しの仕事につく――江戸時代や西洋中世の学問のあり方、公共性と「世間」の歴史的洞察から、集団の中で生きる教養の可能性を探る」そのエッセンスを紹介しよう。
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・教養とは単に出し入れが自由にできる知識なのだろうか。 それならばコンピューターでもできるだろう。 教養には単に知識だけではく、人格が含まれていたはずなのである。 そこで誰でも身に着けることができる教養について考えてみた。 特に我が国で教養を身につけるにはどうしたらよいのかを考えて みたのである。本書はその意味で前著『「世間」とは何か』 の続編である。
・「世間」の中で生きるために必要なものは何かといえば、 いうまでもなく、文字や言葉を介さない教養である。 つまり我が国において「世間」 の中で生きるためには文字や言葉よりは動作や振る舞いのほうが遥 かに重要なのである。
・大人は「世間」の厳しさを身にしみて知っているために、 子供の対しても自分の体験に基づく教訓を押しつけようとする。 大切なことは「世間」 とは何かを子供と共に学ぶ中で教育することなのだが、 それができずにいるのである。その理由は「世間」 がいわば文字や言葉によらない知の世界であり、 大人が明治以来学んできた西欧的教育では捉えられない内容を持っ ているためである。
「建前と本音の区別」は、よく分かるなー!やっぱり日本人は「世間」の中で生きているんだね。オススメです。(^^)