この前、この本読んで、オモシロくて、面白くて、続編ないかなー!と探していたのよー!♪
・大里洋吉というプロダクション経営者がいる。
・1883年に行った「アイコ16歳」 の主役のオーディションで富田靖子が優勝、 上位に残った宮崎萬純を磨いてダイヤモンドにした。 そうしたスターづくりとともに映画本体も商品として成立させてし まった。その仕掛けは…。
①夏休みに映画に出てみないか、クラスメート(女子中、高生) 五十人募集キャンペーン
②応募。12万7千人。応募落選者に反撥を食わないように“ ありがとうメッセージ”の返送。 そして逆に彼女たちを宣伝に巻き込む。 彼女たちの口コミが映画の宣伝になり、 最後は映画の顧客にもなる。 周囲の友人をも巻き込んだ展開が期待できる。
③書類選考で九割以上落とし、 残った数千人の応募者を全国七カ所で面接し、決勝戦へ。 その模様を「グッド・バイ夏のうさぎ」と題した映画にし、 応募者の関心を誘いながら商品にしてしまう。 話題性の提供がねらいであった。 大里はこのようにすべての出来事を血肉化した。
・“平成の仕掛け人” 大里洋吉のビジネス手法をつぶさに辿っていくと、 ひとりの人間にたどりつく。渡辺晋である。 渡辺晋は戦後最大最強の芸能プロ「渡辺プロダクション」( ナベプロ)を妻・美佐とともに一代で築き上げた傑物である。
・大里洋吉は、その渡辺晋の下でマネージャーをやっていた。 しかもマネージャー時代、 渡辺晋のやり方を痛烈に批判していたと言われている。 会議に連続34回も出席しなかったこともある。 その大里がいま仲間うちでは最も渡辺晋に近いと評価されている 。その才能を“平成の渡辺晋”と称えるむきもある。 渡辺は昭和62年、59歳で亡くなったが、 渡辺晋は生きているのだ。
・美佐「 一度だけの人生なら楽しくやりたいことをやらなきゃあ」
「渡辺通り」は渡辺家にちなんだもの」へー!そうだったのかあ〜!♪
芸能界ってこうやって出来たんだねー!いいなあ!この時代に関わりたかったな〜!オススメです。(・∀・)♪