鉄道関連の本って、いままだ何冊くらい読んだかな!?200冊じゃあ効かないだろうなあ!歴史とか由来とかのトリビアものが好きなんだよね〜!
さてこの本。明治大学の先輩の今尾恵介さんの著作。全作品読破を狙っています!♪
・明治27(1894)年には、冊子型時刻表である『 汽車汽舩旅行案内』には、「上野高崎前橋間」 と区間の表示なので、 線名で呼ぶ習慣が定着していなかったのかもしれない。 日露戦争の後、明治39(1906)年に鉄道国有法が公布され。 同42年に告示された「国有鉄道線路名称」に、東海道線、 北陸線、山陽線、山陰線などの各名称が記載されている。
・JR貸しません。JR得しません。神戸電鉄ありません。 それぞれ、鹿島線、徳島線、有馬線の誤変換だが、 人間の頭ではなかなか思いつかないのが「言い出せん」 ことJR飯田線である。全長195. 7キロで途中駅が92もあるため、駅間距離は2. 1キロと平均的なJR線の半分ほど。 人口密度がさほど高くない地域を走るにもかかわらず駅が多いのは 、かつて私鉄であった名残である。
【東北本線】欧州を長駆する北の主役
・早稲田大学の校歌「都の西北 早稲田の杜に」とあるが、一般的には西北ではなくて北西だろう。 しかし明治10(1877)年に起きた日本最後の内戦も「 西南戦争」であるし、また「東南アジア」然り、「東北地方」 然りで、中国でも遼寧省や吉林省などが位置するのはやはり「 東北地方」だ。 つまり中国文化圏に属してきた日本にあっては八方位を表現する時 、伝統的に東西を先、南北を後にしていたのである。 そこへ明治以降に西洋文明が入ってきて、Northwest( 北西) といった南北を先にする表現の直訳が徐々に浸透してきたのだろう 。
・南武線はかつて南部鉄道という私鉄であった。 ルーツをたどれば大正九(1920)年の「多摩川砂利鉄道」で、 その名の通り多摩川の砂利を運ぶ目論見であったが、 武蔵の国の南部を走ることから南部鉄道と改められた。 会社設立時の資金不足を助けたのが浅野セメントの総帥・ 浅野総一郎である。この鉄道が五日市(現あきる野市) 方面の石灰石を浜川崎のセメント工場まで結ぶ最短輸送路の一部で あったためだ。
オモシロくない!?ワタシは鉄道歴史オタクだなあー。先人たちの情熱と汗と努力に感謝。オススメです。(・∀・)