「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「鉄道・路線名のひみつ 木更津線、人吉本線を知っていますか」(今尾恵介)

 
鉄道関連の本って、いままだ何冊くらい読んだかな!?200冊じゃあ効かないだろうなあ!歴史とか由来とかのトリビアものが好きなんだよね〜!
 
さてこの本。明治大学の先輩の今尾恵介さんの著作。全作品読破を狙っています!♪
 
鉄道路線名はどのように名付けられているのか?鉄道路線がどんな歴史を経て、現在の路線名になったのか?知られざるひみつに迫る!」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
東海道本線上越新幹線阪急神戸線……。日常的に何気なく使っている鉄道位の路線名は、いつからそう呼ばれるようになったのだろうか明治の鉄道黎明期にあっては「◯◯線」という表現はあまり見かけない。明治13(1880)年の迅速地図では、山手線を称して「自赤羽至品川(あかばねよりしながわにいたる)鉄道」などと表記されているし、その後の地形図にも官営にもかかわらず東海道鉄道」といった、後世から見れば私鉄のような名称が目立つ。
 
・明治27(1894)年には、冊子型時刻表である汽車汽舩旅行案内』には、「上野高崎前橋間」区間の表示なので、線名で呼ぶ習慣が定着していなかったのかもしれない。日露戦争の後、明治39(1906)年に鉄道国有法が公布され。同42年に告示された国有鉄道線路名称」に、東海道線北陸線山陽線、山陰線などの各名称が記載されている。
 
 
飯田線】四社が手を繋いだ長い「国電
 
JR貸しません。JR得しません。神戸電鉄ありませんそれぞれ、鹿島線徳島線有馬線の誤変換だが、人間の頭ではなかなか思いつかないのが「言い出せん」ことJR飯田線である。全長195.7キロで途中駅が92もあるため、駅間距離は2.1キロと平均的なJR線の半分ほど。人口密度がさほど高くない地域を走るにもかかわらず駅が多いのはかつて私鉄であった名残である。
 
 
東北本線】欧州を長駆する北の主役
 
早稲田大学の校歌都の西北 早稲田の杜に」とあるが、一般的には西北ではなくて北西だろう。しかし明治10(1877)年に起きた日本最後の内戦も西南戦争であるし、また「東南アジア」然り、「東北地方」然りで、中国でも遼寧省吉林省などが位置するのはやはり東北地方」だ。つまり中国文化圏に属してきた日本にあっては八方位を表現する時伝統的に東西を先、南北を後にしていたのである。そこへ明治以降に西洋文明が入ってきて、Northwest(北西)といった南北を先にする表現の直訳が徐々に浸透してきたのだろう
 
 
南武線】「多摩川砂利鉄道」は今、タワマンの街を走る
 
南武線はかつて南部鉄道という私鉄であった。ルーツをたどれば大正九(1920)年の多摩川砂利鉄道」で、その名の通り多摩川の砂利を運ぶ目論見であったが、武蔵の国の南部を走ることから南部鉄道と改められた。会社設立時の資金不足を助けたのが浅野セメントの総帥・浅野総一郎である。この鉄道が五日市(現あきる野市方面の石灰石を浜川崎のセメント工場まで結ぶ最短輸送路の一部であったためだ。
 
オモシロくない!?ワタシは鉄道歴史オタクだなあー。先人たちの情熱と汗と努力に感謝。オススメです。(・∀・)