「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「秘境鉄道の謎 今こそ訪れたい「レア路線・駅」大全」(風来堂)

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実家のある小田原市曽我大沢の近くには御殿場線上大井駅がある。単線の無人駅だが、ここがかつて丹那トンネルが出来る前、東海道本線だった面影をみることはできない。「兵どもが夢の跡」だよなあ……。(・∀・)
 
なぜ、そこに路線があるのか? 全国の37の路線・スポットを厳選し、詳細マップと希少写真で徹底解剖!現役の鉄道から廃線未成線まで、日本一マニアックに掘り起こす!今こそ訪れたい「レア路線・駅」大全」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
鉄道は、公共交通機関の中で最も、明治以来の近現代史の歩みとともにしてきた存在といえる。当初は、外国人技師の指導のもとで始まり、資材も輸入されるものが多かった。そこから徐々に技術力が向上し、資材や車両の生産体制も整い、時代とともに発展していった。
 
峠越えや断崖、風雪など、鉄道開発は常に困難とともにあった。その最前線である「秘境」での闘いの歴史について、この本では数多く取り上げている。中には、計画はされたものの開通に至らず終わってしまった未成線や、時代が下るとともに利用者減に悩まされ、やむなく廃線となってしまった路線もある。単に「珍しい」「なかなかたどりつけない」というだけではない、秘境路線や秘境駅の新たな魅力が発見できることは間違いない。
 
明治の鉄道黎明の時代。最大の規模を備えた鉄道は北海道にあった。北海道の鉄道は人を運ぶことではなく石炭の輸送を目的として建設された。明治政府は当初、私鉄の建設を認めようとはしなかった民間資本によって鉄道が建設されるようになれば、それは採算性の高い都市部に集中するようになり、そのことが地域の格差を拡大するというのが政府の側の言い分だった。しかし、明治政府には全国に自前での鉄道を建設する財力はなかったこともあって、私鉄の建設が認められた。
 
明治期の鉄道建設で最も困難とされていたのが長大トンネルの掘削で、長さ1kmを超えるほどのトンネルでさえ、当時の技術では困難だった。そこで山越えの路線はルートを慎重に選び長い迂回を繰り返しながら、坂を登り続け、サミットの直下になってようやくトンネルが掘られるという手法が採られた、さほど大きくない山に数多くのトンネルが掘られてしまったものもある。いずれも、ルート設定に自由度がなかったゆえのやむをえない選択だったのだろう。しかし、技術がなかったがゆえに、遠回りのルートを選択してしまった鉄道は、のちになって多いな負荷を生むことになる。
 
 
銚子電気鉄道 食品販売で倒産を回避した移植の鉄道」「近江鉄道 近江商人の町に響くガチャコンの音」「JR木次(きすき)線 高低差や豪雪にも負けず運行中!」「阿佐海岸鉄道阿佐東線 「日本一の赤字路線」で世界初の乗り物が走る!」「旧狩勝(かりかち)新内(にいない)トンネル 無名の開拓殉難者が掘った隧道」「JRを飯田線 急峻な地形を乗り越え94駅をつなぐ」「山万ユーカリが丘線 不動産業者が都市と鉄道をセットで開発!」「伊予鉄道 電車同士のレールが十字に交差!?」「小幌駅 国道から見えるのにアクセス困難!?」「宗太郎駅 もともとは急峻な峠に造られた信号機」など。

 

春だし、鉄道の旅に出掛けよう。超オススメです。(・∀・)

 

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