「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ぼやいて、聞いて。」(ナイツ塙宣之)

 

最近は、寄席にあまり行ってないけど、けっこうな確率で出演しているのが「ナイツ」。オモシロイよね。大好き。テレビで観るのと違って、尺が長いし、テレビでしゃべらないネタがあるのが、実にいい。( ・∀・)イイ!!x


「芸人だけど、つるめない。とんちんかんなプレゼントを贈っては相手を困惑させ、とある社長に連れられた飲み会から逃げ帰り、かと思えば苦手な先輩と「年に一度だけ決まった日に必ず会う」というルールを自らに課してみる……。「人付き合いが苦手」を公言するナイツ・塙宣之が、それでも人と関わりながらたどり着いた、初の人生哲学エッセイ!」そのエッセンスを紹介しよう。

・ただただシンプルに、「誰かとつるむ」ということが趣味ではない自分が、ここにいるようなのです。誰とでもよく喋るし、相手の話もちゃんと聞いています。ただ、つるむことの快楽に溺れることだけはしていないという感じです。「つるむ」ことは得意ではないけれども、喋ったり聞いたりしながら、ヒトと「関わる」ことは大事にしてきました。関わるのであれば、きちんと関わりたい。そういう態度で、人付き合いが本来的に苦手な僕は、自分と他者とを接続してきました。
 
僕も人間関係でたくさんのしくじりを重ねてきましたそんなつまずきと反省と工夫の軌跡を、いまのタイミングで書いておこうかな、という気になりました。喋る」「聞く」「伝える」「関わる」にまるわる、とりとめのない「ぼやき」です。愚痴も多いかと思います。でも、そんな世迷言の中に、いまの僕がいるのかもしれません。
 
・なんだろう、みんなが熱くなっているときに、なぜだか冷めてしまう自分がいるのです、いよいよ日の目を見られるという瞬間に、なぜだか引いてしまう自分がいるのです。もしかしたら、この心理が僕を「つるめない者」たらしめているのかもしれない。
 
蓄積は、やがて表面化します。
 
・家でゴロゴロしていると家族に叱られる。そんな話をたまに聞きます。ウソだろと思います。でゴロゴロできなかったら、どこでゴロゴロするんだ
 
・苦手なタイプの人は、二種類います。ひとつは、大きく的を外したことをずっと言ってくれる人。これはしんどい。容量を得ない話ばかりされるのは、実にぐったりとする時間です。でも、もうひとつの苦手なタイプ。それは的を射すぎている人です。こっちのほうが、実はさらにしんどい。

人と関わるっていうことは、言ってしまえば波風が立つことだと思っています。他者と人間関係を築くということは、生きている中に起伏が生まれるということだと思ってもいます。
 
・何度も何度も、同じネタを寄席やテレビでかけたりします。伝わる漫才っていうのは、こうやって徐々に「発見」していくもののような気がしています。漫才はゼロから生み出すものではなくて、あらかじめどこかに存在しているものを発掘する作業なんだという感覚です。
 
・何人かいま、弟子がいます。でも何か言葉で教えたりすることはあまりしていない。それよりも、ライブでもイベントでもなんでもいいから、場を作ることを勧めています。アウトプットすることがインプットへの最大の連結だし、そしてそれが育つことにも繋がっていくんじゃないだろうか。
 
・伝えをよくするためには、身も蓋もない言い方かもしれないけれども知名度が重要なのだとも思います。ナイツをあまり知らないお客さんの前でネタをやるときは、やっぱりウケがあまりよくありません。
 
漫才を伝えるときは、やっぱり目配せが大事です。「これって◯◯ですよね」っていう、この「ですよね」で客席に訴えかける部分に伝わりの願掛けをしています。毒を吐いた分、丁寧な口調で客席に語りかけてバランスをとる。爆笑問題でいうと、太田さんが過激なことを言った分だけ、田中さんが丁寧な口調でお客さんに語りかけている。あれが気持ちがいい。音の釣り合いの快感がある。ひとつの理想形。
 
・会場の空気というのは、「伝わる」「伝わらない」を左右するものでしょう。でも、この空気作りのやり方っていうのが、いまだによくわからない。ただ、「会場の空気」の作り方はわからなくても「自分の空気」を作るということだったら、なんとなく理解できています。
 
笑いってどうしても何かを傷つけてしまう刃を持っているわけで、真の意味で「傷つけない笑い」なんて存在しようがない
 
・わけわからないんだけど、どうしても「ひとつになりたくない」自分がいます。それが自分の癖で、そしてその癖が自分を大きく形成しているのだと思っています。
 
時事ネタにも賞味期限があるわけですが、ネタによって「生鮮食品」と「加工食品」に分けることができます。みんな、生きていく中でゆっくりと生鮮食品である自分を加工食品に変えていって、そうやって天寿を全うしていってるんじゃないかなと思います。
 
ネタっていうのは「滑るかもしれない」という危険を孕んでいるものです。そして、滑るということは、ストレートに傷つくことでもあります。それでも、滑ることを覚悟で、ネタはフルスイングしたほうがいいそうしないと、そのネタをちゃんと捨てることができないのだから。
 
違和感が僕を作っています。そして、その違和感が僕を生きやすくしてくれています。
 
ふと、自分に問います。お前は一体、なにによってつくられている人間なのか、と。答えはおそらく雑念」です。僕には、雑念しかありません。雑念によって生活し、雑念によって物を考え、雑念によって喋ったり聞いたりしています。僕はずっと、雑念を何よりも大切にしながら、ここまで生きてきました。雑念に関わりながら、他者とも関わってきました雑念っていうのは、散らばったパズルのピースみたいなものです。自分はそのピースを、ああでもない、こうでもない、と言いながら、ずっといじって完成を目指していくのが好きで。逆に言えば、いまなにもしていないという状況が怖い。パズルを常に組み立てないと。雑念があるから、僕は暇の恐怖から逃げることができています雑念が僕にとっての、ひとつなぎの大秘宝です
 
 
・考えれば考えるほど、「演技力」って不思議な言葉ですよね。極端に考えれば、ウソを吐き続けることができる能力のことなのかな。
 
 
結局のところ、まとめたりすることがとても苦手な人間。それが僕です
 
定型的なメロディを使用したCMが、ちょっとどうかと思うほどに嫌いです。
 
自分は漫才を死ぬほど作ってきましたあらゆるパターンを試し尽くした、という自負もあります。言葉遣いっていうのも、ある意味では「蓄積」ですね
 

ナイツ 塙宣之 オフィシャルブログ のぶたんの「ヤホー」で調べました https://ameblo.jp/knights-hanawa/
 
 
「贈り物を受け取ってもらえない人間」かー!なんか分かるなー!共感できるところが多いわー!♪ ナイツ、寄席で聞きたいなー。オススメです。(・∀・)