「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「モノも石も死者も生きている世界の民から人類学者が教わったこと」(奥野克巳)

最近読んだ本の中で感銘を受けた奥野克巳さんの本。狩猟民族のプナンのあり方は、実に考えさせられたなあ。ざっくりいうと、動物も植物もモノも生命を持っているということだもんね!♪(・∀・)
 
さて、この本。
「息苦しいこの世界からの出口は、ある。片づけコンサルタント「こんまり」のメソッドは、自分とモノとの純粋な対話ではなく、自分自身との対話を目指すものなのではないかアニミズムとは、地球や宇宙における存在者のうち、人間だけが必ずしも主人なのではないという考え方だとすれば、自分との対話を目指すのは、人間のことだけしか考えていないという意味で、真のアニミズムとは呼べないのではないか」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
アイヌにとって、クマは人の世界に肉と毛皮という「みやげ」を持ってやってくる神の化身だと考えられてきた。はクマの毛皮に肉を詰めて人の世界を訪れ、人によって殺される。神は毛皮や肉を人に与える代わりに、歌や踊りを歓待され、たくさんのおみやげをたずさえて、ふたたび神の世界に還っていく。そして神の世界でみやげをふるまいながら、歓迎を含め、素晴らしい人の世界の様子を語って聞かせる。
 
神のミアンゲ(みやげ)ーもともと「身をあげる」の意ーであるクマの肉は人に食べられ、人の生を可能にする。人は老いて死に、屍が土にふたたび還るとともに、人魂は神々の世界に向かう。そこで人は神になる。神はまたクマとなって、ミアンゲを下げて人の世界に降りてくる。人とクマ(神)の無限のループ構造は、アイヌの人たちの生命現象への直観に支えられている。
 
・そのループには、ひねりが入っている。メビウスの輪には裏と表がないため、こちら側から出かけて往って、あちら側を知らない間に通過し、いつの間にかこちら側に還ってきている。
 
西洋は「二分性」から、東洋は「不二性」から出発する東洋の「不二性」を最も端的に伝えるのは、鈴木大拙によれば、禅仏教である。人間)と動物を分ける二分性から出発する西洋的な見方に対して、東洋では、物事が分かれて生じる兆しよりも以前の朕兆身分巳前」(未だ、現象の兆しすら起きていない状況)における不二性に着目するというのだ。
 
曹洞宗の開祖である道元禅師のいう「分別の知」とは、ものを分け、隔てる知恵のことである。その知は「あれはいい」「これはいやだ」という執着心を生む。他方で「無分別の知」とは、ものを切り分けない知恵のことである。分別の知と無分別の知は対立概念かというと、そうではない。無分別の知とは、これとあれの違いを違いとしてありうべきものとして分別的に認めつつ、分別の知と無分別の知の両方をともの肯定する知恵のことである。
 
・プナンにとって、人間とは、身体・魂・名前の三要素を備えた存在である。この三要素がそろった場合に、その存在は人間であるとされる。
 
 
「こんまりは、片づけの谷のナウシカなのか?」「生き物供養碑とは」は、なるほど!と、うなってしまう。奥野さん、いいなあ。全作品、読もう!オススメです。(・∀・)♪