いや〜〜!この本、いいなあ。オモシロイなあ〜!目からウロコというのはこういうことをいうんだろうなあ!価値観がひっくり返るわ。森の民プナンの暮らしは!!!
生きるためには働かねばならないのか。学校に行かないといけないのか。それは私たちの思いこみに過ぎないのではないだろうか。生きていくために働かなくてもいいところ、学校にいかなくてもいいところ。そんな場所に行って、人間の根源的な生き方について考えてみることはできないだろうか――。人類学者奥野克巳は、ボルネオ島で狩猟採集を主産業とする森の民プナンの地へ、人間とは何かを知るために赴き、彼らのもとで暮らし始めました」それがこの本。
『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』
異例の反響を呼んだ文化人類学者が、新進気鋭のマンガ家MOSAとタッグを組んであらためて現地に取材、プナンの民族誌にマンガで挑みました。では、なぜマンガなのか?これはマンガでしか描けない人類学講義、プナンの暮らしを通して人類学そのものが理解できる1冊」そのエッセンスを紹介しよう。
・生きていくためには働かないといけない。 学校に行かないといけない。私たちはそう思い込んで生きている。 だが、その思い込みは本当だろうか?
生きていくために働かなくていいところ 学校に行かなくていいところ
そんなところに行き人間の根源的な生き方について考えてみること はできないだろうか?
ボルネオ島で狩猟採集を主生業とする森の民プナン 人間とは何かを知るために、私は彼らのもとで暮らし始めた
彼らは森の中で食べ物を探すことに 一日のほとんどを費す。手に入れたら調理して食べて、 あとはぶらぶらしている。 お金や世の中のために生きるのではなく、ただ「 生きるために食べる」だけだ。
彼らは学校に行かない むしろ森の中が学校だ
【フンコロガシの神話】
かつてフンコロガシは、金持ちの人間だったという。ある時、 その金持ちはレースでズルをした。2位だったのに、 金の力で1位になったのだ。しかし、不正が発覚し転落。
以来地上ではフンを転がすだけのフンコロガシになり、 地中では相変わらず豪華な暮らしをする存在になったという
・エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロは、 神話のなかでは、動物はたいてい人と同じように考えて行動し、 原初に人と動物の隔たりはなかったという。 フンコロガシの神話は、人と人以外の存在は、原初には「人間性」 を共有する存在であったことを物語っている。プナンは、 すべての生命に魂の存在を認めている。外見が違っても、 同じ魂を持つ存在として、人と動物は連続し、動物たちは、 今日まで魂という人間的性質を失っていないのだ。さらになんと、 モノも「人間性」を持っていたという。
・日本にいると決まりばっかじゃないですか。 でもプナンはそうじゃない。それに「何かのために」 生きてないですよね。ただ生きるために食べる。 人は目的や正解がないと不安になりがちですよね。 でもプナンはそれに執着しない。 そこに将来に対する言いようのない不安を生きる私たちにとっての 手がかりがあると思うのです。
「マレーグマの神話」「キエリテンの話」「目玉のお布施の話」など。
なんでこんなにオモシロイのか!?もしかしたら、ワタシたちの遺伝子に深く刻み込まれていることだから、なのかもしれないね。超オススメです。(・∀・)♪