先日、「食」のイベントで知った、食べた、「いばり仔豚」の南三陸の「豚飼い」の杉田さんの話。これが美味いの、美味くないのって!!!(・∀・)!!!!
「イベリコ豚」じゃないよー「いばり仔豚」だよー!(笑)この勝ち誇ったようなイラスト、最高だよね〜!♪ (・∀・)
その杉田さんが書いた本があるということでさっそく読みまし〜た!これがなかなか哲学的なんだよね〜!(・∀・)
・以来、かつてのヒト科ホモ属の人類なる人間は、 ふたつのことが出来るようになったことに豚飼いは気付く。 それは「行う」ことと「言う」ことである。「言葉」、 それは人類史上、最大の革命であったのだろう。 財産の所有がおこると、森にあっては単純なして純粋な、 小鳥のようにさえずる暮らしの「幸福」と「平和」 は乱れることになる。さらに悪いことに「言葉」 を編み出した人類は、「平和」と「幸福」 を言葉で理解しようとしたが故に、 人間世界の混沌が始まったのだと豚飼いは思う。
・「豚がわかり合い、気が合うのは、同じ種の豚だ。 断じて異なる種の人間という動物のオレではない」ゆるぎない、 確かな事実だ。「人間なる動物のオレが、最もわかり合い、 気が合う動物は、断じて豚ではない。同じ種の人間だ」 ゆるぎない、確かな事実だ。 そんな至極あたりまえな事実を男が認識できるのは、 ひとえに豚のおかげである。それも、 豚小屋に閉じ込められた豚ではなく、 動物であることが満たされている豚であるからに他ならない。
・そもそも、 好き嫌いで男は豚飼いになったのではない好き嫌いで始めたことで はないだけに、男がは豚を客観できるのであろう。 男のもとにある豚たちは「豚」をやっているのである。「豚」 であることが、満たされている豚なのだ。勿論、 男はこの世は生まれ落ちた時から、豚飼いであったわけではない。 男は、豚が豚をやって、豚であることが満たされるように、 自分も人間をやって、人間であることが満たされたくて、 二百万年来、 変わらぬであろう縁なる樹木の静寂を求めてここにやって来た。 いわば、その方便として豚を連れてやって来たのだ。
・豚は、私の名前が「スギタ・トオル」であることは知らない。 そればかりか、 私の存在も知らないし私を意識することも認識することもない。 ましてや私が「人間」であることなぞ知るよしもない。豚は、 私の動作を感覚器官を通して「感じる」だけなのだ。
・「チンパンジーって、時間の流れを想像できないんだって。 だからケガをしても先のことを想像しないから、 落ち込んだり心配したりしないんだって。つまり「今」しかない。 怪我をしたら、それを今のこととして、今を良しとするんだって。 一万年前と同じ暮らしをするハッザ族と似てるよね、 チンパンジーって(・∀・)
これが人間にとって、豚にとって、いちばんの幸せな暮らしなのかもね。この豚、注文しよう。オススメです!(・∀・)