「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「日本プロ野球復活の日 昭和20年11月23日のプレイボール」(鈴木明)

 
野球が大好き。野球関連本だけでも年間50冊は読むからねー!♪野球ファンのワタシもこのことは知らなかったなー!♪
 
「男たちが還って来た。復興の手を休めて神宮球場へ戻って来た。昭和20年11月23日、戦後初めて、プレイボールの声が掛ったその日に至るまでの道のりを、克明なデータをもとに追求するスポーツ・ノンフィクションの傑作。藤村が、呉が、別所がやって来た。大下も千葉もイモ畑から駆けつけた。国籍を超えたプロ野球の男たちの夢のドラマが、今鮮明に甦える」そのエッセンスを紹介しよう。
 
・ここに一つの記録がある。昭和20年11月23日「明治神宮野球場」でプロ野球の「東軍」と「西軍」とは、戦後初めて闘ったという、貴重な記録である。いま考えて見れば、敗戦後わずか三ヶ月目に「東西」の選手たちが日本全国から集ってきて試合をしたということは、想像を超えた壮挙であった。一枚の列車の切符を買うために、人々は屋根のない駅で徹夜行列をしなければならなかったし、一食のイモのために、主婦は命をかけていた。
 
・この時ー11月23日から12月2日にかけてー東京、桐生、西宮と部隊を移して行われた4回のプロ野球東西対抗戦」は「公式記録」としては、どのプロ野球記録にも載せられてない。唯一枚の写真すら残されていないし、この感動的な試合を具体的に記述した記事は、まったくない。しかし、この時集まった34名の「野球野郎」なくして、戦後のプロ野球の栄光を語ることはできない。
 
・昭和48年「記録の神様」として野球殿堂入りした広瀬謙三のスコアに記された一球のストライク、一打のヒットは「太平洋戦争」という激動を息抜き、九死に一生を得て、やっと記録することのできた、命がけの一球一打であった。そして、この瞬間から「プロ野球の戦後」は、始まったのである。
 
・「私はね、時々夢みたいに思うことがあるんですよ、昭和20年に、わたしたちが夢中でプロ野球なて、人が気狂い扱いにするようなものをやっていたとき、この日本のどこかにまだボールを握ったこともない長嶋茂雄という少年が、たしかに存在していた。そして、その男が運命的な糸にあやつられて、いまテレビの前にいるということなんですね。神様だけがすべてをその時から知っていて、じっとそれを見てきた。それなのに、あとの人は誰も知らない、そんな妙な幻想に捉われることがあるんですよ。そして、長島という、この一人の男の夢を育てるために、何千、何万同じようにプロ野球を目指した若者の夢が消えてゆくんです。ふしぎですね。年をとると、妙なことを考えるんですよ…」(佐藤信
 
川上も吉原も、そして戦前の名選手たちには多くの「日大出身者」がいる。唯、彼等のほとんどは、球団の意向に従って「徴兵延期の特典」のために籍をおいていただけで,実際には通学しなかった。
 
・別所はアメリカ兵に向かって「ホワット・イズ・デモクラシー」といったという。それに対して、そのアメリカ兵は、グラウンドを指さしながら「デモクラシー・イズ・ベースボール」と答えた。デモクラシーの時代が、たしかにはじまろうとしていた。
 
・この時、日本の「職業野球」なるものは、企業としては全く成立していたわけでは全くない。それどころか、ゲームを行っても、その入場料収入は、その日のゲームに出場した選手に払う給料にさえ到底足りなかった。おまえに球団は出征した選手の家族に、選手不在のまま給料をー球団によって、そのパーセンテージは少し違っていたが、ずっと支払い続けていた。こうまでして「愛国者であるはずの彼がやっていたのは何と軍部が一番嫌っている「敵性スポーツ」の野球なのだ
 
阪神タイガース史上、不世出の大打者ー後に監督ーといわれた藤村富美男は、少年時代から全国に名を知られていた。何しろ、四年間連続甲子園球場という、永久に破られない快記録の持ち主だからである。
 
・信じられないことだが、昭和21年、呉昌征は14勝、藤村は13勝し、呉は大下のいるセネタースを相手にノーヒットノーランまでやってのけた。それも、のんびりグリーン車に乗っての旅の途中ではない。汽車の旅の時は床の上にペタリと座り込み、おまけに両腕には、一杯のヤミ米を下げていた
 
「いいかい、アメリカは日本の百倍の自動車を持っている。ガソリンを持っている。機関銃を持っている。どんなに日本人が勇敢でも、武器の量には勝てない。それに、アメリカ人は命を大切にする。命をムダ使いするよりも、命を大切にした方が、最後は勝つんだ」
 
 
大下弘はユニフォームを着て、神宮の土をふんだことがない」「甲子園球場からとれた芋はやせていた」など。

 

やっぱり野球ができるって平和な証拠だね。幸せだなー!野球ファン必読、オススメです!♪(・∀・)