酒場のギター弾き 小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「広告を着た野球選手 史上最弱ライオン軍の最強宣伝作戦」(山際康之)

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いよいよ緊急事態宣言も集結かな。プロ野球は6月の開幕になりそうだね。長かったね……。(T_T) 第三次世界大戦は「ウィルス戦争」だったね…。スポーツは平和の証。当たり前のことに感謝できるようになったね〜!

 

さてこの本。第二次世界大戦前のプロ野球のハナシ。「プロ野球草創期に、わずか3年半しか存在しなかった幻の球団・ライオン軍。現代プロ野球の礎ともなったユニークな球団経営を始め、歴史に埋もれた「ライオン軍」を丹念な取材で描きだす」そのエッセンスを紹介しよう。

 
・本書はプロ野球の創成期に、新聞、電鉄といったインフラの企業が持つチームとは異なり、ライオン歯磨という商品を販売していた小林商店が初めて参入し、その宣伝活動に挑戦した男たちの話である。商品名の入ったユニフォーム、スコアボードへの広告、商品購入者への試合の招待など、いまではどこでも行われている宣伝活動の原形がここにある。奇想天外な発想とそれを裏打ちする企業人魂が実現させたのである
 

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・また弱小チームだったゆえに埋もれていた、ライオン軍とその前身の大東京軍プロ野球でプレイできなかった幻の選手たち、「DAI TOKYO」と記された初期のユニフォームの写真、子供から愛された黒人選手ボンナとその写真なども発掘された。
 
ライオン軍はわずか三年半しか存在しなかった球団であったにもかかわらず、殿堂入りを4名も輩出している。選手として在籍した坪内(道典)は、戦後も選手として活躍し、昭和23年にはプロ野球選手として初めて1000試合出場、1000本安打を記録している。弱小球団でその意義は高い。ホームラン以外のフライは全部取ってやる」ことを身上としていた坪内にとって、ライオン軍は全力を尽くして臨んできた野球への姿勢の出発点であった。経営者であった田村駒治郎は、常々、野球は森林事業のようなもので、百年待たねば成功しない」と述べ、その言葉通りライオン軍をきっかけに戦後も私財を投じて球団経営を続けた。野球を愛した田村にとって、ライオン軍は夢の実現の場であった。子供が玩具箱をひっくり返すように喜怒哀楽を素直に表現することができた、幸せな時間であったであろう。
 
「幻の俊足ランナー・田部武雄」は、明治大学の大先輩だね。野球の黎明期がひしひしと伝わってくるね。オススメです!(・∀・)♪

 

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