「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「アロハ90歳の僕。 ゆっくり、のんびり生きましょう」(高木ブー)


ザ・ドリフターズ高木ブーは、御年90歳だってね〜!ビックリ!生まれが昭和8年でワタシの父と同じだよ。そおかあ!父が亡くなって21年かあ!♪

 

「今や加藤茶さんと2人になったドリフですが、新たなコントにもチャレンジし舞台やテレビ番組でも活躍中。またウクレレ奏者としても、日本の第一人者として公演活動を続けている「元気でハッピーな90歳」ハッピーで健康なシニアとして生きるヒントが満載の一冊」そのエッセンスを紹介しよう。

 
・この本には、僕の90年のすべてが詰まっている。そして、僕にとってあまりにも大きな存在であるザ・ドリフターズのことも、大切な仲間のことも、今まで秘密にしていたことも含めて、いっぱい詰まっている。
 
僕は今、毎日が楽しくて仕方がない。とっても幸せだ。やさしい家族に囲まれ、おかげさまで僕を必要としてくれる仕事があり、ウクレレという生涯の相棒とも他のしくセッションできる。これで不満を言ったらバチが当たるよね。
 

 
・ドリフの高木ブーは、自他ともに認める「第5の男」だった。自虐っぽい意味で言ってるわけじゃない。僕はその立場と役割に誇りを持っている。
 
・もしかしたら、こうやってノンキに長く生きていることが、僕の取り柄なのかもしれない。もちろん悲しいこともあったし、苦しい時期もあったけど、仲間や仕事や家族に助けられて、どうにか乗り越えることができた。
 
・自信を持って言えるのはドリフのいちばんのファンは高木ブーだ」ということ。これまでずっとそうだし、これからも変わらない。
 
・僕にとって長さんは、グループのリーダーとか仕事仲間とかそういうのを超えた特別な存在だった。一時期は家も近くて、娘同士も同い年だったから、よく行き来してたんだよね。いかりや家と高木家で温泉旅行に行ったこともあった。
 
・やっぱりザ・ドリフターズのコントは最高に面白いと思う。長さんはずっと、自分も含めてドリフのメンバーは「笑いの素人」だって意識があった。だから、いっさい妥協を許さずに、常に全身全霊をかけてコントを練り上げてきたんだよね。
 
仲本のことを思い出すと、笑顔しか浮かんでこない穏やかでやさしくて、いつも周囲に気を配ってるヤツだった。あいつに体操っていう特技があったおかげで、ドリフのコントに動きが生まれて、笑いの幅が大きく広がったのは間違いない。トレードマークでもある眼鏡だって、当時は別に目は悪くなかったのに、役作りでつけてた。ドリフの中で自分が「真面目役」を務めるのが、バランスとしてベストと思ってたのかな。
 
・着々と実績を積み重ねて、知名度もそれなりに上がってきた流れがあって、TBSから『全員集合』をやってみないかって声がかかった。打診を受けた長さんは「もし失敗したら、せっかくここまできたドリフはおしまいになる……」って、すいぶん悩んだらしい。裏番組は人気絶頂のコント55号や巨人戦のナイターだったしね。長さんは、最後は「公開生放送でやる」っていうところに魅力を感じて「やってやろうじゃないか」と決断した。ひとりで背負って、先頭に立ってみんなを引っ張っていく。そして結果的に番組を大成功させたんだから、つくづくすごい人だよ。
 
・やっているうちにだんだんわかってきたことなんだけど、ウケないことに僕の存在意義があったのかもしれない。
 

 
・志村がメンバーになった頃は志村は並外れた笑いの才能がある」という印象は、まだなかったな。もともと僕は他人を評価する柄じゃないんだけど、それまではボーヤのひとりだったわけだかあら、才能があるとかないとかはわからない。でも「いいんじゃないかな」とは思ってた。長さんの判断を信じたってのもあるかもしれない。
 
いかりや長介との出会い」「誘われたのは「デブだから」」「日本武道館ときは弾くふりだけだった」「長さんはドリフの3代目のリーダー」「僕のお葬式でやてほしいこと」「野心がないからここまでやってこられた」など。

 

以外なエピソードが満載。もうドリフの『全員集合』から半世紀近くなるもんね。なつかしいなあ。オススメです。(・∀・)♪