数日前に、ryuchell(りゅうちぇる)が亡くなったというニュース。ビックリしたよね。トランスジェンダーの壁がだんだんなくなってきて多様化の時代がきた、んだけど。いろいろと悩みや誹謗中傷があったんだろうね。合掌。
ちょうどそんなときに出会ったのがこの本。
「ママ1人、パパ2人?ややこしいけど愛おしい、かつてないファミリーエッセイ!トランスジェンダー・フミノと彼女、ゲイのゴンちゃん。そして、生まれた子どもたち。「家族ってなんだろう」? 何が正解かはわからない。でも、やってみないことには始まらない。とにかくやってみる、ダメだったらまた考え直す、僕たち三人の子育てはいつだって手探りだった」そのエッセンスを紹介しよう。
・え、三人で親ってどゆこと?あとの一人は誰なのよ?と。 シングルマザーやシングルファーザーは聞いたことあるけど、 トリプルペアレンツ?は初耳だぞ、なんて。
そして「親になってみた」にしたのは、まだ自分たちが「 親になりました」と言いきるほどの自信がないから、 というのが正直なところである。
・なぜふたりで子どもを持てなかったのかというと、 それは僕がトランスジェンダーだから。 もともとは女性の体で生まれてきたので、 残念ながら彼女と棒の間で自然に妊娠する可能性がなかった。 それでも子どもが欲しいと思った僕たちは、 友人でありゲイであるゴンちゃんから精子提供を受け、 体外受精で妊娠出産をしたのだった。
・法律、血族意識、伝統的な家族観、「普通の家族」 という名の圧力……。
・親子とは何か、子育てとは何か、 そして家族とは一体なんなのか?
・思い返せば僕の人生は、 そんな問いの連続だったのかもしれない。 トランスジェンダーだということを両親にカミングアウトして全否 定された時もそう、 彼女の両親に付き合いを猛反対された時も同じく。 そのたびに僕は、家族とどんな関係を築けばいいか、トライ& エラーを繰り返し、気づけば40年近くも「家族とは何か?」 ばかりを考え、今現在もそれは続いている。
・僕が親子関係において何よりも大切にしているのは、 親とはいえ他人であるという感覚だ。「他人」 だと認識することで、 初めてお互いを理解するスタート地点に立てるのではないか。 仲良し家族をいい意味で「他人」と捉えるようになったのは、 僕が長らく両親との関係に頭を悩ませてきたからでもある。
・「フミノ以上にフミノのことを考えている人はいない」 と言ってもらえたことで、親のために、 を良い訳にして自分をないがしろにするような人生はおとんおかん も望まないだろうと考えを改めるようになった。親には親の人生、 僕には僕の人生がある。お互いはあくまで、 互いの人生のいち登場人物にすぎない。 子どもにとって親というのは絶対的な存在に見えるけど、 親とはいえ必ずしも完璧ではないということだった。
・カミングアウトはゴールではなく、伝えたことこそがスタート。
・ どんなに仲が良くても異性愛者の男性では僕が嫉妬してしまうこ とに気づき、 そうとなれば精子提供を頼むのはゲイの人がいいのではないかと考 えるようになった。恋愛の対象が男性である同性愛者であれば、 彼女に対しての嫉妬は生まれないし、 子どもが欲しくても今の日本社会では子どもを保ちづらいという境 遇も似ている。その結果、 やはりゲイの方から精子提供を受ける方向で考えてみようというこ とになった。となると自然に思い浮かぶ顔は限られ、 ゴンちゃんに相談することにした。
・トランスジェンダーには過去と未来、 二種類のカミングアウトがある。ひとつは、 まだ女子高生だった僕がトランスジェンダーであることを明かし、 「今後男性として社会生活を送っていきたい」 という未来に向けてのカミングアウト。もうひとつは、 おじさんとなった僕が「もともと女子高生でした」 と明かす過去のカミングアウトだ。
・子育ての興味深いところは、 自分の人生を追体験できることだろう。 僕も含め多くの人は二歳くらいまでの記憶がないと思うのだが、 子育てをすることによって自分の記憶から欠落した人生のスタート 時期という大事な部分を、 パズルのようにはめながら補完できるところが面白い。
幻冬舎の見城徹さんがいってたけど「年を取るとは、