「2008年、40年以上に及ぶユニホームを脱いだ、福岡ソフトバンクホークス、王貞治前監督。その単身福岡での五〇〇〇日あまりを、子供の頃や現役時代の知られざるエピソードとともに綴る。志望校受験失敗で入学した早実時代―、長島茂雄さんに荷造りをしてもらっていた新人時代―、脱税問題や生卵事件、球団身売り、胃がん告白…と、屈辱あり、日本一の栄冠ありのホークス監督時代―。そこからは、誰よりも野球を愛し、誰からも敬愛された素顔が見えてくる」中でも王さんの発言を中心に紹介しよう。
・「巨人以外のユニフォームを着る気はなかったんだが、 グラウンドを離れてから6年たってうずうずしていた。 タイミングが合ったというのが一番の理由だったかな」
・「背番号に特別なこだわりはなかった。どうしようか、 と思った時に『89』なら野球と読めて語呂がいいかな、と。 そんな感じだったと思う。俺には野球しかないし、 野球を通じてすべてを考えるところがあるから。 背番号にあやかって89歳まで長生きするか、 なんて話もしたかなあ」
・「コーチには、全員、俺が自分で声をかけたんだ。 とにかく徒党を組んでやりたくなかった。まして俺の場合は巨人。 当時は他チームを見下すようなところがあったし、 逆に他チームはどこも巨人アレルギーがあった。 広島勢が多くなった(寺岡孝、高橋慶彦、達川光男)のは、 巨人監督時代に手ごわくて苦しめられたから。 広島なら福岡に近いだろうというのもあった。」
・「すべてを都合よく考えるよ。物事を変えるのではなく、 今ある中でベストを探っていきたい」
- ・「(コーチ陣の意見に耳に貸そうとしない?)冗談じゃない。
当時は、耳を傾ける意見を言う人が居なかったんだ。 俺ほど頻繁にコーチを入れ替えた監督も珍しんんじゃないか。 判断基準は選手にとって有益かどうか。その一点だけだった」
・「俺の野球技術はプロに入ってから培ったものがほとんど。 そういう意味で努力して身につけたものかもしれない。 でも俺と同じだけ練習したからといって、 みんながみんな同じように本塁打を打てるようにはならない。 それははっきりしている。特にバッティングに関しては素質8割、 努力で2割くらいだろう。 球を遠くに飛ばすということになれば努力ではどうにもならない面 もある。ある程度のところまでは誰しも練習で向上するが、 プロで中軸を打つような打者はもともと備わっているものがある人 に限られる。」
・「人として家族を養うにはいいことだろうけど、 長期契約はプレーヤーとしての成長を妨げる。 選手の能力を最大限引き出すためにはよくないだろうね。 過剰に身分保障されてはダメ。来年も契約してもらえるだろうか、 ケガしたら明日から投げられなくなう。 そう考えるから自分を律することもできるんだ」
・「 現役22年目の最終年でも開幕戦の初打席は足がガクガクした。 それがあったから俺はあれだけやれたと思っている」
・「この世界は細く長くではダメ。1年でも2年でもいい。 ファンに“あんな選手がいた” “この選手がいたから優勝できた”」 と思ってもらえる活躍をしないと。何となく10年やるより、 短くても球界に確かな足跡を残せる方がいい。」
・「 食事中でもファンが求めたらサインや写真撮影に応じるように。 我々は24時間365日プロなんだ。 どうしても気分が乗らない日は個室で食事をしなさい」
・「言うべき人間には言っておかないといけないことがある。 誰にでも言うわけではないんだから。この世界、 みんなそれなりの才能を持って入ってくる。いい方にいくか、 悪い方にいくか、出会った人によって変わる部分は大きいよ」
・「歳を取ると自分を奮い立たせるのが難しい。 氣力が必要になる。」
・「努力が報われないことなどあるだろうか。 報われない努力があるとすれば、それはまだ努力とは呼べない」
・(新監督の秋山に)「 思い切って秋山カラーを出してくれればいい。 最初は右に行ったり左に行ったりするだろうが、 その幅は木の幹を太くする。朝令暮改でいいんだから。 俺自身もそう信じてやってきた。どんどん前向きに、 やりすぎというくらい自分の思いをぶつけてほしい」
・「自分でもたまに嫌になることがあるけれど、 この性分は今さら変えられない」 そんな王が単身生活の福岡で唯一、 思っきり粗野でわがままになれる空間ーそれは監督専用車の中だっ た。
やっぱり王さんはいいなあ。尊敬出来るなあ。野球ファン、いや、日本国民必読っ!超オススメです。(・∀・)♪