小学校の頃、自分天才だと思っていた。中学、高校と進むに連れ、凡才に成り下がってしまったが、最近、やっぱり自分は「天才かも!?」と思ったりするのだ。(・∀・)
さて、この本。ワタシと同じで、自分のことを「天才」だとおもっているのかな、著者は。
「歌人、木下龍也がこれまでの短歌制作の経験から、いくつもの技法・発想法など創作の秘密を伝える短歌教室。開催すれば毎回満席となるこの講義が一冊になりました。短歌をつくるうえでのコツ、ネタの集め方、アイデアの発想法、推敲の過程、多くの読者に届けるための工夫などなど。そもそも短歌って何ですか、という方でも大歓迎です」そのエッセンスを紹介しよう。
・花束を抱えて乗ってきた人のためにみんなでつくる空間
・ついてきてほしかったのに夢の門はひとり通ると崩れてしまう
・君とゆく道は曲がっていてほしい安易に先が見えないよに
・邦題になるとき消えたTHEのような何かがぼくの日々に足りない
・終バスにふたりは眠る紫の〈降りますランプ〉に取り囲まれて
・裏側に張りついているヨーグルト舐めるときはいつもひとりだ
・B型の不足を叫ぶ少年が血のいれものとして僕を見る
・半分の虹は地面の下にありその七色を死者は見ている
・あの虹を無視したら撃てあの虹に立ち止まったら撃つなゴジラを
・あなたが日本海に落としたのは金のミサイルですか銀のミサイルですか
・ここだけの秘密よ。ぺんぺん草のふたつめのペは片仮名なのよ
・年下が投げ年下が打ち返し年下たちが見送っている
・底に塩ばかり残ったふりかけをいつまでゆかりと呼べるだろうか
・思い出ばかり残った面影をいつまで恋と呼べるだろうか
・おじいさんばかり残ったショッカーをいつまで悪と呼べるだろうか
・僕は天才ではない。正確に言うと、僕にとって僕は短歌の天才になりえない。なぜなら僕には僕の短歌の意図、構造、工夫がすべてわかってしまうからだ。一首の完成度について言えば現役の歌人のなかではトップクラスだと思う。それでも僕にとっては僕の短歌がこの世でもっともつまらない。
・2017年に「天才による凡人のための短歌教室」を開催するようになった。僕にとっての短歌の天才をみつけるためだ。これまで培ったいくつかのコツを、まだ短歌を始めていない未知の天才に伝え、なるべくはやく天才になってほしいからだ。僕にとって最高の一首をつくるのは僕ではない。この本を開いたあなただ。あなたという天才が目の前に立ちはだからう人、僕に参りましたと言わせてくれる日を、僕は待っている。
・数多ある表現方法のなかで、なぜ短歌を選ぶのか。僕の場合、基本的には消去法である。人付き合いが苦手だからバンドは無理。そもそも楽器が弾けないし歌も上手くないからミュージシャンは無理。長文を書く体力と時間がないし飽きっぽいから小説家は無理。俳句は短すぎてつくり手としてノレない。が僕の答えだ。
・書くことは思い出すことだ。だから日々、いろいろなものを見て、頭のなかに静止画や動画としてストックしていってほしい。頭のなかの倉庫から取り出した風景を、実際に見た風景に近づけるために言葉で再構築する。そのとき詩は生まれる。
・聞き飽きたかもしれないが、やっぱり量が質を生む。
・(困ったら)雨を降らせろ。月を出せ。花を咲かせろ。鳥を飛ばせろ。風を吹かせろ。ひかれ。だれか、何かを待て。時間、空の様子、季節を述べろ。
・(お題)十数年ぶりに会う恩師への恋にも似た感情について
先生へ、あなたの胸でねむる夜以外はすべて手に入れました
・(お題)うつくしい人を目の前にしてもひるまないための短歌
とびきりな容姿のせいでたましいを見てもらえない美女も野獣も
久しぶりに「五行歌」を作ってみようかな。やっぱり短歌よりも五行歌かな。オススメです。(・∀・)