「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「1998年の宇多田ヒカル」(宇野維正)

 

この30年くらい、まともな音楽、聞いてないなー!♪ でも宇多田ヒカル「Automatic」は、聞いたなー。びっくりしたなー!時代が変わると思ったよねー!

 

宇多田ヒカル椎名林檎aiko、そして、浜崎あゆみ――奇跡の年にそろって出現した、偉大な4人の音楽家。彼女たちは何を願い、歌い続けてきたのか――」そのエッセンスを紹介しましょう!♪

 

本書は、宇多田ヒカル椎名林檎aiko浜崎あゆみそして彼女たちがデビューした1998年という「特別な年」についての本です。1998年という年が、この先、未来永劫に塗り替えられることがない日本の音楽史上最高のCD売り上げを記録した年です。日本の音楽シーンにおけるトップ3の才能だと自分が考えている音楽家が、すべて同じ1998年にデビューしたのです。そう、宇多田ヒカル椎名林檎aikoのことです。日本の音楽界にとってどのような年だったのか?彼女たち三人はどこがそれ以前の日本の音楽家と違い、どこがそれ以降の日本の音楽家と違ったのか?
 
・本書ではもいう一人、同じく1998年にシンガーとしてデビューした浜崎あゆみ宇多田ヒカル椎名林檎aikoの三人とは比べものにはならないほど多くのものを背負ってきました。この国のポップ・ミュージックの歴史において突出した存在であり「同期」の三人を映す鏡としても鏡として欠くことのできない存在です。
 
1992年はアーティスト名のほぼすべてが日本語表記で、98年はすべてがアルファベット表記である。外国人から見たら日本ではその16年間の間に公用語が変わったのか?」と思われても仕方がないほどの変化だ。2014年は、もはやヒットチャートが「音楽シーン」とはほとんど関係のないものになってしまったということだ。
 
「アイドル」と「アーティスト」の違い。それは「同性の支持を得られるかどうか」がほぼすべてである。
 
宇多田ヒカル椎名林檎aikoが立つ、そんな「理想的なステージ」の地ならしをしてきたのは誰だったか?その最重要人物は、やはり「1998年以前の90年代」を代表するプロデューサーである小室哲哉に他ならない。
 
宇多田ヒカルはデビュー時から現在まで一貫して「テレビの人」というよりも「ラジオの人」であり続けている。
 
宇多田ヒカルの「音楽」を「特別なもの」にしていたこと。それは、日本の芸能界の表も裏も知り尽くし、アメリカの音楽制作環境にも精通していた母親の藤圭子宇多田純子)と父親の宇多田照實が、天塩にかけて育ててきた才能溢れる娘のために個人事務所を立ち上げて、その「音楽家としての権利」をレコード会社から守り抜いたことだ。
 
力関係において最初から主導権を握っていたのがレコード会社ではなくアーティスト本人だったというのは、宇多田ヒカルの成功、特に作品面における成功の要因として極めて重要な事実だ。
 
15歳の宇多田ヒカルという音楽家の生い立ちで最もユニークだったのは、ニューヨークで生まれたことでもなく、家庭の都合でニューヨークと東京を行き来していたことでもなく、音楽の生まれるスタジオで育ったことにあった。両親の関係が不安定な家庭で育った一人っ子の宇多田ヒカルにとって「スタジオ」は故郷であり、家であり、自身のアイデンティティを保つための原風景のような場所だった。
 
・デビューから約17年間、オリジナル・アルバムは7枚、シングルとアルバムを合わせてCDを世界中で5200万枚以上売り上げているに関わらず、彼女は数えるほどしかステージの上に立っていない。現在までたったの67回。その理由は「宇多田ヒカルは人気ポップ・アーティストとしては世界的にも極めて稀な『スタジオの音楽家だからだ」と言うしかない。
 
「少女であっても、どこか独立していて、極端なことをいうと、他人の知恵を拒んでいるようにさえ見えた」というのは、まるでaiko椎名林檎について語っているようでさえある。
 
aikoについて最も驚かせるのは、そのブレのなさー言葉を換えるならーその頑なさだ。aikoは、音楽ジャーナリズムが機能しているような場所には出てこない。aikoのいる場所は決まっている。自分が全体の構成をコントロールできる音楽特番をNHKと一緒に作ることや、好きな芸人のバラエティ番組にゲストとして出ることはあっても、自分の音楽についてインタビュアーからまっすぐ訊かれるような番組には出たことがない。放送局などが主催するイベントに出場することはあっても、これまで一度もいわゆるフェスには出たことがない。各社のストリーミング・サービスにも一曲も提供していない。他のアーティストに、自身の楽曲のカバー音源化を許可したことさえない、まさにない、ない、ない」のないない尽くしだ。
 
aikoのすべての活動は非常に厳格なルールに従っていて、それはとても芸能界のルールに似ている。aikoの言葉は、それがどんなメディアであっても、常にファンに直接語りかけられている。
 
・音楽ジャーナリストとして、できるだけ「天才」という言葉は使わないようにしてきた。でも、aikoについて書くときだけはどうしても「天才」という言葉だけを残して、その場から逃げ去りたい気持ちになってしまうのだ。
 
1998年、宇多田ヒカルは日本の音楽シーンのルールを変えた。2016年、宇多田ヒカルは日本のルールは日本音楽シーンの延命装置をすべて外してしまうことになるかもしれない。
 
 
「255万枚売れたのに1位になれなかった「Automatic」」はすごいね。しかし、宇多田ヒカルがデビューしてから25年っていうのもビックリ!オススメです。(⌒▽⌒)!