一日一冊一感動!小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

タイトルは、『一日一冊一感動!小野塚テルの感動の仕入れ!』日記。 毎日の読書、映画、グルメ、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。(ときどき「酒場のギター弾き」「B級グルメ」も紹介します)

「作編曲家 大村雅朗の軌跡 1951-1997」(梶田昌史・田渕浩久)

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作編曲家 大村雅朗の軌跡 1951-1997

作編曲家 大村雅朗の軌跡 1951-1997

 

 「大村雅朗と聞いてピン!と来る人はコアな音楽ファンだろう!ワタシはなんといっても「そして僕は途方に暮れる」(大澤誉志幸)「マイ・レボリューション」渡辺美里「スイートメモリーズ」松田聖子)のイントロ!どれもいまだに時代を超える名曲を生み出した名アレンジャーなのだ!作編曲家として駆け抜けた46年の生涯とその功績を、生前関わりのあった著名人たちの証言とともに紐解く。そのエッセンスを紹介しよう。

 
・彼は1997年に亡くなった。46歳という若さでその死から20年。
いやあえて、日本の音楽業界が大村雅朗を失った20年と言わせていただきたい
 
・(松本隆僕は彼の作るメロディが好きでね。彼の作るメロディに詞をはめるのはすごく好きだった。いちばん印象的なのは真冬の恋人たちなんだけど、これは名曲。
先に詞があったのはたぶん秘密の花園くらいじゃないかな。いま大村くんが生きてたら、いろんなことができるのになって思う。それが全部できなくなっちゃったことはほんとにつらいいし、残念だった。実の弟よりもかわいい弟だった。死んだって電話で聞いて、号泣したのは妹の時と大村くんだけでも一緒に生きられて幸せだった。いちばんキラキラした時代にね。
 
・(八神純子私に書いてくれた曲は、まるで私が書いた曲のように違和感がまったくないんです。歌い手のことを実によくわかって、曲を書いていることに尽きます。声と曲の相性をよくわかっている。今も生きていたら、間違いなく、今でも私の曲のアレンジをお願いしていると思います。大村さんがいなかったら私はヒット曲を持てなかった。かけがえのない出会いだったと思います。
 
・(若松宗雄)大村くんがいたから、聖子の力を何倍にもしてくれた。大村くんが生きていたら、日本のポップスは娯楽性が高く、わかりやすい歌ができていたと思うし、80年代の延長が主流だったのかもしれません。
 
・(大江千里)(大村さんが今も生きていたら?)逆になぜ今いないのだろうと思います。なぜ人は才能が去っていくのをせき止めるすべを知らないのだろう。なぜ大村さんがいないのに僕はここでやれているのだろう。なぜなぜといつも思います。
 
・(小室哲哉大村さんが生きていたら?宇多田ヒカルさんとかをやってるんじゃないかなっていうイメージですね。大村さんは80年代の僕の大恩人です。ダンス・ミュージックを薦めてくれた最大のサポーターでしょうか。常に僕の味方でいてくれた人です。
 
・(松田聖子歌手・松田聖子を育てていただいた大切な方です。松田聖子サウンドを作ってくださった大切な方でした大村さんの曲を歌うたびに、私の心の中には
あの優しい大村さんの笑顔が浮かびます。もっともっと、たくさんのアレンジをしていただきたかったし、素晴らしい曲を書いていただきたかったです。でも、大村さんは、素晴らしい曲とともに、私の心の中に、そして、たくさんの方々の心の中にずっとずっと存在していくのだと思います。
 
「Do it BANG BANG」(榊原郁恵)「きみの朝」(岸田智史)「セイシェルの夕陽」「青い珊瑚礁」「花一色〜野菊のささやき〜」(松田聖子)「思い出は美しすぎて」「みずいろの雨」(八神純子)「リトルプリンセス」(岡田有希子)「約束」(渡辺徹)「メインテーマ」(薬師丸ひろ子)「雨のハイスクール」(芳本美代子)「サヨナラ模様」(伊藤敏博)「秋の一日」(下成佐登子)「レット・ミー・フライ」(石川優子)など。
 
ワタシの大好きな歌ばかりだなあ!もう一度聴きたくなりましたー!音楽ファン、必読っ!超オススメです。(・∀・)

 

 

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作編曲家 大村雅朗の軌跡 1951-1997

作編曲家 大村雅朗の軌跡 1951-1997