「流し」のワタシは、昭和の歌謡曲、フォーク、ニューミュージックがメイン、というか本業だ。普段は音楽を聞かないし、ギターも弾かないので、本当は、音楽が好きじゃないんだと思う。(笑)( ^∀^)♪
さてこの本。「平成とは、どんな時代だったのか――。「川の流れのように」から「Lemon」まで、各年を象徴する30のヒット曲から時代の実像に迫る!ヒット曲は、諸行無常の調べ。それは時代を映す鏡である――。小室哲哉からミスチル、宇多田ヒカル、SMAP、嵐、Perfume、星野源、米津玄師まで、いかにしてヒット曲は生まれ、それは社会に何をもたらしたのか。ヒットの構造を分析し、その未来をも占う画期的評論」そのエッセンスを紹介しよう。
・平成とは、どんな時代だったのかー。本書は、 それを30のヒット曲から探る一冊だ。選んだのは、1年に1曲。 必ずしも、年間ランキングのトップを飾った曲だけではない。 一つの一つの歌を紐解いていけば、ヒット曲が「時代を映す鏡」 であることが、きっと伝わるのではないかと思っている。
・平成という時代を3つの期間に区切っている。最初の10年は「 ミリオンセラーの時代」、歌謡曲にかわってJ- POPという言葉が生まれ、CDセールスが右上がりで拡大。 98年には史上最高の生産金額を記録、 CDバブルは拡大の一途にあった。
次の10年は「スタンダードの時代」、SMAP「 世界に一つだけの花」サザン「TSUNAMI」 という2つの国民的ヒットが生まれている。インターネットの普及と配信の登場でCD市場は縮小、 音楽不況が誰の目にも顕になっていた。
平成という時代は“コロナ禍”の記憶と共に、 誰にとっても遠い過去のものとなった。だからこそ、今。 その30年を振り返ることで見えてくるものが沢山ある。
「最後は笑顔で!みんな元気でねー!バイバーイ!」 2018年6月、安室奈美恵は、笑顔でステージを降りた。 山口百恵の最後の一言は「本当に、私のわがまま、 許してくれてありがとう。幸せになります」だった。 1980年10月、21歳。 共に時代を象徴する2人の歌姫の去り際を比べることで、 昭和から平成へと、社会が、 そして女性の生き方がどう変わっていったかを考えることができる のではないだろうか。
【1999(平成11)年台風の目としての孤独 1999(平成11)年「First Love」(宇多田ヒカル)】
・親はいつも私をスタジオに連れて行った。 小学一年生の頃からスタジオで宿題をして、 スタジオでご飯を食べて、スタジオのソファーで寝た。 今でもスタジオはどこよりも落ち着く場所。いつ、 どこの国でも同じような内装と証明と乾いた空気。 静かな湖みたい。スタジオは平和。
・宇多田は、嵐のような環境の中で育ってきた子供だった。 音楽プロデューサーの父と歌手である母は、 何度も離婚と結婚を繰り返す特異な関係だった。 前触れなしの転居も何度かあった。 何が起こるか分からない家庭だった。だからこそ「 静かな湖みたい」な場所を求めていた。予測不能な日常の中で「 安心したら傷つく」「何も信じないようにしよう」 と考えるようになった。それでも消しきれない思いが、 自ら綴る言葉に通底する「祈り」や「願い」や「希望」 のような要素につながっていると語っていた。また「12、 3歳くらいまでは小説家になりたかった」 と子供の頃の夢を明かしている。「本の世界にいたかった。 本の世界があって、そこで生きてたみたいな感じ」と、 当時hの毎日を語っている。
・(桑田佳祐)「洋楽にどっぷりと触れた後、 年齢を重ねていくとなぜか一周回って、 どうしても歌謡曲に辿り着くという、 法則というか必然性のようなものがあって、遅ればせながら『 歌謡曲ってうヤツは凄いものだな』と、 どこかで気付かされるようになるんです。 日本の歌謡曲は実に偉大じゃないかと。誇るべきものでもあって、 決して侮れないし、これからもう一度学ぶべきじゃないかって」
・00年代を「スタンダードの時代」 と位置づけるもう一つの理由は、 カバーソングへの注目の高まりにあるその潮流を作ったアーティス トの一人が小田和正だ。2001年、小田は「 アーティストがお互い認め合えるような、 まったく新しい音楽番組」を目指し『クリスマスの約束』 という番組企画を立ち上げる。企画は、桑田佳祐、松任谷由実、 山下達郎、 宇多田ヒカルなどに自筆で出演以来の手紙を書くことから始まった 。しかし、初年度はゲストの出演は実現せず、 小田自身がこれらのアーティストのカバーを歌う形式で放送された 。この番組が好評を集め、翌年以降も継続していったことが、 一つのきっかけとなった。
「名曲を歌い継ぐ」というシンプルな演出、 そしてオリジナルに新たな光を与える小田のパフォーマンスによっ て、カバーソングの価値が再発見された。 70年代から00年代まで幅広くセレクトされた選曲は、 90年代以降のJ- POPをそれ以前にお歌謡曲やニューミュージックの歴史と再接続 するような意味合いも持っていた。90年代の「 ミリオンセラーの時代」の幕明けを飾った小田和正は、 00年代の「スタンダードの時代」 を用意した立役者でもあったのである。
・00年代後半のニコニコ動画やボーカロイドシーンを、 米津は自分の“故郷”だと語っている。「 そこは新しく生まれた遊び場で、 別に将来のことも考えずみんなでただひたすら無邪気にやってるだ けの空間だった。混沌としていて、刺激的で、 すごく魅力的だったんですね。そこで得たものは計り知れないし、 実際に自分の音楽のキャリアはそこで始まっている。 稀有な土壌だったと思います」
・「コンビニで買い物をするときのように、 自分が好きなものしか手に取らないし、 なんとなく耳に入ってきた話題のものしか手に取らない人。 そういう人にも届いていくような力を持ったものがポップスだと 思います。で、 自分としてもそういうものを作りたいと思うんです」(米津玄師)
・「たとえば、 誰が作ったのかもわからないような童謡が今も残っているわけじゃ ないですか。いろんな人のところに届いて『 これは私のことを唄っている』 とたくさんの人が共感して口ずさめるようなものじゃないと、 そういう風には残っていかないと思う。 自分のそういう強度のあるものを作りたいと思うんですよね」
第一部 ミリオンセラーの時代
1.昭和の幕を閉じた曲――平成元年の「川の流れのように」
2.さくらももこが受け継いだバトン――平成2年の「
3.月9とミリオンセラー――平成3年の「ラブ・
4.昭和の「オバさん」と令和の「女性」――平成4年の「
5.ダンスの時代の幕開け ――平成5年の「EZ DO DANCE」
6.自己犠牲から自分探しへ ――平成6年の「innocent world」
7.空洞化する時代と「生の肯定」――平成7年の「強い気持ち・
8.不安に向かう社会、取り戻した自由と青春――平成8年の「
9.人生の転機に寄り添う歌――平成9年の「CAN YOU CELEBRATE?」
10.hideが残した最後の予言――平成10年の「ピンク スパイダー」
第二部 スタンダードソングの時代
11.台風の目としての孤独――平成11年の「First Love」
12.失われた時代へのレクイエム――平成12年の「
13.21世紀はこうして始まった――平成13年の「
14.SMAPが与えた「赦し」――平成14年の「
15.「新しさ」から「懐かしさ」へ――平成15年の「さくら(
16.「平和への祈り」と日本とアメリカ――平成16年の「
17.消えゆくヒットと不屈のドリカム――平成17年の「
18.歌い継がれた理由――平成18年の「粉雪」
19.テクノロジーとポップカルチャーの未来――平成19年の「
20.ガラケーの中の青春――平成20年の「キセキ」
第三部 ソーシャルの時代
21.国民的アイドルグループの2つの謎――平成21年の「
22.ヒットの実感とは何か――平成22年の「ありがとう」
23.震災とソーシャルメディアが変えたもの――平成23年の「
24.ネットカルチャーと日本の「復古」――平成24年の「
25.踊るヒット曲の誕生――平成25年の「
26.社会を変えた号砲――平成26年の「レット・イット・ゴー ~ありのままで~」
27.ダンスの時代の結実――平成27年の「R.Y.U.S.
28.ヒットの力学の転換点――平成28年の「
29.新しい時代への架け橋――平成29年の「恋」
30.平成最後の金字塔――平成30・平成31年の「
はあ〜〜!!!そうだったのかあ〜〜〜!!!平成ってそういう時代だったのかあ!!!とあらためて実感するっ!!!超おすすめです!( ^∀^)