「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ヒットの崩壊」(柴那典)

ワタシが、社会人になったのが、昭和62年。まだ平成になる前。このころから仕事に集中していた頃、謡曲という言葉がなくなり、ワタシが一時的に音楽を聞かなくなって、ギターを弾かなくなった頃。

 

そして歌番組がなくなりザ・ベストテンがなくなり、ヒット曲がなくなってしまった。なぜなのか!?そのワケがこの本で明確になるっ!!!

 

激変する音楽業界、「国民的ヒット曲」はもう生まれないのか?小室哲哉はどのように「ヒット」を生み出してきたのか? なぜ「超大型音楽番組」が急増したのか? 「スポティファイ」日本上陸は何を変えるのか?「ヒット」という得体の知れない現象から、エンタメとカルチャー「激動の時代」の一大潮流を解き明かす。テレビが変わる、ライブが変わる、ビジネスが変わる。業界を一変させた新しい「ヒットの方程式」とは?」そのツボとコツを紹介しよう。

 

「最近のヒット曲って何?」そう聞かれて、すぐに答えを思い浮かべることのできる人は、どれだけいるだろうか?よくわからない、ピンとこないという人が多いのではないだろうか。
 
では、なぜヒットが生まれなくなったのか?実は、それは音楽の分野だけで起こっていることではない。ここ十数年の音楽業界が直面してきた「ヒットの崩壊」は、単なる不況などではなく、構造的な問題だった。それをもたらしたのは、人々の価値観の抜本的な変化だった。モノ」から「体験」へと、消費の軸足が移り変わっていったこと。ソーシャルメディアが普及し、流行が局所的に生じるようになったこと。そういう時代の潮流の大きな変化によって、マスメディアへの大量露出を仕掛けてブームを作り出すかつての「ヒットの方程式」が成立しなくなってきたのである。
 
・日本のロック/ポップス史に大きな足跡がを残したミュージシャン・大瀧詠一は、かつてこう語った。
 
歌は世につれ、というのは、ヒットは聞く人が作る、という意味なんだよ。ここを作る側がよく間違えるけど。過去、一度たりとて音楽を制作する側がヒットを作ったことはないんだ。作る側はあくまでも“作品”を作ったのであって“ヒット曲”は聞く人が作った。
 
かつて、ヒット曲は時代を反映する“鏡”だった。果たして、今はどうだろうか?
 
 
・(いきものがかり水野良樹)「ヒット曲が少ないことが意味するのは、つまり、音楽という存在が社会に対して与える影響が弱くなったということだと思うんです」。水野は、デビューが決まり、自らの音楽の素養を増やしていく20代の時期に同時代の海外シーン」ではなく「過去の歌謡曲や日本のポップスの歴史」を掘り返し、探っていくようになる。なぜ彼はその道を選んだのか。自分たちが生き残る道を探した時に『真ん中が空いてるな』と思ったんです」「どこか懐かしい」と評される。過去のレコードを買い集め、中村八大浜口庫之助宮川泰筒美京平などの作曲家、阿久悠阿木燿子松本隆などの作詞家の仕事にあたり、昭和の歌謡曲の時代を支えていた先達たちに影響を受けるようになっていく。
 
・「中村正人さんも、中村八大や筒美京平さんも、海外の音楽を取り入れて日本的な音楽の畑を作ってくれた。僕らはその畑で育ったのである意味、開き直っちゃったんです。賛否両論ある言葉かもしれないけれども、なんでそこに誇りを持たないんだろうって思っちゃうんです。洋楽と日本的な感覚を掛け合わあせて作られた摩訶不思議なJ-POPという音楽、それに幸せな気分にさせてもらったし、キラキラした気持ちを感じさせてもらった。その人たちを見て、ああすご、こんな人たちになりたい、こんな風に社会に影響を与えるヒットソングを自分たちも書いてみたいという無邪気な思いでこの世界に入っていった。だから、そこにすごく誇りを持っているんですね」
 
音楽ということを考えると、一番強いのは『歌う』ということだと思うんです。童謡だってそうですよね。歌い継がれることで広まっていく。歌を歌う時って、必ずその人が主役になっていると思うんです。『聴く』というのは受容でしかない。でも、歌う時には自分で声を出している。この違いはすごく大きいと思います」
 
 
「消費者の要望は、音楽を『所有』することから、音楽に『アクセス』することへと変化している」
 
 
宇多田ヒカルの登場と20世紀の大掃除」「『風街ろまん』が日本のロックの起点になった」「なぜカバーブームが起こったか」など。

これは、将来、歴史の教科書に載るなあ。超オススメです。(・∀・)