「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「日本見世物世紀末」(目森一喜)

59年の人生の中で、さまざまな経験をしてきた。フツーの同い年と比べたら、遥かにいろいろな景色や経験や人物に会ったと自負していたが見世物小屋は見たことがなかったなあ……これはうっかりしていた!♪(笑)

 

見世物小屋という芸能の背景には、日本人が生活の内側の古層にしまい込んだ土俗的な信仰があると思われる。見世物小屋を語ることで、我々日本人の歴史と時代を反対側からの視座で語ることを試みる」そのエッセンスを紹介しよう。

 

見世物小屋とは、全国を巡行しながら祭りや市の日に露天にまじって出現する、非常に面白く、興味深い芸能である。昔ならわかるが、見世物小屋が今もあること自体、日本の不思議でなくて何だろう
 
 
見世物小屋という芸能の背景には、現在では生活の内側の古層に仕舞い込まれた日本人の信仰がある思われる。私にできることがあるとすれば、見世物小屋を見る私たちの視線を解析しながら、そこで結ばれる見世物小屋の像と、私たち自身の生活の古層にある土俗的なものを付け合わせることでしかない。そこで、見世物小屋を手がかりにして、生活の古層から、現在まで線を引くことができればと思った。
 

 
見世物小屋やそこらの輸入物と違う正真正銘、本物のサブカルチャーなのだ見世物小屋を語ることは、私たちの歴史と時代を、反対側から語ることである。本書ではそれを試みた。
 
見世物小屋は、日本中に張り巡らされたその見えない結界にそって移動し、時として集まり、また散って行く。それは「結界」などと言っても恐ろしげなものではなく、ただ、見世物小屋の人々が生きる場所なだけだ。見世物小屋は旅に生きてきたのだ。見世物小屋の芸能も、また聖なる芸能であり、本当は庶民の場所から神仏に奉納されているのだ。そして神仏は見世物の結界、つまり暮らしの糧と旅を守ってくれている。
 

 
口上の芸こそは言葉の芸の原点だと言える。入場料を先に取ってから話を聞かせる芸とは違って、口上ひとつで客が入るかどうかが決まる。口上は生活のかかった真剣勝負であり、真剣の切っ先なのだ。まさに見世物小屋は口上によって見世物小屋として成り立つと言っても過言ではないのだ。口上から見れば、見世物小屋とはまさに言葉だということになる。
 
 
見世物小屋という快楽」「見世物の核心ー客寄せの口上」「柳田学と異界」など。
 
令和のこの時代、2023年、噂には見世物小屋は一社しか残っていないという。この絶滅の美学って好きだなな。オススメです!♪