「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「ノスタルジック・アイドル 二宮金次郎」(井上章一・大木茂)

昔、小学校のころ「尊敬する人」という質問で、萩本欽一と書いた。中学校の卒業文集では吉田拓郎と書いた。今、あらためてその質問を受けたらきっと二宮尊徳先生」と書くだろう。我が、小田原が生んだ郷土の偉人だ。(・∀・) そして尊徳先生の生家の近い栢山の桜井小学校はワタシの母校。当然、金次郎像が鎮座しているっ!!


金次郎の像はいったい誰がどんな目的のために、校庭に置いていったのか。そもそもなぜこんな像がひろまったのか。いま金次郎像は衰退期を迎えている。いったいなぜか。一度はピークを迎えたこの像は、どのような理由で校庭から姿を消したのか。金次郎像をながめていると、いろいろな疑問がわいてくる。そして、この本もそうした疑問から始まっている」そのエッセンスを紹介しよう。

 

・最近は、よく小学校の校門観察をやっている。ふるい小学校だと、薪や柴をせおって本を読んでいる少年の像を置いてあるところがある。二宮金次郎である。私が探しているのは、この金次郎像である。しかし、この像が見つかることは、そう多くはない。発見できないケースのほうがふつうである新しい小学校ともなると、ほとんど絶望的だ。以前には、かなりの小学校でみつけることができた。戦前期で、1930年代の中ごろだと、日本中どこへいっても、たいていの小学校にはこの像が置いてあった
 

小田原市立曽我小学校
 
 
いずれは、ほとんどの校庭から、姿を消してしまうかもしれない。いまのうちに記録をとっておかねば、もう見られなくなってしまう。いったい誰がどんな目的のために、校庭に置いていったのか。いつ普及し始めたのか。そもそも、なぜこんな像がひろまっていったのか。いま、金次郎像は、衰退期を迎えている。しかし、なぜか。一度はピークを迎えたこの像は、どのような理由で校庭から姿を消しだしたのか。
 

▲ 大阪市玉出小学校
 
報徳人たちは、薪や柴をせおいながら勉強をした二宮金次郎を尊敬しているわけではない、彼が大人になってから展開した業績こそ崇拝している。つまり、農村改良家・二宮尊徳が崇敬の対象になっているのである。大人の二宮尊徳こそ、銅像で顕彰したい。それは少年二宮金次郎の普及よりも意義がある。
 

▲日本初の校庭金次郎像は薪や柴のかわりに弁当を入れたビクをさげている
 
 
ここで、ひとつの疑問を提出しておこう。いったい、二宮尊徳は、ほんとうに少年時代に薪や柴を背負いながら本を読んで歩いていたのだろうか。
 
 
いったい、どうして、少年金次郎の物語ばかりはいきわたり、尊徳の業績が不人気になったのか。なぜ、事実関係がしっかりしている農村改良のしごとより、ほんとうかどうかもわからない金次郎物語のほうがひろまったのか
 

▲ 小田原市下曽我小学校
 
 
戦前世代の人気ランキング
 
 
だが、戦後世代の10代、20代の人々は
 
 

▲ 小田原市立桜井小学校
 
 
幸田露伴二宮尊徳翁』の口絵」「バンヤン作『天路歴程』」「広告チラシ“引き札”」「日本最初の校庭 金次郎像誕生」「国民のアイドルとして」「勤倹力行のシンボル」「銅像の街・高岡」「よみがえる金次郎」など。

 

なーるほど。そんなドラマがあったのか!♪ ビックリだー!♪ 小田原に帰ったときにぜひ探してみよう。オススメです。(・∀・)