一日一冊一感動!小野塚テルの『感動の仕入れ!』日記

タイトルは、『一日一冊一感動!小野塚テルの感動の仕入れ!』日記。 毎日の読書、映画、グルメ、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。(ときどき「酒場のギター弾き」「B級グルメ」も紹介します)

「被差別民衆に君臨した“頭” 江戸の弾左衛門」(中尾健次)

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芸能界やお笑いの世界に憧れている子どもや若者って多いよね。華やかな世界に映るんだろうねえ。まあ、ワタシも音楽の世界に憧れたけど「食える」 「稼げる」とは思わなかったよね〜。でもこれからはわからないよ!(笑)紅白歌合戦に出場して白組の勝利に貢献する!」という夢があるから!(笑)

 

さてこの本。江戸300年、被差別民衆の“頭”として13代にわたって勢力を振るった弾左衛門の歴史と実態とは?そして芸能の原点=河原乞食、非人の生きる術だったとは?そのエッセンスを紹介しよう。
 
近世の江戸社会には、大道芸を生業とする人びとがずいぶんおりました都市に流入してきた「貧民」たちにとって、生きるための“最後の砦”ともいえる生業が、この大道芸です。道行く人の足を止め、さらに魅了したうえに、財布のヒモをゆるめさせねばならないわけですから、非常にムズカシイ仕事ではあります。しかし、その一方で元手は要りません。そんなこんなで、多くの人びとが、大道芸を生業とすることになります。
 
近代以降の被差別部落も、1880年代以後、生活の貧窮化が進む過程で、芸能の仕事がはじまりますが、近世においては、車善七(くるまぜんしち)手下の非人が最初にはじめたということで、本来は非人の生業とされていました。ところがちょうど江戸時代のはじめごろ、浪人者で同じような仕事をやっている人がおりました。。長嶋磯右衛門という人で、同じように「貧人」を集めて、大道芸をやる集団をつくりました。のちに二太夫(にだゆう)という人が頭になりまして「乞胸(ごうむね)」と呼ばれるようになりました。ところが、この乞胸のやっている仕事と、非人のやっている仕事は全く同じです。道を行く人びとの足を止め、さまざまな芸をして見せる。方法といえば楽器を奏でる、しゃべりで聞かせる、いろんな所作をやる。やっているうちに、だんだんよく似た芸になってしまいます。ということで、乞胸集団と非人集団との間で訴訟に発展します。町奉行の最低は、仕事については非人頭車善七の支配に入りなさい、けれど身分は町人のままという裁定でした。ですから乞胸は、身分は町人で、仕事は賤民というややこしい身分でした。
 
・これ以外にも「願人」という芸能集団がありました。これはもともと鞍馬寺に属しているいわゆる托鉢僧です。もともと僧侶だったのですが、寄付を集めるために大道芸をするというより、大道芸で金を稼ぐ。結局、年月が経つにつれて、立派な芸人集団になってしまうつまり形式的には僧侶なのですが、やっていることは非人や乞胸とまったく同じということになります
 
乞胸がおこなう大道芸は、12種あったといわれています。綾取・辻放下・説教・物読・講釈・浄瑠璃・物真似・仕形能・江戸万歳・猿若・操り・辻講釈の、以上12種です。「綾取」とは、竹の棒に房をつけ、これを投げ入れて曲に取る芸をいい、辻放下」は、玉を隠したり、手玉を取ったりする芸をいいます。これらは、手品や曲芸に類する芸といえましょう。語りの芸もあり、むかし話に節を付け、語って聞かせると「説教」になり、内容が古戦物語なら「物読」になります。「太平記など、出し物の決まっているのが「講釈」です。これが、やや謡に近づくと浄瑠璃になります。「物真似」は、歌舞伎役者の口上を真似たり、鳥やけものの鳴き声を真似るものをいいますが、同じ物真似でも、能の真似を「仕形能」三河万歳の真似を「江戸万歳」といいます。そのほか、頬を赤く染めて演ずる芝居を「猿若」といい、よしず張りのなかで操り人形を扱ったり、箱に目鏡をつけて、それを見たりする軽演劇を「操り」といいます。最後の「辻講釈」は、芸のできない者や子どもたちらが、ただ往来にすわって銭を乞うことをいいます。これは、およそ「芸」には遠いようです。
 
・ややこしい職業が香具師です。大道で店を出し、口上を述べながら商品を売る商売です。口上だけでも人が集まります。口上そのものが「講釈」や「説教」と変わりません。場合によれば、口上で銭をとっているのか、商品で銭をとっているのかわからないものがある。
 
この芸能のルーツを知るって大事だよね〜!オススメです。(・∀・)

 

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