「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「明治維新150年を考えるー「本と新聞の大学」講義録」(一色清 姜尚中 高橋源一郎 行定勲など)

えっ、そうーかー!明治維新から150年かー!……ということは、ワタシが生まれたころは、100年経ってなかったってことかー!!!(*_*)

 

「2018年、そして、平成30年ーー。歴史の“画期”を見据える斬新な視点!二〇一八年は、あの明治維新からちょうど一五〇年である。この歴史上でも稀な〝画期〟に、各界を代表する論客が一堂に会した。民俗学赤坂憲雄憲法学の石川健治、財政社会学井手英策、ノンフィクション作家の澤地久枝、小説家の高橋源一郎、映画監督の行定勲という、実力派のメンバーは、これまで語られることのなかった「近代日本」のブラインドスポットを次々に提示する。私たちは、何を得て、何を失ったのだろうか?そして、この国を呪縛してきたものの正体とは?朝日新聞社集英社による連続講座シリーズ「本と新聞の大学」第五期、待望の書籍化」そのエッセンスを紹介しよう。


「何が失われたのかー近所の黄昏に問いなおす」(赤坂憲雄
 
渡辺京二さんの『逝きし世の面影』をテクストに、お話をさせていただきます。この本のなかでは、今から150年ぐらい前に、それも幾人かの外国人だけが書き残しているのではなくほとんどの異邦人がそうした言葉を多かれ少なかれ書き残している。これはどういうことなんだろうか。そこには明治維新から150年間を経て、日本社会がさまざまな側面で変容をこうむってきた、その変容以前が凝縮されて見いだされるのかもしれない。
 
 
・「もっとも印象的なのは、男も女も子どもも、みんな幸せで満足そうに見えるということだった」「個人が共同体のために犠牲になる日本で、各人がまったく幸福で満足しているように見えることは、驚くべき事実である」「日本人は私がこれまで会った中で、もっとも好感のもてる国民で、日本は貧しさや物乞いのまったくない唯一の国です」「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない
 
 
イザベラ・バードは東京から日光まで人力車に乗りました。そのとき、車夫はいかつい顔をした、入れ墨の男たちでしたが、日光に着いて、バードが契約したお金以上のものを渡そうとすると受け取らないのです。契約という観念がすでに、はっきりとある。そして、別れ際に姿を消したと思ったら、野原で花を摘んできて、彼女に差し出すわけです。そういうことをイザベラ・バードは、三ヶ月にわたって体験しましたから。日本人は好奇心むき出しではあるけれど、たいへん穏やかで暴力的なところがない人たちだということを知っている。貧困がとことん惨めな非人間的形態をとるということが、確かに、かつての日本の社会になかったのだと思います。
 
 
渡辺京二さんは日本人の表情に浮かぶ幸福感について「当時の日本が自然環境との交わり、人びと相互の交わりという点で自由と自立を保証する社会だったことに由来する」と言われます。そんなユートピアのような社会があったはずがないと、我々はずっと教えられてきたし、思い込んできました。どん底にいるときは、一揆をやらないのだそうです。どん底から立ち直ってかなり力が蓄えられてきたときに、領主との条件闘争のために一揆をやる。ほんとうのどん底では絶対にやらないなにか示唆的な気がします。
 
・おもしろいなと思うのは、子どもたちは路上を遊び場にしています。馬車がやってくる。人力車がやってくる。子どもたちはよけない。よけるのは馬車であり、馬なんです。大人からだいじにされていることに慣れている」子どもたちは、ほかのどこの国よりも甘やかされている。子どもの天国だ。子どもはみんなにこにこしている。きっと幸福なんだろう。日本人が子どもを叱ったり罰したりする姿を見たことがない、といういった記述がある。
 
・「この子たちを心から可愛がり、この子たちをそのような子に育てたt親たちがどこへ消えたのかと問う」必要があると渡辺京二さんは書いています。そうした子どもをかわいがるというのは一つの脳力だ。それは個人が勝手に獲得する脳力ではなくて、今は消え去った一つの文明が培った、万人が持っていた能力であるという。
 
 
・九州では乞食は「かんじん(勧進)さん」と呼ばれます。かんじんさんが来たら自分のところに食べるものがなくても、お金がなくても、必ずなにがしかの物をかんじんさんに渡す」と。日本人のある種のモラルとして、乞食とか、ホイドとか、ものもらいとか呼ばれるような人たちに対する、ある定期的な態度があります。
 
 
・眼のできものを「モノモライ」と呼んだ起こりは、この眼の小さな病を治す手段として、ひとの家の物をもらって食べる習慣が隠されているのではないか、と柳田は考えました。(柳田国男「モノモライの話」(『食物と心臓』))つまり、日本社会には見えない相互扶助のシステムがあったということなのです。「七軒乞食」という呼称に明らかなように、七軒の家に施しを求めて訪ねていくことに大きな意味が見いだされてます。
 
・同じ「乞食」と書いて、もうひとつの読み方に「こつじき」があります。こつじきというのは仏教の僧侶たちが修行として托鉢にまわることです。乞食という存在が、社会から単に脱落するというのではなくて、脱落したとしてもそこでまたすくい取る仕掛けが、見えにくいのですが、どうも作られていたのではないか。いわば、見えない相互樹扶助のシステムがあったのではないか。そして、それは格差の少ない社会にも繋がっています。どのようにそれを再評価することができるのか
 
これから我々が行きていく社会、将来の社会をどのようにデザインするのか。そこには大切な考え方のヒントが隠されているような気がします。
 
 
・「雪国は雪なしに町や村や生活や家屋を考えることはできません。雪国であればそれは当たり前です。それなら震災が起きることがわかっていて、何で雪と同じように震災を前提として町や村や家屋や生活のあり方を考えないんでしょうか
 
……ジーン……響くなあ……。『行きし世の面影』は、読んでて、ホント涙が出るわー……。