酒場のギター弾き 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「昭和とわたし 澤地久枝のこころ旅」(澤地久枝)

 

6月は父の日があるよね。昭和8年生まれの父が生きていたら89歳かあ。亡くなってもう20年になるのか。早いなあ。あの世でどうしているかなあ。

 

さて、父とほぼ同世代の澤地久枝さん。昭和をどう生きてきたのかを綴ったのがこの本。

「歴史の闇に埋もれた人々の声を作品に残してきた澤地久枝。その膨大な仕事の中から、今の読者に伝えたい文章だけを選りすぐった」中でも向田邦子さんの記述が印象的だ。その一部を紹介しよう。

 

・向田さんに言っておきたいんだけれど、親子って、子どもが小さいうちは、親が十で子どもがゼロの存在でしょう。そのうち五分五分になり、娘が世帯を背負うようになると、親子の存在は逆転するわね。私は思い返してみると、私が何か言っても親子げんかにならず、親が、そうだね、ってすっと身を引いたことがあるの。それが亡くなる二、三ヶ月前のことのような気がする。それが見えなかったことへの後悔がある。
 
・お母さん、明治40年12月31日生れの向田せいさんは、遭難の翌日もサロンエプロンをかけ、いつものようにおいしい煎茶を淹れ、澤地さんが泣いちゃだめでしょ」と涙がいっぱいの目で笑った。
 
向田さん あなたがいなくなった寂しさは、じわじわと心を浸して、道を歩いていたり、ものを食べたりしているときにふっと涙がこぼれます。でも、さよならは言いません。すぐにまた逢えるのだと思っています。
 
猫好きの人のしなやかな足つき。真冬もよく素足でいた愛猫の産んだ子猫の一匹が未熟児で、親も乳をあたえず、彼女は眠らずに注射器で授乳し、湯たんぽを工夫したベッドに寝かせて見守っていた。やつれて美しかった向田さんの表情を思い出す。あの日も素足のままであったこともー。
 
・死んだ向田邦子さんの言葉を思い出す。あなたは裸になったつもりでいても、ちゃんとコルセットをつけているひとだから……」二人が話しあったとき、わたしたちは四十代を生きていた。わたしがすべてを書ききれず語り得ないように、向田さんもまた素肌は誰にも見せずに退場してしまった。なにもかくすことのない人生などあるのだろうか。
 
生き急ぐような最後の一年から二年。向田さんは心に残る花を一輪ずる配るように、多くのひとに忘れがたい思い出を残していった。ハンディキャップをもつひとたいへ心を寄せ、「なにかできること」を探り、あるときには、香水を贈った。沈黙を守っている人々の心に向田さんは生きていることを思う。わたしには彼女が次第に時間をさかのぼり、少女になってゆくような感覚がある。
 
 
「弔事の草稿から」は、特に心に残る。父と同世代がどんな時代を生きてきたのかを知ることができる。オススメです。(・∀・)