「てるてるソング」 小野塚テルの一日一冊一感動『感動の仕入れ!』日記

毎日の読書、映画、グルメ、流し、人との出会いなど様々なものから感動を得ています。特に本は年間300~400冊読破します。人々を『感』させ『動』に導き、『感する人』になるようにそのエッセンスを紹介しています。

「縄文文明 世界中の教科書から消された歴史の真実」(小名木善行)

いや〜!いいなあ!感動するなあ!日本人ってスゴイんだなあ〜!タイトルから想像できない内容の良さ。いままでの疑問が解けたようでスッキリするわー。小名木善行さん、スゴイ!!!
 
 
縄文時代、日本にはどんな文明があったのか―。縄文時代まで狩猟採集によって生活を行っていましたが、 弥生時代には稲作が始まり、暮らしが豊かになりました。ところがこれがまったくのデタラメだった!?」そのエッセンスを紹介しよう。
 
 
・中世ヨーロッパにおける軍隊は基本的に「傭兵」です。一般の民衆は戦争の期間だけ戦地に駆り出されて、報酬に応じて働いていたわけです。そうなると当然、王国と兵の間に一体感は生まれにくくなります。日本兵が他国から恐れられたのは「国を守るためには、どこまでも戦う」という姿勢を貫いたからにほかなりません。
 
アメリカは日本を弱体化させるために、日本人であることの自覚や意識を、日本人から奪い取ろうとしていました。そんな背景のなか、「神代」に代わって「縄文時代」「弥生時代」といった区分が誕生することになります。
 
・昭和21年から24年にかけて、相沢忠洋(1926〜1989)というひとりの考古学者が、赤城山の麓の岩宿から石器を発見します。これがなんと現在から3万年前のものだとわかり、大騒ぎになります。しかも磨製石器」だったのです。日本では3万年前にすでに新石器時代が始まっていたということになります。
 
歴史を学ぶ、つまり、歴史学というのは、明確にわかっている事実と事実を論理的に結びつけながら、ストーリー化していくことをいいます。重要なのは再現性「同じことが繰り返された場合、同じ結果になるよね」というところまで、事実関係を合理的にストーリー化することこそ歴史学です。
 
・時代が違っても産んだ子どもを失った悲しみや、亡くしたわが子への思いは同じです。だからこそ親たちは、亡くなった子どもの足形を粘土版に残し、大切な思い出としたのです。それが私たちの祖先です。
 
土偶は「妊婦の身代わりだった」という説が一番納得できます。妻が妊娠したときは、同じ様にお腹の大きい女性を土偶として作り、その土偶を破壊することによって、身代わりとしてあの世へ逝ってもらう「身代わり人形」だったのではないか。身代わりの土偶をあまりにリアルに作ったら、神様が間違えて本物の母体をほうを連れて行ってしまうかもしれません。ですから顔をなくしたり、デフォルメしたりしたのではないか、と考えられます。
 
「夫婦」は、戦後から使われるようになった言葉で、戦前は「めおと・妻夫」という言葉を使っていました。「妻」が先、「夫」が後です。多くの男性が妻のことを「かみさん」と呼びますが、それは女性が家の神様だからです。子を産む力は、女性にしか備わっていない、まさに神様の力です。
 
中国が親、朝鮮が兄、日本は末っ子、という歴史認識はあくまで政治的な創作なのです。
 
すべての女性の人骨が、装飾品をつけています。古来、女性は花を編んで花輪を形作ったり、料理を作ったりと「柔らかいものを加工する」ことに長けています。一方でかたいものを加工するのは男性の役割です。固い貝殻から美しい装飾品を作っていたのは、男性だったのではないかと思います。
 
・年頃になった男の子は、好きな女の子ができると、自分で貝殻を必死に磨いて、美しい装飾品を作ったのではないでしょうか。女性にプロポーズしたのかもしれません。縄文時代の平均寿命は24〜25歳です。恋人たちの思いがまさに燃え上がっている時期に、永遠の別れを迎えることになります。「いつだって一緒」そんな思いから、愛する夫からもらった大切なリングなどの装飾品を身につけて、お棺に入った…だから、縄文時代の人骨を発掘すると、女性の人骨のには装飾品がいっぱいつけられているのではないでしょうか。
 
朝鮮半島に関しては、1万2000年前〜7000年前にかけての遺跡がまったく発見されていません。これが何を意味するかというと、朝鮮半島にはその5000年の期間、人間が住んでいた痕跡がないということです。私が思うに、当時の朝鮮半島にした人々が日を多用し、山をはげ山にしてしまったせいなのではないかと推測しています。
 
シュメール文明は7300年前で、ちょうどアカホヤ山の大噴火が起きて、縄文人が難民として移動してきたであろう時期と重なります「シュメール」は「住める」、さらにスメラミコトの「スメル」に聞こえます。さらに、シュメール人たちは自分たちのことを「ウミサンキタ」と呼んでいたそうです。「海さんから来た」。大噴火で大移動を余儀なくされただろう時期と、長江文明とシュメール文明が突然生まれた時期は、奇妙にも重なります。やはり、縄文人は2つの文明の誕生にかかわっていたのではないか、私はそんなダイナミックな思いを胸に抱くのです。
 
・日本には、男性が武器を持たず、女性たちが美しく着飾り、和をもって貴しとする人々の輪の文化がもともとあり、そ0うした大和人のDNAは、現代にまでしっかり受け継がれている。中国や朝鮮から伝播したのは、人殺しのための武器と、争いごと、強盗、性的暴行など、理解しがたいものばかりです。
 
・亀甲文字は記号の組み合わせになっているということです。これは「組み合わせる前の単体の記号が先に存在した」ということにほかなりません。ところが、単体の記号は中国では見つかっていません。
 
火焔型土器の模様は文字なのではないかという説です。神代文字と同じ。縄文人にとっては、一文字一文字に大切な意味がありますから、組み合わせるなんてとんでもない話だったことでしょう。
 
・中国で生まれた漢字は、もともと海洋民族だった縄文人が主に占いで使っていた神代文字を、組み合わせることで作られた可能性がある。つまり、漢字は中国から便利な文字として逆輸入されたのではないか…。そう唱えるのには、ほかにも理由があります。漢字を使う民族は結構いますが、漢字に「訓読み」を与えているのは日本人だけです。なぜか?漢字以前に、高度に発達した大和言葉という、言語の体系があったからにほかなりません。大和言葉に対応させるように、意味のもっとも近い漢字を引っ張ってきて、漢字に訓読みを与えるということを私たちの祖先はやってきました。その結果、「音読み」と「訓読み」のある漢字の豊かな使い方が実現したのです。
 
 
「イエ・ムラ・ハラ・クニ」「アカホヤの大噴火」「「漢字は中国で生まれた」は本当か?」「米は、世界初のクラウドファンディングなど。
 
これは文句なく日本人必読の書でしょう。超オススメです!(・∀・)